夫は私の筆談の文章を最後まで読まず、途中で返事をするからおかしなことになる。
それに文章が質問文なのか普通の文なのかも理解できない。
「お昼を食べていないのでお腹すいた」
と書くと、
「いや、大丈夫」
と答える。
もともとメールでも「!」と「?」の使い方がよくわかっていないようで、意味が通じないこともあった。
いつも指を折っては睡眠時間か労働時間か何かよくわからないが数えている。
今日も水道からコップに水を入れた後、コップを左手に持って立ったまま、
右手の指を折っては何かをしきりに数えては首をひねる。
そして、水は飲まないまま流しに捨ててしまった。
今日は午後からの勤務で、午前中はロトを買いに行った。
給料日からわずか1週間で、夫は今月の小遣いを遣ってしまっている。
お昼過ぎぐらいに、シチューの下ごしらえをしかけて夫と筆談で話していた。
昨日の診察で先生から、
「全てがご主人のお父さんが亡くなってから始まってますね」
と言われたことを紙に書いた。
義父は30年間ほぼ寝たきりで、言葉が話せなくても、ただいるだけで、一家の主としての役割を立派に果たしていた、
その義父が亡くなったことで、「家」としての形がだんだん歪んできた。
「全てがそこから始まっています」
と先生が言われたので、亡くなった義父の存在がどんなに大切だったかということを夫に話したかった。
夫は
「お父さんが死んだことで、お前がしゃべれなくなったの?」
と聞いた。
先生の話では義母も長姉ほどではないが、ア症候群の特徴が出ているそうなので、
私は義父が言葉をしゃべれなかったから、30年もの長い間、義母は義父を看ることができたのではないかと内心思っていた。
今まで何のトラブルなく過ごせてきたのも、義父がいてくれたおかげで、
義父が黙って私を護ってくれていたのではないかと自分勝手に解釈をした。
義父が亡くなり、トラブルが続くようになったので、義父が自分を同じように私を話せなくしてくれて、
楽にしてくれたのではないか、と感じていた。
事実、話せなくなってから、あれほどひどかっためまいや吐き気がなくなり、夜もよく眠れる。
「話せないほうが楽だ」と先生にも心理士さんにも伝えてある。
義父が私を護ろうとして、話せなくしてくれたのではないか、と思ったりもする。
「亡くなったお父さんも話せなかった、私も、話せない」
と紙に書いたところで、夫が
「お父さんと同じ病気、って先生が言ったの?」
と聞く。
そして、お父さんがしゃべれなくなったのは脳出血の後遺症で・・、と一方的に話し始めるので、
私はだんだん混乱してくる。
そして何だかよく分からない息苦しさ。
過呼吸でも起きるのだろうか、呼吸が浅く、息がうまく吸えなくなり、
久しぶりに「具合が悪い」と感じて、最近すっかり忘れていた安定剤を半分に割って飲んだ。
先生は私を「ストッパー」だと表現された。
今まで誰も気付くことがなかったことに私が「おかしい」と気付いた、
私が気付くことがなければ、このまま何らかの遺伝を引き継いだまま、この家は絶えていたかもしれない、
それを食い止めるために私が必死で抗った、そのために強い抑圧がかかって私の声を押し込んだ、と説明された。
でもそうではなく、亡くなった義父が私を楽にしてくれたのだと私は思う。
私は義父の代わりになれるだろうか。
そういえば、今日は小さな声で賛美歌が少し歌えた。
昨日の夜も、父宛の手紙に封をするときに次女に糊を借りて、私が糊をつけるのを次女が横で見ていた。
次女が「つけすぎじゃない?」と言ったとき、無意識に「そう?」と小さな声が出た。
それに文章が質問文なのか普通の文なのかも理解できない。
「お昼を食べていないのでお腹すいた」
と書くと、
「いや、大丈夫」
と答える。
もともとメールでも「!」と「?」の使い方がよくわかっていないようで、意味が通じないこともあった。
いつも指を折っては睡眠時間か労働時間か何かよくわからないが数えている。
今日も水道からコップに水を入れた後、コップを左手に持って立ったまま、
右手の指を折っては何かをしきりに数えては首をひねる。
そして、水は飲まないまま流しに捨ててしまった。
今日は午後からの勤務で、午前中はロトを買いに行った。
給料日からわずか1週間で、夫は今月の小遣いを遣ってしまっている。
お昼過ぎぐらいに、シチューの下ごしらえをしかけて夫と筆談で話していた。
昨日の診察で先生から、
「全てがご主人のお父さんが亡くなってから始まってますね」
と言われたことを紙に書いた。
義父は30年間ほぼ寝たきりで、言葉が話せなくても、ただいるだけで、一家の主としての役割を立派に果たしていた、
その義父が亡くなったことで、「家」としての形がだんだん歪んできた。
「全てがそこから始まっています」
と先生が言われたので、亡くなった義父の存在がどんなに大切だったかということを夫に話したかった。
夫は
「お父さんが死んだことで、お前がしゃべれなくなったの?」
と聞いた。
先生の話では義母も長姉ほどではないが、ア症候群の特徴が出ているそうなので、
私は義父が言葉をしゃべれなかったから、30年もの長い間、義母は義父を看ることができたのではないかと内心思っていた。
今まで何のトラブルなく過ごせてきたのも、義父がいてくれたおかげで、
義父が黙って私を護ってくれていたのではないかと自分勝手に解釈をした。
義父が亡くなり、トラブルが続くようになったので、義父が自分を同じように私を話せなくしてくれて、
楽にしてくれたのではないか、と感じていた。
事実、話せなくなってから、あれほどひどかっためまいや吐き気がなくなり、夜もよく眠れる。
「話せないほうが楽だ」と先生にも心理士さんにも伝えてある。
義父が私を護ろうとして、話せなくしてくれたのではないか、と思ったりもする。
「亡くなったお父さんも話せなかった、私も、話せない」
と紙に書いたところで、夫が
「お父さんと同じ病気、って先生が言ったの?」
と聞く。
そして、お父さんがしゃべれなくなったのは脳出血の後遺症で・・、と一方的に話し始めるので、
私はだんだん混乱してくる。
そして何だかよく分からない息苦しさ。
過呼吸でも起きるのだろうか、呼吸が浅く、息がうまく吸えなくなり、
久しぶりに「具合が悪い」と感じて、最近すっかり忘れていた安定剤を半分に割って飲んだ。
先生は私を「ストッパー」だと表現された。
今まで誰も気付くことがなかったことに私が「おかしい」と気付いた、
私が気付くことがなければ、このまま何らかの遺伝を引き継いだまま、この家は絶えていたかもしれない、
それを食い止めるために私が必死で抗った、そのために強い抑圧がかかって私の声を押し込んだ、と説明された。
でもそうではなく、亡くなった義父が私を楽にしてくれたのだと私は思う。
私は義父の代わりになれるだろうか。
そういえば、今日は小さな声で賛美歌が少し歌えた。
昨日の夜も、父宛の手紙に封をするときに次女に糊を借りて、私が糊をつけるのを次女が横で見ていた。
次女が「つけすぎじゃない?」と言ったとき、無意識に「そう?」と小さな声が出た。