前ログで書いた、「ガールパワー」と「愛され続ける覚悟」について。
このテーマに至るまでの経緯を含めた、もうちょっと深いお話を、過去の下書きからコピペでしようと思いましたが。
やっぱり過去に書いたもののコピペは、温度差があって面白くないなーーー。
と思ったので、書き直しています。
個人のブログやエッセイって、きっと、生でリアルだから、面白いんですよね。
少なくとも、書いている本人はそんな感じです。
なんていうか、こういうのは全て「表現」だったり「表明」の一部なので。
アーティストと同じく、自分で「コレッ!」っていうのを表現できる楽しみ、というものがありますよね。
前ログの更新を通知したFaceBookへの投稿に、紳士なお友達から「ガールパワーを発揮しているね!」という嬉しいコメントをもらいました
(なべさん、ありがとう)
それで気付いたんですが、「女子力」じゃなくて、「ガールパワー」があるって言われる方が、うれしいなっと!
女子としての「気遣い」や「心遣い」云々を誉められるより、(もちろんこういうのも大事ですが。)
「女子だなぁーー」「女の子だなぁーーー」「女(っていう種族)だなぁ」と、なかば「しょうがないなぁ」っていうくらいのニュアンスでつくづく感心?されたり、そこを魅力として評価してもらえる方が、うれしいです。
(「女子力」と「ガールパワー」の意味の違いについては、前ログをご参照ください)
なんていうか、いわゆる「女子力」と違って、「ガールパワー」という表現には、「女子であることそのもの」を感じるんです。
女子力は、女子が女子になるための、力。
ガールパワーは、女子ゆえに最初から備わっている、力。
というニュアンスです。
つまり。ガールパワーは頑張って身につけるものとかじゃなくて、どんな女子にも初期設定で備わっているモノ。
それがどんな「女子具合」「女子加減」「女子の香り」であれ、どんな女子にも、ゼッタイある女子としての良さ。
バラにはバラの、桜には桜の、ヒマワリにはヒマワリの。
それぞれの女子と言うお花には、それぞれのお花らしい良さがある。
ちなみに、面倒見の良い彼氏さんからは、「ジョシッ!」とか「女子女子しているね。」と、よく言ってもらっています。
(たぶん誉め言葉だと思います。)
そしてなかば「しょうがないなぁ」っていうくらいの感じで、できないことや苦手なことを助けてもらったり、面倒を見てもらったりしています。
(裕也さん、いつもありがとうございます)
そう言ってもらってウレシイと思えるのは、私自身がそれだけ「女子」であることそのものを、気に入っているからです。
女子に生まれて良かったっ
大好き、女子っていう性別、種族
そしてなにより、大好き日本女子という生き物。
私は「松本 裕子」ですが、その「個」として在る大前提に、「日本人」だったり、「女子」だったり、「人」だったりします。
自分のことを「日本人だな」と自覚したのは、初めて海外に出たときでした。
私の初海外は短大1年生の18歳、アメリカ、マサチューセッツ州。
異なる文化の元で生活している人達に会って、ホストファミリーに「シャワーが長い。30分も何しているの。」って笑われて、自分は日本人だと自覚しました。
20歳でモントリオールへ行った時にも、ディスカッションで自分の意見を出せない自分に、「日本人」を自覚しました。
このお話は以前、開国ジャパンのコラムでもちょこっと書いています。
そして自分が「女の子」だな、と実感するのは、やっぱり男性といるときです。
男子がいてくれるから女子は女子になれるのだ、とつくづく思います。
身の回りにいる、頼れる男子の皆様には、いつも心から感謝しています。
あなた方がいてくれるから、私達女子は、女子になれます。
(いや、改めて思い返してみて、本当に私の周りにはそういうイケてるメンタルのイケメンが多い!恵まれてますね
