うみかぜ通信

日々の記録

雪 国Ⅱ

2011年01月31日 13時50分06秒 | Weblog
こんなに寒い冬は何年ぶりだろう。
子どものころ以来ではないだろうかとすら思える。
太陽の黒点がないので、太陽活動が弱まっていて「ミニ氷河期」に入る、などといわれていたが、
まさかこんなに寒い冬がやって来るなんて思わなかった。

子どもの頃はエアコンなどもなく、暖を取るのはコタツかストーブ、友人の家にはまだ囲炉裏や火鉢さえあった時代で、
今のようにフリースやヒー●テックなどの暖かい機能性衣類もなく、
肌着といえば冷たく頼りないメリヤスのもので、何枚着ても動きにくくなるだけで暖かくはならず、
毛糸のセーターなどを重ね着してみんな着膨れていた。

今朝もまた、犬は散歩に連れ出さず、庭で自由遊び、
それよりも夫は朝自分で起きてこない。
昨日次女が私の父のところに遊びに行った時、普段は温厚な父が
「お父さんは休みの日には一体何をしているんかね?」
と聞いたというので、夫の家での様子を実際見てみると父もビックリするだろう。

脳出血の後遺症や何かの病気ならば仕方がない。
それを調べてもらうために来週国立病院を予約している。
それでも、休みの日に一緒にお昼ご飯を食べるだけで、体が震えるような気持ちになる。

ご飯の食べ方が普通ではない。
今朝、2合のご飯を炊いて2人の娘のお弁当と、雑炊を作って私も一緒に食べた。
お釜の中に残ったご飯ではきっと夫には足りないだろうと、その後、急いでもう一度2合を炊き始め、
着払いで荷物が来ることになっていて、配達前に電話があるはずなので9時前に夫を起こした。

ご飯を炊いている途中でお釜のふたから蒸気が勢いよく上がっているのに気づかず、
夫はご飯を食べようとふたを開けようとした。
「いつ炊けるの? まだできないのか?」
ふたに表示された残り時間12分にひどく落胆してため息をつく。

そして、いつものようにご飯にもお味噌汁にもおかずにも、大量のすりゴマ。
ご飯の上にかけて食べていても途中でゴマを追加する。
ご飯にのせられるものは納豆でも卵でも海苔の佃煮でもとにかく冷蔵庫の中から自分で出して来てはのせて食べる。

お昼ご飯のおそばにもゴマ、そして茶碗に山盛りのご飯にもゴマ、
いくら健康によいといわれても、ゴマがないと食事が出来ないほど依存してしまうのは普通ではないだろう。
それに、目の前で食べる物すべてにあれだけ大量のゴマをかけてむせながら食べられては、
見ている私は気分が悪くなる。
これが自分の実家でも私の実家でもどこかよそでご飯を食べるときに、
その家の人の目の前でも堂々と同じように食べ物に大量のゴマをかけて食べられるか、
と聞けば、決してそれはできないだろう。
他人の目の前ではできないこと、それは“非常識”なことだからではないのだろうか。

この「○○をしなければ不安でたまらない」夫の様子も来週の検査の時に先生に話してみようと思っている。

雪 国

2011年01月30日 11時32分03秒 | Weblog
仕事が終わった。
朝、犬を散歩に連れて行こうとリードに繋いで玄関ドアを開けるといきなりの雪国、
犬は散歩よりも庭で遊びたがったので、今日は連れ歩かず庭で自由遊びをさせた。

次女はバスで私の実家に出かけ、夫と長女は仕事なのでつかの間の一人の時間を過ごせる幸せ。
お昼は炊きたてのご飯をいただきます。。

金曜日に診察に行ったら、先生が漢方薬を出し忘れておられる。
安定剤と抗鬱剤だけを28日分出してくれて、それも
「自分の体調に合わせて寝る前だけでいいなら寝る前だけ、
という感じで自由に飲んでいい、飲み忘れたなら飲み忘れてもいい、
飲み忘れるということはそれだけ体調がいいということですから。
続けたければまたいつでも来ていただいていいですし、自由にされてください」
と言われ、
「では、お元気で」
と丁重に診察室から送り出してくれた。

