こんなに寒い冬は何年ぶりだろう。
子どものころ以来ではないだろうかとすら思える。
太陽の黒点がないので、太陽活動が弱まっていて「ミニ氷河期」に入る、などといわれていたが、
まさかこんなに寒い冬がやって来るなんて思わなかった。
子どもの頃はエアコンなどもなく、暖を取るのはコタツかストーブ、友人の家にはまだ囲炉裏や火鉢さえあった時代で、
今のようにフリースやヒー●テックなどの暖かい機能性衣類もなく、
肌着といえば冷たく頼りないメリヤスのもので、何枚着ても動きにくくなるだけで暖かくはならず、
毛糸のセーターなどを重ね着してみんな着膨れていた。
今朝もまた、犬は散歩に連れ出さず、庭で自由遊び、
それよりも夫は朝自分で起きてこない。
昨日次女が私の父のところに遊びに行った時、普段は温厚な父が
「お父さんは休みの日には一体何をしているんかね?」
と聞いたというので、夫の家での様子を実際見てみると父もビックリするだろう。
脳出血の後遺症や何かの病気ならば仕方がない。
それを調べてもらうために来週国立病院を予約している。
それでも、休みの日に一緒にお昼ご飯を食べるだけで、体が震えるような気持ちになる。
ご飯の食べ方が普通ではない。
今朝、2合のご飯を炊いて2人の娘のお弁当と、雑炊を作って私も一緒に食べた。
お釜の中に残ったご飯ではきっと夫には足りないだろうと、その後、急いでもう一度2合を炊き始め、
着払いで荷物が来ることになっていて、配達前に電話があるはずなので9時前に夫を起こした。
ご飯を炊いている途中でお釜のふたから蒸気が勢いよく上がっているのに気づかず、
夫はご飯を食べようとふたを開けようとした。
「いつ炊けるの? まだできないのか?」
ふたに表示された残り時間12分にひどく落胆してため息をつく。
そして、いつものようにご飯にもお味噌汁にもおかずにも、大量のすりゴマ。
ご飯の上にかけて食べていても途中でゴマを追加する。
ご飯にのせられるものは納豆でも卵でも海苔の佃煮でもとにかく冷蔵庫の中から自分で出して来てはのせて食べる。
お昼ご飯のおそばにもゴマ、そして茶碗に山盛りのご飯にもゴマ、
いくら健康によいといわれても、ゴマがないと食事が出来ないほど依存してしまうのは普通ではないだろう。
それに、目の前で食べる物すべてにあれだけ大量のゴマをかけてむせながら食べられては、
見ている私は気分が悪くなる。
これが自分の実家でも私の実家でもどこかよそでご飯を食べるときに、
その家の人の目の前でも堂々と同じように食べ物に大量のゴマをかけて食べられるか、
と聞けば、決してそれはできないだろう。
他人の目の前ではできないこと、それは“非常識”なことだからではないのだろうか。
この「○○をしなければ不安でたまらない」夫の様子も来週の検査の時に先生に話してみようと思っている。
子どものころ以来ではないだろうかとすら思える。
太陽の黒点がないので、太陽活動が弱まっていて「ミニ氷河期」に入る、などといわれていたが、
まさかこんなに寒い冬がやって来るなんて思わなかった。
子どもの頃はエアコンなどもなく、暖を取るのはコタツかストーブ、友人の家にはまだ囲炉裏や火鉢さえあった時代で、
今のようにフリースやヒー●テックなどの暖かい機能性衣類もなく、
肌着といえば冷たく頼りないメリヤスのもので、何枚着ても動きにくくなるだけで暖かくはならず、
毛糸のセーターなどを重ね着してみんな着膨れていた。
今朝もまた、犬は散歩に連れ出さず、庭で自由遊び、
それよりも夫は朝自分で起きてこない。
昨日次女が私の父のところに遊びに行った時、普段は温厚な父が
「お父さんは休みの日には一体何をしているんかね?」
と聞いたというので、夫の家での様子を実際見てみると父もビックリするだろう。
脳出血の後遺症や何かの病気ならば仕方がない。
それを調べてもらうために来週国立病院を予約している。
それでも、休みの日に一緒にお昼ご飯を食べるだけで、体が震えるような気持ちになる。
ご飯の食べ方が普通ではない。
今朝、2合のご飯を炊いて2人の娘のお弁当と、雑炊を作って私も一緒に食べた。
お釜の中に残ったご飯ではきっと夫には足りないだろうと、その後、急いでもう一度2合を炊き始め、
着払いで荷物が来ることになっていて、配達前に電話があるはずなので9時前に夫を起こした。
ご飯を炊いている途中でお釜のふたから蒸気が勢いよく上がっているのに気づかず、
夫はご飯を食べようとふたを開けようとした。
「いつ炊けるの? まだできないのか?」
ふたに表示された残り時間12分にひどく落胆してため息をつく。
そして、いつものようにご飯にもお味噌汁にもおかずにも、大量のすりゴマ。
ご飯の上にかけて食べていても途中でゴマを追加する。
ご飯にのせられるものは納豆でも卵でも海苔の佃煮でもとにかく冷蔵庫の中から自分で出して来てはのせて食べる。
お昼ご飯のおそばにもゴマ、そして茶碗に山盛りのご飯にもゴマ、
いくら健康によいといわれても、ゴマがないと食事が出来ないほど依存してしまうのは普通ではないだろう。
それに、目の前で食べる物すべてにあれだけ大量のゴマをかけてむせながら食べられては、
見ている私は気分が悪くなる。
これが自分の実家でも私の実家でもどこかよそでご飯を食べるときに、
その家の人の目の前でも堂々と同じように食べ物に大量のゴマをかけて食べられるか、
と聞けば、決してそれはできないだろう。
他人の目の前ではできないこと、それは“非常識”なことだからではないのだろうか。
この「○○をしなければ不安でたまらない」夫の様子も来週の検査の時に先生に話してみようと思っている。