うみかぜ通信

日々の記録

代わり

2010年11月30日 15時28分06秒 | 健康
夫は私の筆談の文章を最後まで読まず、途中で返事をするからおかしなことになる。
それに文章が質問文なのか普通の文なのかも理解できない。

「お昼を食べていないのでお腹すいた」
と書くと、
「いや、大丈夫」
と答える。
もともとメールでも「!」と「?」の使い方がよくわかっていないようで、意味が通じないこともあった。

いつも指を折っては睡眠時間か労働時間か何かよくわからないが数えている。
今日も水道からコップに水を入れた後、コップを左手に持って立ったまま、
右手の指を折っては何かをしきりに数えては首をひねる。
そして、水は飲まないまま流しに捨ててしまった。

今日は午後からの勤務で、午前中はロトを買いに行った。
給料日からわずか1週間で、夫は今月の小遣いを遣ってしまっている。
お昼過ぎぐらいに、シチューの下ごしらえをしかけて夫と筆談で話していた。

昨日の診察で先生から、
「全てがご主人のお父さんが亡くなってから始まってますね」
と言われたことを紙に書いた。
義父は30年間ほぼ寝たきりで、言葉が話せなくても、ただいるだけで、一家の主としての役割を立派に果たしていた、
その義父が亡くなったことで、「家」としての形がだんだん歪んできた。

「全てがそこから始まっています」
と先生が言われたので、亡くなった義父の存在がどんなに大切だったかということを夫に話したかった。

夫は
「お父さんが死んだことで、お前がしゃべれなくなったの?」
と聞いた。
先生の話では義母も長姉ほどではないが、ア症候群の特徴が出ているそうなので、
私は義父が言葉をしゃべれなかったから、30年もの長い間、義母は義父を看ることができたのではないかと内心思っていた。

今まで何のトラブルなく過ごせてきたのも、義父がいてくれたおかげで、
義父が黙って私を護ってくれていたのではないかと自分勝手に解釈をした。
義父が亡くなり、トラブルが続くようになったので、義父が自分を同じように私を話せなくしてくれて、
楽にしてくれたのではないか、と感じていた。
事実、話せなくなってから、あれほどひどかっためまいや吐き気がなくなり、夜もよく眠れる。
「話せないほうが楽だ」と先生にも心理士さんにも伝えてある。
義父が私を護ろうとして、話せなくしてくれたのではないか、と思ったりもする。

「亡くなったお父さんも話せなかった、私も、話せない」
と紙に書いたところで、夫が
「お父さんと同じ病気、って先生が言ったの?」
と聞く。
そして、お父さんがしゃべれなくなったのは脳出血の後遺症で・・、と一方的に話し始めるので、
私はだんだん混乱してくる。

そして何だかよく分からない息苦しさ。
過呼吸でも起きるのだろうか、呼吸が浅く、息がうまく吸えなくなり、
久しぶりに「具合が悪い」と感じて、最近すっかり忘れていた安定剤を半分に割って飲んだ。

先生は私を「ストッパー」だと表現された。
今まで誰も気付くことがなかったことに私が「おかしい」と気付いた、
私が気付くことがなければ、このまま何らかの遺伝を引き継いだまま、この家は絶えていたかもしれない、
それを食い止めるために私が必死で抗った、そのために強い抑圧がかかって私の声を押し込んだ、と説明された。

でもそうではなく、亡くなった義父が私を楽にしてくれたのだと私は思う。
私は義父の代わりになれるだろうか。

そういえば、今日は小さな声で賛美歌が少し歌えた。
昨日の夜も、父宛の手紙に封をするときに次女に糊を借りて、私が糊をつけるのを次女が横で見ていた。
次女が「つけすぎじゃない?」と言ったとき、無意識に「そう?」と小さな声が出た。




ぬりえ

2010年11月30日 10時56分41秒 | 健康
最初は私の療養の記録を書き始めたのに、夫や家族への愚痴ばかり書くうちに、
それが、別の意味で役に立つことになった。
私が夫に対して「おかしい」と感じたり、腹立たしく感じたこと、
あるいは、夫の母親や長姉について同じく「おかしい」とか腹立たしく感じたこと、
それを書きなぐってきたことが、今、私の治療の役に立っている。