私としては漢方薬の方が体が温まるのでよかったのだけれども、
安定剤と抗鬱剤を飲み始めて体が軽く朝から家事がはかどるし、手抜きをすることもなくなった。
何かやってみようという前向きな気持ちになるようになった。
それを先生にお話しすると
「たぶんお薬が合っているのでしょう」
ということだった。

来月夫が検査を受ける国立病院で、何かの診断がついたとしても、
私のように歯のすき間に挟まるぐらいの小さな抗鬱剤のかけらでも出してもらえれば
それで夫の気分が晴れたり、気持ちが前向きになったり、よい方向に変わることはできないだろうか。

ささやかな幸せ

2011年01月27日 20時24分43秒 | Weblog
前の車につけていたアルミホイールが売れたので、夫が私に1万円を返してくれた。
前の車を廃車にしたのが去年の6月で、それからずっとアルミは倉庫の中に放置してあった。
何を思い立ったのか、夫が国道沿いの中古タイヤを売っている小さなお店に預けに行くと、
次の日に売れたと連絡があった。

残りはいくらだと聞くので、47,000円だと言うと、10万円ぐらい借りていたってこと?と聞く。

そうです。
何か要りようができるたびに、(というか夫が無理矢理お金が要ることを見つけ出す)私から借りていた。
ほらね、1万円を返してくれてすぐの車内で、今度は車のマフラーが破れているので交換しないといけないと言い出した。

3万円? 4万円?
夫の言葉が私を素通りしていった。

たぶん、私が話せなくなった一因には、夫が私の聞きたくないことばかりを話すこともあるのではないだろうか。

思い出してはいけない。
夫が私に話したことを思い出してはいけない。
そのために、夫と話をしなくてもいいように、神さまが私を話せなくしてくれたのだから。
夫と話せばまた前と同じように聞きたくもない話を聞かされ、心を病むことになる。

ホームセンターの買い物は何ヶ月ぶりだったろう、久しぶりで楽しかった。
洗濯と食器洗いの洗剤もボディソープも自分の好きな香りのを買えたし、キッチンの石鹸も新しいものにした。

そして、D●Cの自動応答で化粧品を注文して、次女にはニキビ用の化粧水や洗顔クリーム、
長女にはお気に入りのチークカラーやグロス、すぐに毛が抜けて困っているというのでリップブラシなどを買ってやった。
私自身は化粧水1本、だけど、今度新しいウォーキングシューズとブーツを買うのだ。

明日は病院に行って、漢方薬と安定剤、抗鬱剤を30日分もらってこよう。
なんだかもう通院しなくてもいいような、何も困っていることがないようなそんな気分なのだが、
やはり、私の心が夫の存在を無視しようとするのが私の病気なのだろう。


道 順

2011年01月27日 14時13分32秒 | Weblog
この季節には珍しい晴天。
お昼前に帰ってきた夫が出かけるというので、ついでにホームセンターに寄ってもらうことにした。

夫は自分が欲しい物があるのでドラッグストアの買い物が好きで、
ドラッグストアの買い物には夫が行くことがいつの間にか暗黙的に決まってしまっている。

ところが、やはり洗濯や食器洗いの洗剤には私の好みがある。
たまには新しく出た柔軟剤を使ってみたくもなる。
歯磨き粉もこの前夫が買ってきた新製品キャンペーンのものはきれいなストライプを保つため、
チューブの中にまた何か袋のようなものがあって、白とブルーの歯磨き粉が分けて入れてあるようだ。
そのせいかチューブがごわついて硬く、少なくなってくるとかなり力を入れないと上手く絞れない。

前に使っていたベルガモットオレンジの味の歯磨き粉が娘たちにも好評だったので、
それに買い替えたいと思っていたが、夫に頼んでもよくわからないようだ。
洗剤も、紙に名前を書いて持たせても、液体のものや粉や詰め替えやいろいろあって違うものを買ってくることもあった。

ならば、自分で行けばいい、と思われるかもしれないが、
ドラッグストアに買い物に行くことは夫のたぶん“こだわり”なのだ。

(うわあ、トイレ用の洗剤を買い忘れた!と今気づいた。)

自分の好きなモノが買えるからだろう。

で、【自宅→夫の目的地】の一直線のコースの途中に、ホームセンターが加わり、
自宅→ホームセンター→夫の目的地】のコースになった。

国道を快調に飛ばす夫、ところが案の定、「ホームセンター」の前を素通りしてしまった。

自宅→図書館】ならば大丈夫なのに、
自宅→買い物→図書館】となると、ホームセンターの法則どおりならば、【買い物】を忘れるはずが、
【買い物】がすんでから【図書館】への道に迷う。
夫自身にあまり関心がないことが頭に入らないのだろうか。



