うみかぜ通信

日々の記録

子どもを産む機械

2007年01月31日 05時20分10秒 | Weblog

沈丁花は母を思い出します。
それから、同じ頃に咲くスイセン、
どちらも2月半ばの母の誕生日のころ、爽やかな香りを漂わせて咲きます。

女性を子どもを産む機械だと表現した柳澤伯夫厚生労働大臣は、
自分の母親のことも冷たく感情のない機械だと思っているのでしょうか。
あたたかく、優しい思い出はないのでしょうか。
だとすると大臣という地位や名誉は手に入れたかもしれないし、
経済的にも裕福であるのかもしれないけれども、心は寒々しく、お気の毒な方です。

柳澤大臣の発言は“少子化の原因は女性が子どもを産まないからだ”と
女性に全責任を転嫁しているようにも感じられますが、それは違うと思う。
日本の経済は労働者が長時間残業や単身赴任などで企業から言われるまま機械のように働き、
家庭を犠牲にしてきたことで発展してきたのだと思います。
その結果日本は戦後短期間で経済的に豊かになり、
国際的にも経済大国として不動の地位を手に入れたかもしれませんが、
本質は柳澤伯夫大臣と同じように、“心貧しい”国なのかもしれません。

ところで、“少子化問題”に政府は真剣に取り組んでいるようですが、
少子化だと何か困ることがありますか。
狭い島国の人口がこれ以上増えるほうが困ることが多いのではないでしょうか。
住宅や教育においても、今でさえとても窮屈です。
少ない子どもたちですらまともにしつけのできない社会で、少年犯罪が増えています。

年金を納める人や税収が少なくなることで財源が減って困りますか。
結局は“お金”でしょう。
国は、今まで潤沢な税金でゼイタクな暮らしをしてきたのではないでしょうか。
一般家庭では勤労者の所得は勤務先の事情によって、一方的に問答無用で少なくなります。
そうなっても、家計を預かる主婦としては
労働者(主にご主人方)にもっと働いてもっと収入を増やしなさい、ということも出来ず、
(だって、出すほうが出さないのですから・・。)
そうなるとどう対策を講じるかというと、
家庭内での経費を見直し、支出を削減するように努めることになるでしょう。
このように一般家庭では他人のお金など当てにせず、自分たちでやりくりをしているのです。
足りないからもっと出しなさい、ではなく、
足りないときにこそ無駄な出費を減らし“倹約”をするという知恵は、
国民が納めた莫大な税金を取り扱う方々にこそ必要なのではないでしょうか。
この先増税などで国民の負担が増えることになると、
ますます少子化が進んでしまうと思います。

小さな子どもはがんぜなくてかわいいです。
だけれども、安心して子どもを産み育てる環境が整っていないと、
かわいいだけでは子どもは育てられません。
繁殖に生涯を費やす野生動物でさえ、環境が悪いと繁殖率が悪くなる。
餌が少ない年に子どもを産んでも、
子どもたちだけでなく大人ですら食べることに困ることになるとわかっているのでしょう。
そうやって子どもを、自分たちの種を守っているのですね・・。
子どもの数が少なくなっているということは、
それだけこの国が安心して子どもを産み育てられる環境ではないということでしょう。







絵葉書2葉

2007年01月30日 14時12分57秒 | Weblog

素晴らしい青空です。
だけどとても寒い。
空気がガラスみたいにパリパリしています。
午前中で仕事が終わって、明日の午後まで少しの間だけの~んびりできます。。
というわけで、今日はゆっくりとお出かけ。
海沿いの国道を5分ぐらい車で走って、工場が建ち並ぶ場所へ行ってみました。
いつものお買い物の通り道ですが、写真を撮るのは初めて、撮ってみたかったのです。

私の町では昔は大きな工場や商社、銀行の支店などが軒を並べ、とても賑やかなところでしたが、
人や物の移動が海路から陸路、空路へ移り変わっていくうちに、ほとんどの企業が撤退して行き、
華やかだった歴史を語り継ぐ古い建物だけが骸のように残っています。
市は今までに市民の声を無視していくつもの赤レンガ倉庫や
明治時代に建築された頑強なレンガ造りの建物を壊し続けてきた。
これらの建物を大切に保存しようという市民運動が盛んですが、
失われた時間は二度とは戻っては来ないですね・・。