話せないので、伝えたいことはレポート用紙に書いていく。
はるか昔の、忘れようにも忘れらない夫や長姉の言動もあるが、
それとは別に、最近では夫について「おかしい」と感じることがあまりにも多すぎて、
なんだかそれが当たり前のような気がしてきて、小さなことは忘れてしまう。

ところが、その小さなことが診療の役に立つようで、
夫が土曜日の自分の診察日の帰りに「サプリ」を買ってくるので、薬局を教えてほしい、というので、
「バス通りの角から少し入って左側」
と私は答えた。
すると夫は
「“少し”って何メートル? 10メートル? 20メートル?」
と私に聞く。

私も初めて行った薬局で、夜の8時近く、暗いうえに私が話せないので、先生が一緒に来て下さった。
だから、私自身も、
「まっすぐ行って左側に“くすり”と看板が出ているところ」
とだけ記憶していて、それだけでも次からは一人で行くことができる、と思っていた。

ところが夫はそれでは納得しない。
そこで、グー●ルの地図を開いて見せて、何度も確認をしてようやく納得した話、
私の父が「何時に来て何時に帰ったか」と聞くこと、
長女を車で駅まで送って行く途中で、
「お母さんはお前とも話せないの?」
と、
「自分とだけ話をしないのではないか、と感じているらしい」
ことなどの情報がとても役に立つようで、
「こういう感覚そのものがおかしいですよね」
と、先生は納得されておられた。

夫は昨日の朝、「鼻が詰まっているから」と犬の散歩に行きたがらなかった。
お布団から出るのが億劫なようだった。
私が黙って(話せないので当然か)散歩の支度をしていると、
「俺が行こうか? 俺が行ってもいいよ?」
などと布団の中から声をかける。
私はそのまま犬を連れて出かけた。

今日の予定は昨日、
「朝、犬の薬と肛門腺絞り、10時半か11時ぐらいから私の病院」
と、紙に書いて伝えてあった。

夫は8時ぐらいだったかに一度起きてきて、トイレに行った後、
「動悸がする・・」
とまた布団に倒れ込んだ。
27日の職場の飲み会で、あれほど医師に禁止されていたアルコールを、ビール2杯と言ってはいたが飲んだせいだろう。
夫の場合、「アルコールが動悸の引き金になる」と医師にはっきり言われている。

1日3回飲むように処方されている動悸の薬は7時に飲んだ、という。
「動悸時」に頓服で飲むように指示されている薬を飲もうとすると、朝飲んだ薬と同じもので、
3回飲むのは1回1錠、頓服は1回2錠、これは2錠飲むべきか、1錠飲んだ後なので、1錠だけにするべきか、
私は朝の分を飲んですぐなので、1錠でいいのではないか、と伝えた。
量が多すぎて悪いことはあっても、少なくて悪いということはないだろう。

その後、夫は布団の中で息を潜めて安静にしていた。
私は最初から、たとえ夫が動悸など起こさなくても、送ってもらうつもりなど全くなかった。
私が病院に行っている間に、犬を公園に連れて行ってもらいたいと思っていたから。

夫が寝ている布団の横で、私は病院に行く身支度をしていた。
バスの時間を調べて、玄関を出ようとドアを開けた瞬間、夫が、
「送って行ってやるよ、もうよくなったから」
と言った。

本当に送ってくれる気があるのなら、私が身支度をしている間に、
「動悸が収まれば送っていってやろう」
などと声をかけるだろう。

私が玄関を出ようとした瞬間に声をかけて、それからいつものように、
煩雑な儀式のような夫の外出前の用意が終わるのを待ってから送ってもらっても遅くなるだけだ。
私は断って、自分で出かけた。

