
吾朗が37歳になった夏の或る夜、一本の電話が鳴った。
なんと、10年近くも逢っていなかった陽子からの電話であった。明日、下田の家族も入れてみんなで、層雲峡温泉に行くとの内容であった。明日、東京を発って北海道家族旅行に出掛けるという。とりあえず、明後日の夜は層雲峡温泉で一泊するので、逢えたら逢いたいということであった。
吾朗は6時半に、層雲峡温泉グランドホテルロビーで桃木家の家族のツアーバスが到着するのを待っていた。予定時刻より20分遅れでようやく、ツアーバスがホテルに到着。吾朗は、目をさらのようにして、バスからホテルへ入ってくるツアー客の中にいるはずの桃木家の家族を追った。

桃木家の一同が目に入ってきた。ご主人・奥さん・陽子・一郎・そして陽子の一人息子の三郎の姿が。。。。。10年ぶりの再会であった。その夜は、10時ころまで昔話に花が咲いた一夜であった。その日吾朗は1時間半ほどの車で帰宅する車中、まるで10年も前に戻っている自分を感じた。
翌朝、札幌に向かう途中吾朗の街で、休息時間があるということで、吾朗は仕事の休みをとり、車で奥さん・陽子・一郎を載せてツアーバスの後ろについていったのだった。車中は、昔話から現在に至るまでのよもやま話に尽きる話題はなかった。
吾朗は卒業後、弘前に3年間暮らしていたことや、今の家庭のことやら、また桃木家では陽子が数年前に離婚して、今は、保母さんの仕事をしながら一人息子と暮らしていることなど、知らなかったことが沢山あった。スチュワーデスの仕事は結婚を機に辞めていたとのこと、なんとももったいないことであった。
あっという間に札幌につき、自由時間が数時間あったので、一行をあまり詳しくはわからない札幌の街を案内した吾朗である。希望を聞いて、北大構内を案内した。ポプラ並木・大学構内のキャンパスの芝生の上で寝転がって、旅の疲れを少しでも取ってもらおうと吾朗は、あまりあちこちと連れまわすを控えた。
あと、案内したのは「時計台」「ラーメン横町」であった。ラーメン横町では、ちょうど、ラジオの番組で、観光客のインタビューをされていた。陽子にマイクが回ってきて、なにか旅の感想を語っていたようであった。自由行動の時間もあっというまに過ぎ去り、再び別れの時間が迫ってきた。ひとりひとりと、固い握手を交わしながら、今度再開出来るのはいつになることやらと、心中、とても寂しくなりその想いで熱いものが瞼に浮かんでくるのを必死に抑えていた吾朗であった。
逢うは別れの始めとやら、再会は本当に嬉しいが、別れがまたその倍辛いものであることを痛切に感じた吾朗であった。
つづく。。。。。。。。。