ひと息

2011年01月26日 19時32分03秒 | Weblog
仕事が終わった。
明日は一日ゆっくり家の片付けなどをして、あさっては病院に行こう、と思ったら、
明日の昼間は夫が家にいる。
コタツに首まで入って寝るので掃除機もかけられない。
とても寒がるので、少しの間もエアコンを切ることができない。
朝夫が出かけた後に、急いで掃除をすませよう。

昨日の昼間、買い物に出た帰りにある場所を通った時、夫が、
「昨日ここに来た」
と言った。
月曜日の昼間も、夫は家で寝ていたはずだ。
そういうと、「あれ? じゃあ前の日だったかな?」
と言う。

言葉の出ない私に何かを尋ねるとき、たとえば
「今日買い物には行かなくていいんじゃないの?」
みたいな聞き方をする。
そうではなく、「行くか?」と聞いてくれればうなづくか首を振るかで意思表示ができる。
それと、「今日は公園には人がたくさんいた?」と聞くので、私が首を振っている間にもう、
「いなかった?」と次の質問をしてくる。
このとき、夫は私が首を振っているのが「いなかった?」という質問に対しての答えだと思ってしまうようで、
「へえ、寒いのにいっぱいいたんだ」
と全く逆の意味になって夫には伝わっている。
どうにもコミュニケーションが取れずにいるのだが、それでも別に何も困ることがないという不思議。

公園に人がたくさんいようがいまいが、私には何の意味もない。

月曜日の夕方、休みだった長女と私の父を訪ねた。
父は長女が来たことをとても喜んでいた。
夫の体調はどうか聞くので、年末からめまいがすると言っては休みの日は相変わらずゴロゴロしている、と言うと、
普段温厚な父も「めまいがするって言ったって・・」と言葉を濁していた。

休みの日は起こされるまで寝ていて、起きると同時にめまいがすると言って騒ぎ出す。
「寝て起きた時が調子が悪い」と言いながら、布団から出るだけでコタツでまた横になるので同じことなのだが・・。
人間は2本の足で立つようになっていて、立った姿勢で体の一番上に頭がのるようにできている。
それをいつも横になってばかりいるから、頭の位置、脳の位置が本来の立つ姿勢に合っていないのではないだろうか。
シロウトの考えだが、頭のてっぺんが上を向いていないことが多いから悪いのではないだろうか。


終 了

2011年01月20日 13時25分52秒 | Weblog
やっと済んだ~!
プリンターがないというだけで、パソコンで下書きしたものを手書きでプリントアウトするというアナログなjob。

レポート用紙7枚、少し省略したりもしたけれど、これでわかってもらえるはず。
ていうか、過去の記事やノートを見ながらまとめていっていると、
忘れていたはずのことなどがまた思い出されて嫌な気分。

夫の今の状態が何なのか、何となく自分でわかってきた。

job

2011年01月19日 21時45分46秒 | Weblog
仕事が終わった。
何というさばきのよさ。。
自画自賛w

なぜか夫は昨日からテンションが高く、それがかえって気に障る。
寝ると言って布団に入っていたのが、長女が帰宅したらまた起き出してきて、
この時間なのに大音量でテレビを見ている。

私はあの小さな欠片でも抗鬱剤が効いているのか毎日朝から元気よく、洗濯もお風呂掃除も体が軽い。

長女は職場に迎えに来てくれた彼氏と一緒に買い物をして帰宅、
彼氏のためにたらこスパゲティを作るというので、横から少し手伝いをしたが、
あらかじめネットで下調べをしていたようで結構手際よくやっていた。
味はどうだったのかはわからない・・。

私は物忘れ外来に行く夫のために、今まで家庭で気がついたことなどを手紙に書く作業をしないとならない。
本来ならば、医師に聞かれたことだけに答えればいいのだろうが、
私が長い話になると頭が混乱することがあるので。。
どこまで掘り下げて書けばいいのか、あまり長くなって煩わせてはいけないのだろうが、
それでもなるべく詳しく、わかりやすく書いたほうがいいかもしれない、などと
あれこれ思案しながらネットで下書きをしていく。