たぶん、これは後に夫の中では、
「送って行ってやる、と言ったのに断った」
という言い訳になるのだろうと思う。

月曜日にしては病院は思ったよりも患者さんが少なく、HPにかかれているような
「よい病院だけれども待ち時間が長すぎる」
ということもなかった。
今日は、初診時に詳しい話は伝えていたのでカウンセラーさんとの面談はなく、
先生の指示で何か心理テストのような“ぬり絵”をすることになり、
たくさんの複雑なデザインの中から好きな図柄を4~5枚選んで、それに色を塗るように言われたが、
本当は頭が混乱して選ぶことも大変だったし、塗ることも面倒でたまらなかった。

塗り始めてすぐ、先生が様子を見に来られ、終わった後にその絵を見て、
「ステンドグラスのような感じですね」
「一番先に赤から塗られてましたね」
「全体に対象に規則正しく、寒色も暖色も使って、丁寧に塗られてますね」
「優しい色遣いですね」
などと言われたけれども、そのぬり絵から読み取れたであろう私の心理、
「怒りや悲しみなどが自然に現れる」
と言うことについては、詳しい説明はなかった。

家に帰ってそのぬり絵について検索してみると、ストレス解消などにいい、と書いてあったが、
「家族再生」のために治療として使われることもある、と書いてあった。



寒い朝

2010年11月29日 07時56分27秒 | Weblog
朝刊を取ってこようと玄関のドアを開けると、軒先から何かの鳥が驚いて飛び立った。
たぶん、一夜の宿をわが家の軒先で過ごしたのだろう。
今朝はとても寒く、車のフロントガラスが凍っていた。

夫は私が自分以外の人とは普通に会話しているのではないかと不審に思い始めたようで、
昨日長女を駅まで送る車の中で、長女とも話せないのか聞いたらしい。
自分のときだけ特に話せないような気がする、と気にしていたらしい。

土曜日に脳外科の診察に行く時に、「自分でおかしいと思うことある?」と紙に書いて聞いた。
「日にちがずれたり、高速道路の料金所でお金を払わないでそのまま行こうとして、
その時とっさに“ETCと勘違いしていた”などと嘘をついてしまう。
会社の人からもときどき同じことを何回も言っている、と言われることがある」
と言うので、
「じゃあそれを、今日自分で先生に聞いてみなさい」
と言って病院に行かせた。

検査の結果も異常なく、夫の脳の病気そのものがアルツハイマーなどの原因になるものではなく、
言葉も歩くことも支障がない、仕事にも行けているのでどこも悪くない、と言われたらしい。

そのなると、今度は「じゃあいったいどこが悪いのだ」と思っていることだろう。
本人にア症候群の疑いがあるということを話したほうがいいのではないか、
それを今日の診察で先生に相談してみよう。

夫の2番目の姉には、昨日長女に頼んで手紙を投函してもらった。
それにア症候群の疑いがあると言われたことも書いた。
そうでないと、次姉にはいろいろと夫のおかしな言動について話し、相談に乗ってもらっていた手前、
私が言葉が出なくなったからと言って、全く無視するわけにはいかないだろう。
次姉がもし、普通に理解できるのなら、
あの手紙を読めば、義母と長姉もア症候群の疑いがある、ということをわかってくれるだろう。
それと、先日夫のお数珠を直してもらったことのお礼も言ってなかったので
それについても書き添えた。
電話ににも出られず、次姉も不審に思ったかもしれない。

あの手紙を読んで次姉が気分を悪くするかもしれない、私に反感を持つかもしれない、
でも、もうそれならそれでいいや。



父来たる

2010年11月27日 15時07分14秒 | Weblog
昨晩父から電話があって、今日の午前中、夫が脳外科の診察に行っている間に父が訪ねてきた。
父からの電話があったとき、次女は二階でゲームに夢中になっていて電話の音にすぐに気付かなかった。

「おじいちゃんが明日来るって言うけど、お母さんおうちにいる?」
と聞くので、指でOKマークを作って返事をした。
「いいって」
と答えた後に、「おじいちゃん、あのねえ・・」
と次女の長い長い話が始まった。

私は紙に
「お父さんが10時から病院に行くけど、私はいるから」
と書いて、それを次女から父に伝えてもらおうとしたが、次女はとてもテンション高く父と話していて、
私の方などもう振り向かなかった。
自分の話だけをして、「じゃあ明日ね」と電話を切ってしまいそうな感じだった。