最近では頻繁にドラマや映画のロケが張られます。
主に戦争もの、野戦病院や軍の施設などの設定で使われています。
ぶらぶらと散策していて人だかりができていると、
反町隆史くんや伊藤英明くんみたいな、
思いがけないイケメン俳優に遭遇することもあるのです。
それを期待していつもデジカメを首からぶら下げて歩いているので、
いつかツーショット写真を載せられるかもしれません。

空がきれいでしょう。
絵葉書みたいですね・・。

がんばれ宮崎県

2007年01月29日 12時52分02秒 | おいしいもの

久しぶりにひとりで食べるお昼ご飯は“親子丼”。
みつばがなかったので、とりあえず青みはネギで・・。
鶏肉は宮崎産。
卵は解放農場の“産みっぱなし”。
いったい何を食っとんの??というほど殻が固く、割るのが大変です。
黄身は濃い黄色でまん丸。
卵焼きにするとクリーム色になるスーパーの卵とは違います。

宮崎県に続いて岡山県でも強毒性の鳥インフルエンザが確認されたそうですが、
鶏肉や鶏卵からの人間への感染はないそうです。
こういう事態になったとき、
くだらない憶測に振り回されず冷静に対処することが大切だと思います。
たぶん、鳥インフルエンザのウイルスは感染した野鳥のフンが乾燥した後に、
風に乗って運ばれるのでしょう。
だから、防鳥ネットなど通り抜けてしまうんでしょう。
完璧に感染を防ぐには工場みたいに外気が遮断できる場所で飼育しないと
ダメなんでしょうか。
そうなると空調も必要になってきて経費がかかりますね。
でも、そんな場所で生産される鶏肉も卵もあんまり健康そうではないですね・・。
冬の間だけでもビニールハウスみたいに鶏舎に覆いをかけるのはどうなんでしょう。
日本は自分たちの食生活を外国に頼りすぎです。
国内の農業をもっと大切にしなくては。
その意味でも鳥インフルエンザ対策には国全体で取り組むべきだと思います。

宮崎県、岡山県で養鶏を営んでおられる方々を応援します。

花ゲリラ

2007年01月28日 07時56分25秒 | Weblog

「花ゲリラ」。
最初にこの言葉を見たときには、何のことだろうと思いました。
新聞の投書欄で73歳の男性が、
“庭のスイセンが増えすぎて球根を掘り出したものの捨てるには忍びなく、
通い慣れた松林に植えた”、
年が明けてその球根が真っ白な花を咲かせているのを見たときの感動を書いておられました。
その記事の中で、
戦後の復興期にある文芸誌に載っていた「花ゲリラ」という言葉に触れていました。
「花ゲリラ」とは、他人の屋敷の庭先や電柱の陰などに花の種子をこっそりとまき、
花を咲かせてはひとりひそかに楽しむものだそうです。

掘り出した球根を捨てるには忍びないと思い松林に植えた、
この男性はとても優しい心を持っておられると思います。
冷たくて物言わぬ球根にも、この男性は“命”を感じたのでしょう。
と同時に、殺伐とした戦後復興期に「花ゲリラ」などというものを思いつき、楽しんでいた人々も、
心の隅っこの灯心に小さな小さなあたたかな火を灯し続けておられたのでしょう。

この記事を読んで、昨年の秋、いつも散歩をする登山道沿いに
ヒガンバナが点々と咲いていたことを思い出しました。
土などほとんどないような岩肌にも、等間隔に赤いかがり火のような花を咲かせているのを見て、
きっと誰かが植えたのだろうとは思っていましたが、
気にかけて見てみると、標高175mの山をぐるっと1周回る登山道路と、
周囲の公園や駐車場の植え込みの中にも、ヒガンバナは植えてありました。
この花に何かの思い入れのある人が植えたのでしょうが、
これも「花ゲリラ」なのでしょう。

家を建てて庭木を入れたときに、ハナミズキの根元に小さなモミジが根付いているのを見つけ、
嬉しくなったこともあります。
ある日気付くと庭に植えた覚えのない草花が咲いていた、というのも
思いがけない幸せであるかも知れません。


祝・当選?!