プリンターが壊れているので印刷ができず、またそれを手書きで書かなければならないという面倒臭さ。

一歩前へ

2011年01月18日 21時58分05秒 | Weblog
あまりにもめまいを訴えるので、
来月19日の予約を前倒しにして、今日病院に行かせた。
昨日夫が自分で電話で問い合わせをしたとき、電話口に出たのはたぶん、看護師さんだったはずだ。
「めまいがするので診てもらえないか」と言う夫に、

「めまいの原因はほとんどが三半規管に異常があることが多い、年を取るとめまいも起こりやすくなる、
運動などしてみてはどうですか?」
などと診察をしてもいないのに“原因”を説明して、対処法を告げ、しきりに耳鼻科に行くように勧め、
なかなか受診を受け入れてはくれなかったようだ。

夫が脳出血を起こしたことがあるし、物忘れもひどいので、と言うとようやく今日の午前中に診てくれることになった。

この病院は私の父のときにも危うく誤診をするところだった。
事故の多発性骨折で2週間入院していた父は、自然治癒を待つしかないということでこの救急病院を放り出された。
自宅に帰っても一人暮らしで家事が不安で、近くの整形外科に再入院、そこを退院してからもうまく歩けなかった。

父は10年以上前に慢性硬膜下血腫を起こしたことがあり、その時と感じが似ている、としきりと訴えた。
私が父を最初に入院していた救急病院に連れて行くと、
総合受付で随分と年季の入った看護師さんが先に問診をしていた。
子どもにジンマシンが出て連れて来ていた人は、その場で別の病院に行くように追い返されていた。

私は「脳外科でCTを撮ってほしい」と強く言い、なんとか脳外科に回された。
診察したのは標準語を話す医者とは思えないような優男で、

「お年寄りが多発性骨折で2週間も入院していたら、足が弱るのは当たり前ですよ。
若い人でも元の体力を取り戻すのに入院していた期間の倍はかかる。
お年寄りだからそれ以上の時間がないと、歩けるようにはならないですよ。」

と強い口調で言い切った。

それでも本人が前回と感じが似ていると言うのでCTを撮ってほしい、と言うと、

「撮ってくれと言われるなら撮りますけど」

としぶしぶ応じてくれた。
結果、
「やはり、慢性硬膜下血腫になってました・・」
と告げた時の医師の顔。。

調べてみもせずに一般論だけで片付けてしまえば、大事になるところだった。

私は挨拶や簡単な受け答え程度の話しかできないので、
気になることについては私自身が転院先で診察を受けたときのように手紙を書いてそれを夫に持たせた。

昨日になって夫は自分から、会社に転勤で新しく来た人の顔と名前が覚えられないこと、
相手から「先日はどうも・・」などと話しかけられても、
それが誰なのか、何のことを言っているのか思い出せないこともあり、
ただ「あぁ、はいはい」と適当に相槌を打ってしまうこともあると私に告げた。
そういうことも全部手紙に書き、私が話ができなくなり、通院先の病院の先生から
国立病院の物忘れ外来で検査を受けてみてはどうかと勧められていることを書き添えた。

夫は脳のCTと簡単な認知症の検査を受けてきた。
CTではアル●ハイマーの時に異常が見られやすい部位を調べてくれたらしいが、萎縮などはなかったが、
認知症の検査では覚えるようにいわれた5つの単語のうち1つを思い出すことができなかったらしい。

その病院の医師の話では、脳出血の後遺症で新しいことを覚えにくくなっているのではないか、ということで、
特に心配する程度のものではないとは言われたらしいが、よい機会なので一応物忘れ外来への紹介状をもらって帰ってきた。

ただ、夫は“物忘れがひどい”ということだけは私たち家族にははっきりわかっている。
しかし、その原因が何なのか、この先どうなるのか、そして何か治療法・対処法などはあるのか、
今は、それがわからないままだから不安や心配が多い。

帰宅して夫は早速自分の休みに合わせて診察の予約を取るために、教えてもらっていた電話番号に電話をかけた。

「もしもし、忘れ物外来ですか?」

おいおい、忘れ物外来ではなく“物忘れ外来”だ。

それでも、霧の中を一歩先へ進むことができたような気持ちになった。