父はそれで判断して、夫がいるときに来たければその時間より早めに来るだろうし、
夫がいないほうが都合がよければ、夫が出かけた頃に来るだろう。

次女にはただその通りに父に伝えてくれればよかったのだが、
次女はそれがどういう意味なのかを自分が納得できなかったようで、
「お父さんがいないときに来て、って言うの?それともお父さんがいるときに来て、って言うの?」
と私に聞いた。

それは父自身が決めることだという大人の暗黙のルールが、次女にはまだ理解できなかったようだった。

夫は病院に行く前に、私が病院で夫に飲ませるように勧められたサプリを買っていくので、
薬局の場所を教えて欲しい、と私に言った。
私の診察が終わったのは夜の8時で外は真っ暗だったし、初めて行く場所でよく分からず、
私が言葉が出ないために先生が薬局まで付き添ってくださった。
「角から少し行って左側」と私が紙に書くと、「何メートルぐらい?」と聞く。

「少し」とか「ちょっと」とかいう曖昧な表現では理解できないのだろうが、
私も何メートルかと聞かれても正確には答えられない。
グー●ルの地図を出して見せてやっと納得できたようだった。

父が来てからしばらくして病院の夫からメールが来たので、「父が来た」と返信した。
それからしばらくして、「もう帰った?」とメールが来たので、
「買い物があるというので娘が車で送って行った」と返信した。

夫が帰って来て、父が何時に来て何時に帰ったのか聞くので、
こんな話になってくると私の頭が混乱してくる。
誰かから電話があった、と伝えれば「何時に?」などと正確な時間を伝えなければ納得しない人なので、
デスクメモでも置いて「何時何分○○さんよりTEL」とメモしておかなければならないのかと思うこともあったが、
話ができない今、どうでもよいことをあれこれ質問攻めにされると頭が混乱してしまう。

ア症候群は子どもの場合は親が、成人の場合は本人が「何だかおかしい」と気付いて病院に行って診断されることが多いらしいが、
子どもの場合は親が、成人の場合は本人がそれぞれ気をつけたり工夫すると暮らしやすくなるらしいので、
本人に本当のことを話したほうがいいのではないかとも思う。

そうすれば、義母や長姉のことも理解でき、納得できるのではないだろうか。

美容院

2010年11月26日 13時53分15秒 | Weblog
びょういん、ではなく、びよういん、久しぶりに美容院に行って来た。
夫も娘たちも話せないのに美容院に行って大丈夫かと心配したが、
何年も通っているお店、特に髪形を変えるとかもないし、
いつも行くたびに、
「いつもと同じでいいですか?」 「はい」 
だからこれで通じるはず。

でも今日は、髪の色をもう少し明るくしたいと思っていた。
それを紙に書くのも面倒だし、今までどおりならそれでもいいか、と思っていたら、
なぜか先生が「髪の色はどうしましょう? 今日は少し明るくしてみますか?」
と尋ねてくれて、うなづくことで通じた。

「前髪は目に入らないぐらいに切ったらいいですか?」
と聞くので、眉のラインを指で示して通じた。

行きつけの美容院があるという何でもないようなことが幸せだと思えた。

私が話せなくなったことで、夫のことが全部わかって目の前の霧が晴れた。
いろんなことが見えるようになった。




あれ?

2010年11月25日 15時17分50秒 | Weblog
今までと同じ書き方をしているのに、なぜか火曜日の分は改行が反映されていなかった。

記事も途中までだったのに、これは私自身のミスで書きかけの記事をそのまま投稿してしまっていた。
たぶん、途中で誰か家族が帰って来たので、慌てて投稿してしまったのだろう。

体調は悪くなく、むしろ犬の散歩で長い距離を歩いてもめまいなどの心配をすることがなくなった。
そして、昨日の閲覧者数の多さに心臓の縮む思いをしながら、
カボチャを煮て、ほうれん草をゆでて、ささみにフライ衣をつけて、
あとはフライを揚げて晩ご飯を食べるのみ・・。

