「理想の生活」・・・なんて書いたけど、たぶんこれは「夢」とか「憧れ」とかそういうもんじゃないです。
実現不可能な、非現実的なことを思ってるわけじゃないし、
単純に、そうであろう、そうなろうと思ってる。
理想は「こうだったらもっと心地いいな~♪もっと気持ち良いな~♪ラクだな~♪」
という指針からきてます。
でもきっと、ゆるなちゅな生活にシフトする前の私だったら、
理想の生活に掲げる指針は「自分や周りから見て、かっこいいこと」だったかも。
この点の違いはすごく大きい。
前々回から書こうとしていた「ひとつの帽子」のお話ですが、
これを思うきっかけになったのは、1つの本。
スターバックス・インターナショナル元社長 ハワード・ビーハーさんの、
「スターバックスを世界一にするために守り続けてきた大切な原則」(日本経済新聞出版)
多くの経営者が同じことをよく言っていると思いますが、
スターバックスがこれだけ世界中に店舗と事業を拡大する中では、
多くの失敗も経験したし、優秀な社員含め、多くの別れも経験しているんですね。
ハワード・ビーハーさん自身も、大学を出ずに高校を出て働き始め、数回の転職と企業に勤め、
彼自身多くの失敗と別れを経験している。
それら多くの失敗と別れを経験してなお、現在も思うのは、
「1つの帽子をかぶり続けること、そうできる環境を選ぶことは大切である」ということ。
スターバックスの話ゆえに「帽子」という比喩を用いてますが、
(本国アメリカのスターバックスは、帽子着用で働いているのです)
わたしたちにとっては「仮面」という言い方をした方がわかりやすいかもしれません。
朝起きてまず、妻/夫としての帽子をかぶる、子供を起こして母/父としての帽子をかぶる、
出勤して社員としての帽子をかぶる、後輩のトレーニングに先輩としての帽子をかぶり、
夜は上司のもとで後輩としての帽子をかぶる。そしてまた帰宅したら・・・
と、わたしたちは1日のなかで多くの帽子をかぶるし、
それだけ多くの帽子を抱えて生活しているんですね。
だけど、それって大変です。
忙しくなればなるほど、何より精神的に疲弊します。
夫や妻の前で、夫としての帽子、妻としての帽子をかぶろうとするなら、その結婚は間違いです。
と、ビーハーさんは言います。
わたしはかつて、ずっと「良い奥さんになろう」と思って、夫の前で妻としての帽子をかぶる子でした。
理由はもちろん、それが「自分や周りから見て、かっこいい」「彼に好いてもらえる」と思うから。
でもね、その頃は「かぶり心地の良い帽子」の存在も知らなかったから、
全然そうしてることに違和感なんか無くて、むしろそれが楽しかった。
身体の不調は相変わらず続いてたけど。
不調も慣れちゃえばそれば普通になって(恐い話だけど、よくある話)不便を感じないし、
こうやって生きていくのが世間的スタンダードだと思ってたんですよね。
でも、ご飯レシピを増やすための料理教室感覚で通い始めたマクロビオティックで、
うっかり身体が良くなってっちゃったのが、かぶり心地の良い帽子を見出したきっかけ。
良い奥さんを極めようとした行動の1つが、自分でいられる帽子に出会うきっかけになったなんて、
ほんとうに人生というのは面白い作りになってますよね。
身体が良くなって、「心地よさ」を知ったら、無理なこと・心地悪いことはできなくなったし、
無理に何かする必要も感じなくなったし、しなくなりました。
相乗効果で、身体もどんどん良くなっていったし、生活の色んなものがラクになった。
割愛して簡単に書くと、こんな感じですが。
ビーハーさんにも、きっかけは違うにしても、そういう「ひとつの帽子」に出会う瞬間があったんですよね。
で、そういう1つの帽子をかぶれる環境=自分が自分でいられる環境を選ぶという信条から、
シアトルの小さな1店舗だった、まだまだ小さなスターバックスを選んだ。
それから家庭生活、友人との関係、いろんなことが上手く行くようになり、
今でも事業を拡大する際のメンバー選びには、「その人にとって、その人がその人らしくいられるかどうか」
という点も大きく考慮し、どんなに優秀で惜しい社員であってもお別れをすることがあったり、
反対にこの環境下でならもっと実力を出せるであろうと見受けた社員には、
今までの結果のリスク如何によらず、どんと仕事を任せるそうです。
それが1つの帽子をかぶる、ということ。
わたしは1つの帽子をかぶる=ニュートラルであるということだと思ってます。
ニュートラルとは、自動車で言う、どこにもギアが入っていない状態のこと。
エンジンをふかして前に進もうとするでもなく、後ろ向きになるでもなく。
1速、2速にギアが入ることがあってもいいと思います。ON、OFFも大事ですから。
でもシフトチェンジがうまくスムーズに行かなければ、すぐに傷んで疲れてしまいますよね。
一緒にいる人の乗り心地も良くない。
でもこれって、たぶん練習しないと見いだせない、わからないものなんでしょうね。
元から飾らないタイプで、若いうちから方向性も見いだせている、
小さな頃から天性的にひとつの帽子をかぶれてる人も、もちろんたくさんいますが、
今はまだ、がんばっちゃう人が多いのかなぁ、と日本社会を見てると思ったりします。
かつてのわたしも、そうだったから
