うみかぜ通信

日々の記録

一歩前へ

2011年01月18日 21時58分05秒 | Weblog
あまりにもめまいを訴えるので、
来月19日の予約を前倒しにして、今日病院に行かせた。
昨日夫が自分で電話で問い合わせをしたとき、電話口に出たのはたぶん、看護師さんだったはずだ。
「めまいがするので診てもらえないか」と言う夫に、

「めまいの原因はほとんどが三半規管に異常があることが多い、年を取るとめまいも起こりやすくなる、
運動などしてみてはどうですか?」
などと診察をしてもいないのに“原因”を説明して、対処法を告げ、しきりに耳鼻科に行くように勧め、
なかなか受診を受け入れてはくれなかったようだ。

夫が脳出血を起こしたことがあるし、物忘れもひどいので、と言うとようやく今日の午前中に診てくれることになった。

この病院は私の父のときにも危うく誤診をするところだった。
事故の多発性骨折で2週間入院していた父は、自然治癒を待つしかないということでこの救急病院を放り出された。
自宅に帰っても一人暮らしで家事が不安で、近くの整形外科に再入院、そこを退院してからもうまく歩けなかった。

父は10年以上前に慢性硬膜下血腫を起こしたことがあり、その時と感じが似ている、としきりと訴えた。
私が父を最初に入院していた救急病院に連れて行くと、
総合受付で随分と年季の入った看護師さんが先に問診をしていた。
子どもにジンマシンが出て連れて来ていた人は、その場で別の病院に行くように追い返されていた。

私は「脳外科でCTを撮ってほしい」と強く言い、なんとか脳外科に回された。
診察したのは標準語を話す医者とは思えないような優男で、

「お年寄りが多発性骨折で2週間も入院していたら、足が弱るのは当たり前ですよ。
若い人でも元の体力を取り戻すのに入院していた期間の倍はかかる。
お年寄りだからそれ以上の時間がないと、歩けるようにはならないですよ。」

と強い口調で言い切った。

それでも本人が前回と感じが似ていると言うのでCTを撮ってほしい、と言うと、

「撮ってくれと言われるなら撮りますけど」

としぶしぶ応じてくれた。
結果、
「やはり、慢性硬膜下血腫になってました・・」
と告げた時の医師の顔。。

調べてみもせずに一般論だけで片付けてしまえば、大事になるところだった。

私は挨拶や簡単な受け答え程度の話しかできないので、
気になることについては私自身が転院先で診察を受けたときのように手紙を書いてそれを夫に持たせた。

昨日になって夫は自分から、会社に転勤で新しく来た人の顔と名前が覚えられないこと、
相手から「先日はどうも・・」などと話しかけられても、
それが誰なのか、何のことを言っているのか思い出せないこともあり、
ただ「あぁ、はいはい」と適当に相槌を打ってしまうこともあると私に告げた。
そういうことも全部手紙に書き、私が話ができなくなり、通院先の病院の先生から
国立病院の物忘れ外来で検査を受けてみてはどうかと勧められていることを書き添えた。

夫は脳のCTと簡単な認知症の検査を受けてきた。
CTではアル●ハイマーの時に異常が見られやすい部位を調べてくれたらしいが、萎縮などはなかったが、
認知症の検査では覚えるようにいわれた5つの単語のうち1つを思い出すことができなかったらしい。

その病院の医師の話では、脳出血の後遺症で新しいことを覚えにくくなっているのではないか、ということで、
特に心配する程度のものではないとは言われたらしいが、よい機会なので一応物忘れ外来への紹介状をもらって帰ってきた。

ただ、夫は“物忘れがひどい”ということだけは私たち家族にははっきりわかっている。
しかし、その原因が何なのか、この先どうなるのか、そして何か治療法・対処法などはあるのか、
今は、それがわからないままだから不安や心配が多い。

帰宅して夫は早速自分の休みに合わせて診察の予約を取るために、教えてもらっていた電話番号に電話をかけた。

「もしもし、忘れ物外来ですか?」

おいおい、忘れ物外来ではなく“物忘れ外来”だ。

それでも、霧の中を一歩先へ進むことができたような気持ちになった。