新しい病院でもらった漢方薬が合うのか合わないのか、
昨夜は飲んだ後に激しい腹鳴とともにおよそ何ヶ月ぶりかの下痢。
漢方薬はメンゲン?とかいって飲み始めると一時的に今までより症状が強くなることがあるのは知っている。
坐骨神経痛で漢方薬を飲んでいた人が、ある日突然激しく下痢をして、
トイレから出た途端に、太ももの裏の引きつるような痛みがすっかりよくなっていた、と聞いたこともある。

午前中犬を連れて郵便局に父に手紙を出しに行き、犬をポストに繋いでいたら、
私について入ろうとするので自動ドアが開きっぱなし、
犬が心配そうな顔で私を見ていた。

私の手紙はもう父のもとへ届いて、父はあれを読んだだろう。
いつもいつも父には心配ばかりかける。
それを何度も何度も詫びたけれども、父はやはり私を、子どもたちを心配するだろう。

自分で直接話ができないもどかしさ。
夫には言えないこと、子どもたちには言えないこと、だから手紙を書くしか父に伝える方法がなかった。

今、こういう状態になって、今までのことを全部はっきり自分で納得できて、理解できた。
全てつじつまが合う。

神さまがそれを私に教えるためにされたこと。
今はそれに感謝して、静かに受け入れている。

納 得

2010年11月23日 19時53分36秒 | Weblog
昨日、紹介状を持って新しい病院に行って来た。

言葉が出ないので病気になってから今までのだいたいの様子をレポート用紙に書いていった。
あまりくどくどと書かないほうがいいだろうと少し遠慮していたら、
もう少し詳しく書いていたほうがよかったようで、分からないことは筆談となった。

最初にカウンセラーの女性と1時間の面談があった。
私が持参した手紙の中で、カウンセラーさんが最初に関心を持ったのはやはり夫のことで、
「脳出血後少し記憶が混乱する」ことについて詳しく聞かれた。
幸い夫の再診日に付き添うことになったとき主治医にお話しするために
走り書き程度に様子を書き留めたノートを持っていたのでそれを見せながら、
別に質問されることについては筆談で答えるかたちになった。

カウンセラーさんは
「随分大変だったですねえ、続きましたねえ」
とゆっくり話をされた。

とにかく夫や義母、それに長姉とのことについて何度も繰り返し聞かれ、
「ありえないですよねえ・・、その時どう思われましたか?」
「そうですか、その時どう思われましたか?」
と、私の気持ち、感情を何度も私の言葉で話させようと(書かせようと)する。

そして、私の現在の体の様子や飲んでいる薬のことなどを聞かれ、
夫には「ぴったりのものがありますよ」とサプリメントのような容器を取り出した。

その時内心、「ああ、いい病院、いい先生とは聞いてきたけども、やはりサプリなどを買わされるのか・・」
と少々落胆した。
視野がとても広くなり、夫のような人にはとてもよく効く、と言われた。

それから、夫が倒れる前はどういう人だったか、一緒に暮らしていて、どんな感じだったか、と聞かれたので、
簡単に「神経症的な人」 「感覚が違う」とノートに書いた。

たとえば、どんな時にそれを感じたか聞かれたので、
2005年5月にガンで入院していた私の母親の容態が悪くなり、いつ急変するか分からない、と告げられた時、
夫が、自分は足の悪い母親に付き添わないといけないので、通夜と葬儀には実家から母親と一緒に出て、
一緒に帰る、
だからと当日は親族の席には座らないで、一般会葬者としてお参りをさせてほしい、と言われたこと、
私が家の駐車場の横の石につまづいて転んだ時に、車の運転席にいた夫が窓を開けて、
笑いながら「バカや」と言ったこと・・

そんなふうに、あの時夫からああ言われたこう言われた、といちいち気にして、
それをいつまでも根に持つように心の中に溜め込んでいる私がおかしいのかとも思いながら、ノートに書いていった。