イケてるメンタルでイケメンっていうのは、某イケメンサッカー選手に教えて戴きました!ありがとうございます)
年齢やらいろんな物事関係なく、男の子って本当に頼もしいなーーーと思います。
いつもありがとうございます
私たち女子と同じように、女子といることで「自分の中の男子」を実感し、「男子」を楽しんでもらえたら、私もうれしいです
なんでこんな脱線気味なことを書いたかと言うと、これって全部「自分をまるごと愛する」っていうことだから。
前回のテーマ「愛される覚悟」は、ただの「愛される覚悟」ではなく。
「愛され続ける覚悟」、サステナブルな愛される覚悟、なんです。
それは、「どんなときも」「どんな自分も」ってこと。
良いときの自分、おめかししている、よそいきな自分だけじゃなくて。
閉じている、内向きモードなときの自分や、すっぴんおうちモードな自分も含め、です。
すっぴんやおうちモードを「見せられる」っていうレベルじゃなくて。
それすらも「愛される」(=自ら自分を愛する)レベルで、ということです。
(自分自身が自分を愛しているから愛される、というのは大前提のお話で)
限定的ではなく、永続的で、サステナブルな愛です。
これってなんだか、「お部屋をどのくらいキレイにするか」っていうお話に、似ている気もします。
いつでも人に見せられる、というレベルか。
いつ何時も、自分や他人にとって居心地の良い空間、というレベルか。
先日、小学校時代の私の写真を見た裕也さんに、こんな感想を戴きました。
「大学・社会人始めの頃の、しっかりお化粧をした茶髪の裕子より、今の方が原型(小学時代)の裕子に近い」と。
あぁ、そういえば、そうだなー。
と、我ながら写真を眺めていて思いました。
自分でも、お化粧や縮毛矯正や雑誌を追いかけたようなファッションをして。
あの頃、どれだけ別人になろうとしていたんだろう?って、改めてつくづく思いました。
新旧入替、卒業&進級で、次のステップへ上昇するこの時期に、このような小学校時代の写真の話もあり、
もう一段階深く、自分をまるごと愛したいっと思いました。
そう思い始めたら、今まで何気なく、おうちモードの自分を「干物」と呼んでいたことも、
そう呼ぶことで、いつのまにか「お外モードの自分」と「おうちモード」の自分に、優劣をつけている気がしてきました。
「干物」という表現からは、どこか憎めない感じはするものの、「自信」は感じられません。
「粗末なものですが」と言って差し出す贈り物に、似ている。
わたしだったら、「つまらないものですが」と言って何かをもらうより、
「美味しかったから」「似合いそうだから」「裕子のイメージだから」「すごく気に入ったから」そうやって戴きモノをする方が、好き!
「お裾分け」じゃなくて「お福分け」で。
先日「How to Love」という曲について書かせて戴いた August Rigo に引き続き、ヘビロテしていた、この曲。
EASY / Ne-yo
すごく爽やかですが、実はこれ、お別れの曲です。
しかし、最近こういう心境のわたし的には、
「これまでの自分にサヨナラをして、今まで以上に深く、本来の自分を愛していく」
という、変化の曲にも感じられます。
It was easy
easy to love me
But you didn't even want to try
So it was easy
easy to leave you
Goodbye
Goodbye
Goodbye
自分を愛するなんて、簡単なことなんだよ。
キミはただ、試みようともしなかっただけ。
だから、そんな昔のキミを卒業するなんて、簡単なことなのさ。
Goodbye x3
<ゆうこ的意訳>
今回、さすがに意訳のレベルを超えちゃっていますが。
どうでしょう?