2007年01月27日 18時20分15秒 | Weblog

いつもお買い物をするスーパーの懸賞に申し込んでいたら、
今日いきなり“ちゃんこ鍋セット”の「当選通知」が届きました。
確か“ふぐ鍋セット”と“博多水炊きセット”もあって、家族で話し合って決めたのですが、
相撲部屋じゃあるまいし、なぜ、“ちゃんこ鍋セット”を選んだのか、意味不明。
2月16日から28日までの好きな日に届けてくれるということなので、
一番早い土曜日になる17日を指定して、同封してあったハガキを出しました。
17日に“ちゃんこ鍋セット”が届いたら、どんなものかまた写真を載せます。
「特上グルメプレゼント」ということなので、さぞかし立派なモノが届くと内心期待しています。。

ところで、懸賞で思い出すのは、兄が小学生の頃、
東京オリンピックの数年後だったと思いますが、
テレビのクイズで当たったカラーテレビのことです。
「九州百景」というローカル番組で、
「阿蘇5岳の中でいちばん高いのはどれでしょう」というクイズで、
兄がハガキに「中岳」と書いて出したものが抽選でカラーテレビが当たったのです。
番組の最後の当選者発表に大きく兄の名前が出たときには大騒ぎでした。
しばらくしてハガキが届き、当時は宅配便などなかったので、
かなり距離のある国鉄の貨物駅まで自分で取りにいかなければならなかったのです。
当時わが家には車がなく、
いつもわが家にテレビを見に来ていた近所のおばあちゃんの息子さんが、
「ばあちゃんがお世話になっているので」と快く引き受けてくださり、
オート三輪で取りに行ってくれました。
どこのメーカーだったかは覚えていませんが、近所の人が大勢見に来られ、
大相撲の中継がある夕方にはわが家のテレビの前にはお年寄りが集まっていて、
あの頃の冬はとても寒かったけれども、人の心は今よりも温かかったように感じます。

霜の朝

2007年01月25日 05時06分21秒 | Weblog

“霜のあさっては雨”。
だから、土曜日は雨。
真っ白に霜が降りた日はよく晴れるから、
あさっての雨に備えてお洗濯や干し物をしたり、出かけたり・・。

寒い日の海は灰色がかった薄い緑。
白い波が蝶のように跳ねています。
お天気のいい日は濃紺で、鏡のように船を映します。

船だまりで“ナマコ”らしきもの(?)を捕っているおじさんがいました。
底が見えるぐらいに水が透明なので、
柄の長いタモ網の、柄と反対側の縁にブリキを巻いて、
それでコンクリートや岩にくっついている“ナマコ”を剥がして捕るのです。
漁具の手入れをする人がいたり、タコが干してあったり、
観光客で賑やかな市街地とは違って、裏通りはとても静かで、
それでいて人々の生活のぬくもりがあります。

春になると背景の山全体がソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラで桜色に染められ、
お花見の人々の笑顔があふれます。


春よ来い

2007年01月24日 19時45分12秒 | Weblog

素晴らしい青空でした。
この時季、冬枯れているような山々も、
よく見ると桜の木の枝はほんのりと紫色が注してきて、柔らかに煙っています。
この冬は暖かいので、桜もあっという間に咲いて散るかもしれません。
清少納言は「春は曙」と言ったけれども、
私は少し日が長くなり始めたころの暮れなずむ夕方が好きです。
慌しく日暮れに追われていた頃に比べると、
ゆったりとした気持ちで一日が終われるからです。
今日は八幡さまへの参道から海辺へと抜けて、海沿いの遊歩道を歩きました。

前にも書きましたが、
自分は不幸だと思っている人に不幸の理由を尋ねると、
あれもこれもといくつも指折り数えて訴えるそうですが、
自分は幸せだと思っている人の幸せの理由はたったひとつ、
それも、自分や家族が健康であることや、いい友人がいることなど、些細なことだそうです。

とても穏やかな気持ちで一日を過ごせたことが、今日の私の幸せでした。

誕生日

2007年01月23日 05時19分16秒 | Weblog

今日はわが家の愛犬の誕生日です。
あっという間に年を取って、いつの間にかわが家でいちばんのお年寄りになってしまいました。
ガラス越しの日光浴をしながら、一日の大半をうつらうつらと眠っています。