カウンセラーさんが、
「あなたはいたって普通の人、話にも整合性がある。ご主人さんに問題があると私は思います。」
と言われたので、私はノートに「注●欠●障害?」と書いた。
「それはどうして知りましたか?」と聞かれたので、何かおかしいと思っていたので、私が自分でネットでいろいろ調べた、と書いた。
「それよりも全部当てはまるものがあるんですけど、言ってもいいいですか?
奥さんも“なにかおかしい”と気付いておられるようだし、冷静でおられるので・・」
と、遠慮がちに言うので、「何?」と聞くと、部屋の書棚から一冊の本を取り出してその表紙を私に向けて見せた。

「おとなのアス●●ガー症●群」

それで今まで私が夫に対して
「何かおかしい」 「普通ではない」 「通じない」と感じていたことの原因が全て理解できて、全部納得できた。

チラ裏

2010年11月21日 18時14分11秒 | Weblog
たぶんどこかが悪くて、更新する気になれなかったのだろう。
パソコンを開く気にもなれなかった。

言葉を失ってから3日、筆談をするために裏の白い折り込み広告を探すのが朝の日課になったが、
不景気からなのか、チラシは小さな紙に両面印刷されているものが多くなった。

その中で裏が白いチラシを入れるのが唯一パチンコ店。
さんざん儲かっているのだろうな・・と思いながら、毎朝せっせと裏の白いチラシを集める。

無意識にかけられた言葉、例えば犬の散歩の途中にすれ違った人から突然挨拶されると、
それに対しては、「・・ます」程度の言葉は出るし、
ぼんやり考え事をしながら玄関を開けるときには「ただいま・・」と出る。
それが、たとえ家族でも向かい合って話すと、何も話せなくなる。

同じことを何度も聞かれ、同じ話を何度も聞かされ、同じ返事を何度もする、
それに同じことで何度も夫を問い詰める、
だから、それなりの理由があって神さまが私の口を封じたのだろう。

言葉が話せなければ、言い争うこともないし、憎まれることもない。
言ってもいないことを言っていた、と嘘までついて悪く言われることもない。

また降圧剤を飲み始めたからか、動悸がひどい。

明日は新しい先生に診てもらえる。

1点

2010年11月14日 20時07分00秒 | Weblog
昨日から精神状態が悪い。
夫が先日ホルター心電図を録った病院に再診に行くために休みを取ったからだろうか。

出かける前に、診察代を、と言うので、財布の中にはもう2千円しかない、と言うと、
次女の進学のために使わずにおこうと決めていた子ども手当てが振り込まれる通帳から下ろしていった。

最近の夫はこわい。
前は何か言っても黙り込むことが多かったが、最近では私や子どもに対して気に入らないことがあると、
さっとその場を立って行って、キッチンや廊下やトイレなどで口汚く悪態をつくことが多くなった。

次女は今日英検を受けに行ったが、英検を受けることをお父さんには黙っていて欲しいという。
学校の定期試験もいつあるのかということは私にはこっそり教えるけれども、
お父さんには言わないでほしいという。
前に美術のテストが99点だった時に、99点をほめてはくれず、落としてしまった1点のことを
「なぜあと1点が取れなかったのか、あと1点で100点だったのに悔しいとは思わないのか」
と次女を責めた。

そういうところがいやだと次女は自分の父親を嫌う。

懐かしい人

2010年11月12日 13時40分57秒 | Weblog
歩いて30分ほどの公園に犬の散歩に行ったら、9年前に1年間だけ同じ職場で臨時の仕事をしていた女性と偶然会った。
「きゃぁ~、○○さん! 懐かしい~!」
と彼女の方から声をかけてくださった。

テディベアみたいなかわいいプードルを連れていた。
今年から飼い始めたけど、分からないことばっかりで・・、としばらく立ち話をした。

聞くと、彼女も毎日この公園に犬を連れて来ているという。
私の方が仕事や体調の都合で時間が決まっていなくて、
たまたま今日、正午過ぎなどの変わった時間に出かけたので会ったのだろうが、
彼女の方も、この時間に来るのは今日が初めて、だと話していた。

彼女の携帯が鳴って、娘さんを迎えに行かないといけないからと帰って行かれた。

「よかった、毎日来ているのなら、またいつか会えますね!」

の言葉を残して。

私に会えたことを喜んでくれる人がいる、それが、言葉だけのことだとしても、
彼女と話せた時間は楽しかった。