自分のことをまるごと愛する、本来の自分を愛する、ということは、すごくシンプルで、簡単な生き方。
どこへ行っても見せる自分に表裏がなくなるから、いつもフラットでリラックスして、ちょうどよい自信と心地良さをもって、いつでもどこでもラクに生きられるようになる。
だから、本来の自分・素の自分を愛せば愛せれるようになっていくほど、生活や考え方も simple & easy になっていく。
サクラと共に、一段と上昇した、新しい世界へ。
本来の自分をより愛することで、より単純で、より簡単で、よりラクな生き方へ、シフトしていきます。
The song“EASY”was brought by my LOVE“裕也”. Many Thanks! :)xxx
このテーマに至るまでの経緯を含めた、もうちょっと深いお話を、過去の下書きからコピペでしようと思いましたが。
やっぱり過去に書いたもののコピペは、温度差があって面白くないなーーー。
と思ったので、書き直しています。
個人のブログやエッセイって、きっと、生でリアルだから、面白いんですよね。
少なくとも、書いている本人はそんな感じです。
なんていうか、こういうのは全て「表現」だったり「表明」の一部なので。
アーティストと同じく、自分で「コレッ!」っていうのを表現できる楽しみ、というものがありますよね。
前ログの更新を通知したFaceBookへの投稿に、紳士なお友達から「ガールパワーを発揮しているね!」という嬉しいコメントをもらいました
(なべさん、ありがとう)
それで気付いたんですが、「女子力」じゃなくて、「ガールパワー」があるって言われる方が、うれしいなっと!
女子としての「気遣い」や「心遣い」云々を誉められるより、(もちろんこういうのも大事ですが。)
「女子だなぁーー」「女の子だなぁーーー」「女(っていう種族)だなぁ」と、なかば「しょうがないなぁ」っていうくらいのニュアンスでつくづく感心?されたり、そこを魅力として評価してもらえる方が、うれしいです。
(「女子力」と「ガールパワー」の意味の違いについては、前ログをご参照ください)
なんていうか、いわゆる「女子力」と違って、「ガールパワー」という表現には、「女子であることそのもの」を感じるんです。
女子力は、女子が女子になるための、力。
ガールパワーは、女子ゆえに最初から備わっている、力。
というニュアンスです。
つまり。ガールパワーは頑張って身につけるものとかじゃなくて、どんな女子にも初期設定で備わっているモノ。
それがどんな「女子具合」「女子加減」「女子の香り」であれ、どんな女子にも、ゼッタイある女子としての良さ。
バラにはバラの、桜には桜の、ヒマワリにはヒマワリの。
それぞれの女子と言うお花には、それぞれのお花らしい良さがある。
ちなみに、面倒見の良い彼氏さんからは、「ジョシッ!」とか「女子女子しているね。」と、よく言ってもらっています。
(たぶん誉め言葉だと思います。)
そしてなかば「しょうがないなぁ」っていうくらいの感じで、できないことや苦手なことを助けてもらったり、面倒を見てもらったりしています。
(裕也さん、いつもありがとうございます)
そう言ってもらってウレシイと思えるのは、私自身がそれだけ「女子」であることそのものを、気に入っているからです。
女子に生まれて良かったっ
大好き、女子っていう性別、種族
そしてなにより、大好き日本女子という生き物。
私は「松本 裕子」ですが、その「個」として在る大前提に、「日本人」だったり、「女子」だったり、「人」だったりします。
自分のことを「日本人だな」と自覚したのは、初めて海外に出たときでした。
私の初海外は短大1年生の18歳、アメリカ、マサチューセッツ州。
異なる文化の元で生活している人達に会って、ホストファミリーに「シャワーが長い。30分も何しているの。」って笑われて、自分は日本人だと自覚しました。
20歳でモントリオールへ行った時にも、ディスカッションで自分の意見を出せない自分に、「日本人」を自覚しました。
このお話は以前、開国ジャパンのコラムでもちょこっと書いています。
そして自分が「女の子」だな、と実感するのは、やっぱり男性といるときです。
男子がいてくれるから女子は女子になれるのだ、とつくづく思います。
身の回りにいる、頼れる男子の皆様には、いつも心から感謝しています。
あなた方がいてくれるから、私達女子は、女子になれます。
(いや、改めて思い返してみて、本当に私の周りにはそういうイケてるメンタルのイケメンが多い!恵まれてますね