人は自分の誕生日をいろんな思いで迎えます。
特に女性はある程度年を取ると「もう誕生日など来なくていい」と思う人もいるでしょう。
私は年は毎年ひとつずつ神さまからいただくもので、
この世に生まれて生かされていることに気付き、
誕生日は両親や周囲の人々に感謝する日でもあり、お祝いの日、慶びの日と考えます。
世の中にはいろんな事情の人がいます。
お祝いごと、喜びごととは縁遠い人もおられるでしょう。
誕生日は世界中のどんな人にも1年に1度公平に与えられた慶びの日だと思うのです。
どんな人でもその人が生きていることそのものがお祝い、慶びであり、
その人の存在、命の尊さについて考える日ではないかと思います。
人はいたずらに年を取り、老いていくだけではなく、
1年1年を目に見えない不思議な力で護られ、
1年ごとに大切なかけがえのないものとして、その存在は大きくなっていくのではないでしょうか。
誕生日に与えられるひとつの年齢は、
その人が生きている重み、その人に注がれる周囲の人からの愛情や信頼の深さなどであって、
決して老醜などではないと私は思っています。

お久しぶり!

2007年01月22日 12時29分21秒 | おいしいもの

お買い物に行ってみると、納豆ありましたね。
しかも山積み、あの騒ぎの後に買うのは気が引けるのか、もう誰も見向きもしません。
お買い物中に義姉と会った時に、
「あるある大事典」のせいで納豆が品切れだと義姉から聞いたので、
これもブログで検索してみると、今月の12日だったから、10日ぶりの納豆ですね。
「フードファディズム(食の流行かぶれ)」に振り回されてきたおばさんたち、
これで目が醒めてくれるといいのですが。。
そうでないと普通の食生活を送っている私たちのような人間が、大迷惑です。

ところで、あるインド人から聞いた話ですが、
こういうとまた「あるある的」になってしまうかもしれませんが、
日本のカレーライスに一番合う“薬味”は納豆だそうです。
普通のカレーライスの上に納豆を載せて食べるだけですが、これが結構おいしいですよ。
大根おろしと一緒にバターで炒めて食べるのもおいしいです。(これは子どもの離乳食メニューでした。)

ま、これでようやく熱々ご飯の上に納豆を載せていただけますね。



なぜ恋に落ちる

2007年01月20日 08時03分12秒 | Weblog

朝日新聞に興味深い記事がありました。
趣味や嗜好の似た者同士が好きになる傾向があるというのはわかりますが、
じゃあお互いの趣味なんか知らないままの「一目ぼれ」はどう説明するのか、ということになりますよね。
「一目ぼれ」は“一時的な気の迷い”??
いえいえ、「一目ぼれ」こそがむしろ相手との共通性を
一瞬にして感じ取る“運命的な出会い”なのだそうです。
動物はより免疫力の強い子孫を残すために、
免疫力の型がなるべく違うタイプの異性を本能で選んでいるそうで、人間もそうなのだそうです。
実験によると、自分と免疫力システムが違う相手を汗のにおいから識別しているようですね・・。
ただ、恋愛感情にはいい加減なところもあって、
“スリル”を感じて“ドキドキ”することを恋愛感情だと勘違いしてしまうそうです。
いつかバレるかも・・ってドキドキしてる“不倫の恋”ってこれじゃないでしょうか??
そっか、不倫って悲しき“勘違い”なんですね。。
んじゃあ“究極のエクスタシー”(?)ってことで話題になってる映画「愛の流刑地」は、
ほんとうの恋愛ではないということですね・・。
かつて“抱かれたい俳優№1”に選ばれたこともある豊川悦司は
たしかに何の役をやってもちょっとアブナイ雰囲気で私もすっごい好きなんだけれども・・、
あれ?やっぱり私も“アブナイ”のが好きなのかな??

人間は人とつながっていたいという強い欲望を満たす手段として、
「人間同士の最高のコミュニケーション」である恋愛をするのだそうです。

ところで、赤い糸でつながっている“運命の人”っていると思いますか?
スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏によると、
「運命は前世から決まっているように感じますがそうではありません。
現世でどんな人たちに出会うかは宿命で決まっていますが、
その中からどの恋人を選ぶかは自分で変えられる運命なんです。」
だそうです。