かぶり心地の良い1つの帽子で、身軽に心地よく生きたいもんです
実現不可能な、非現実的なことを思ってるわけじゃないし、
単純に、そうであろう、そうなろうと思ってる。
理想は「こうだったらもっと心地いいな~♪もっと気持ち良いな~♪ラクだな~♪」
という指針からきてます。
でもきっと、ゆるなちゅな生活にシフトする前の私だったら、
理想の生活に掲げる指針は「自分や周りから見て、かっこいいこと」だったかも。
この点の違いはすごく大きい。
前々回から書こうとしていた「ひとつの帽子」のお話ですが、
これを思うきっかけになったのは、1つの本。
スターバックス・インターナショナル元社長 ハワード・ビーハーさんの、
「スターバックスを世界一にするために守り続けてきた大切な原則」(日本経済新聞出版)
多くの経営者が同じことをよく言っていると思いますが、
スターバックスがこれだけ世界中に店舗と事業を拡大する中では、
多くの失敗も経験したし、優秀な社員含め、多くの別れも経験しているんですね。
ハワード・ビーハーさん自身も、大学を出ずに高校を出て働き始め、数回の転職と企業に勤め、
彼自身多くの失敗と別れを経験している。
それら多くの失敗と別れを経験してなお、現在も思うのは、
「1つの帽子をかぶり続けること、そうできる環境を選ぶことは大切である」ということ。
スターバックスの話ゆえに「帽子」という比喩を用いてますが、
(本国アメリカのスターバックスは、帽子着用で働いているのです)
わたしたちにとっては「仮面」という言い方をした方がわかりやすいかもしれません。
朝起きてまず、妻/夫としての帽子をかぶる、子供を起こして母/父としての帽子をかぶる、
出勤して社員としての帽子をかぶる、後輩のトレーニングに先輩としての帽子をかぶり、
夜は上司のもとで後輩としての帽子をかぶる。そしてまた帰宅したら・・・
と、わたしたちは1日のなかで多くの帽子をかぶるし、
それだけ多くの帽子を抱えて生活しているんですね。
だけど、それって大変です。
忙しくなればなるほど、何より精神的に疲弊します。
夫や妻の前で、夫としての帽子、妻としての帽子をかぶろうとするなら、その結婚は間違いです。
と、ビーハーさんは言います。
わたしはかつて、ずっと「良い奥さんになろう」と思って、夫の前で妻としての帽子をかぶる子でした。
理由はもちろん、それが「自分や周りから見て、かっこいい」「彼に好いてもらえる」と思うから。
でもね、その頃は「かぶり心地の良い帽子」の存在も知らなかったから、
全然そうしてることに違和感なんか無くて、むしろそれが楽しかった。
身体の不調は相変わらず続いてたけど。
不調も慣れちゃえばそれば普通になって(恐い話だけど、よくある話)不便を感じないし、
こうやって生きていくのが世間的スタンダードだと思ってたんですよね。
でも、ご飯レシピを増やすための料理教室感覚で通い始めたマクロビオティックで、
うっかり身体が良くなってっちゃったのが、かぶり心地の良い帽子を見出したきっかけ。
良い奥さんを極めようとした行動の1つが、自分でいられる帽子に出会うきっかけになったなんて、
ほんとうに人生というのは面白い作りになってますよね。
身体が良くなって、「心地よさ」を知ったら、無理なこと・心地悪いことはできなくなったし、
無理に何かする必要も感じなくなったし、しなくなりました。
相乗効果で、身体もどんどん良くなっていったし、生活の色んなものがラクになった。
割愛して簡単に書くと、こんな感じですが。
ビーハーさんにも、きっかけは違うにしても、そういう「ひとつの帽子」に出会う瞬間があったんですよね。
で、そういう1つの帽子をかぶれる環境=自分が自分でいられる環境を選ぶという信条から、
シアトルの小さな1店舗だった、まだまだ小さなスターバックスを選んだ。
それから家庭生活、友人との関係、いろんなことが上手く行くようになり、
今でも事業を拡大する際のメンバー選びには、「その人にとって、その人がその人らしくいられるかどうか」
という点も大きく考慮し、どんなに優秀で惜しい社員であってもお別れをすることがあったり、
反対にこの環境下でならもっと実力を出せるであろうと見受けた社員には、
今までの結果のリスク如何によらず、どんと仕事を任せるそうです。
それが1つの帽子をかぶる、ということ。
わたしは1つの帽子をかぶる=ニュートラルであるということだと思ってます。
ニュートラルとは、自動車で言う、どこにもギアが入っていない状態のこと。
エンジンをふかして前に進もうとするでもなく、後ろ向きになるでもなく。
1速、2速にギアが入ることがあってもいいと思います。ON、OFFも大事ですから。
でもシフトチェンジがうまくスムーズに行かなければ、すぐに傷んで疲れてしまいますよね。
一緒にいる人の乗り心地も良くない。
でもこれって、たぶん練習しないと見いだせない、わからないものなんでしょうね。
元から飾らないタイプで、若いうちから方向性も見いだせている、
小さな頃から天性的にひとつの帽子をかぶれてる人も、もちろんたくさんいますが、
今はまだ、がんばっちゃう人が多いのかなぁ、と日本社会を見てると思ったりします。
かつてのわたしも、そうだったから
かぶり心地の良い1つの帽子で、身軽に心地よく生きたいもんです