イケてるメンタルでイケメンっていうのは、某イケメンサッカー選手に教えて戴きました!ありがとうございます)
年齢やらいろんな物事関係なく、男の子って本当に頼もしいなーーーと思います。
いつもありがとうございます
私たち女子と同じように、女子といることで「自分の中の男子」を実感し、「男子」を楽しんでもらえたら、私もうれしいです
なんでこんな脱線気味なことを書いたかと言うと、これって全部「自分をまるごと愛する」っていうことだから。
前回のテーマ「愛される覚悟」は、ただの「愛される覚悟」ではなく。
「愛され続ける覚悟」、サステナブルな愛される覚悟、なんです。
それは、「どんなときも」「どんな自分も」ってこと。
良いときの自分、おめかししている、よそいきな自分だけじゃなくて。
閉じている、内向きモードなときの自分や、すっぴんおうちモードな自分も含め、です。
すっぴんやおうちモードを「見せられる」っていうレベルじゃなくて。
それすらも「愛される」(=自ら自分を愛する)レベルで、ということです。
(自分自身が自分を愛しているから愛される、というのは大前提のお話で)
限定的ではなく、永続的で、サステナブルな愛です。
これってなんだか、「お部屋をどのくらいキレイにするか」っていうお話に、似ている気もします。
いつでも人に見せられる、というレベルか。
いつ何時も、自分や他人にとって居心地の良い空間、というレベルか。
先日、小学校時代の私の写真を見た裕也さんに、こんな感想を戴きました。
「大学・社会人始めの頃の、しっかりお化粧をした茶髪の裕子より、今の方が原型(小学時代)の裕子に近い」と。
あぁ、そういえば、そうだなー。
と、我ながら写真を眺めていて思いました。
自分でも、お化粧や縮毛矯正や雑誌を追いかけたようなファッションをして。
あの頃、どれだけ別人になろうとしていたんだろう?って、改めてつくづく思いました。
新旧入替、卒業&進級で、次のステップへ上昇するこの時期に、このような小学校時代の写真の話もあり、
もう一段階深く、自分をまるごと愛したいっと思いました。
そう思い始めたら、今まで何気なく、おうちモードの自分を「干物」と呼んでいたことも、
そう呼ぶことで、いつのまにか「お外モードの自分」と「おうちモード」の自分に、優劣をつけている気がしてきました。
「干物」という表現からは、どこか憎めない感じはするものの、「自信」は感じられません。
「粗末なものですが」と言って差し出す贈り物に、似ている。
わたしだったら、「つまらないものですが」と言って何かをもらうより、
「美味しかったから」「似合いそうだから」「裕子のイメージだから」「すごく気に入ったから」そうやって戴きモノをする方が、好き!
「お裾分け」じゃなくて「お福分け」で。
先日「How to Love」という曲について書かせて戴いた August Rigo に引き続き、ヘビロテしていた、この曲。
EASY / Ne-yo
すごく爽やかですが、実はこれ、お別れの曲です。
しかし、最近こういう心境のわたし的には、
「これまでの自分にサヨナラをして、今まで以上に深く、本来の自分を愛していく」
という、変化の曲にも感じられます。
It was easy
easy to love me
But you didn't even want to try
So it was easy
easy to leave you
Goodbye
Goodbye
Goodbye
自分を愛するなんて、簡単なことなんだよ。
キミはただ、試みようともしなかっただけ。
だから、そんな昔のキミを卒業するなんて、簡単なことなのさ。
Goodbye x3
<ゆうこ的意訳>
今回、さすがに意訳のレベルを超えちゃっていますが。
どうでしょう?
自分のことをまるごと愛する、本来の自分を愛する、ということは、すごくシンプルで、簡単な生き方。
どこへ行っても見せる自分に表裏がなくなるから、いつもフラットでリラックスして、ちょうどよい自信と心地良さをもって、いつでもどこでもラクに生きられるようになる。
だから、本来の自分・素の自分を愛せば愛せれるようになっていくほど、生活や考え方も simple & easy になっていく。
サクラと共に、一段と上昇した、新しい世界へ。
本来の自分をより愛することで、より単純で、より簡単で、よりラクな生き方へ、シフトしていきます。
The song“EASY”was brought by my LOVE“裕也”. Many Thanks! :)xxx