ゆるなちゅ生活

人生の放浪と、旅の放浪と、自然な生活の仕方について綴ってます。

「土壌を耕す」

2013-03-04 18:18:18 | 日記
立ち仕事7時間+帰宅に徒歩20分。

それでも足腰動かし足らず。(子供?むしろ少年?)

帰宅後、荷物を下ろし、パンツ&スニーカーに履き替え、iPodを聴きながら、跳ねるように再度家を出ました。




まだまだ肌寒さもあり。
春が来る前のこの芽吹きの季節は、眠気もひとしおですが。

昼間は日差しがぽかぽかとして、あったかいですね。

すっかり春モードで、外に出て身体をノビノビとさせたくなったようです。


いつもは通らない道を歩いてみると、こんな近所に、梅林がありました。





一番感動したのは、
オオイヌノフグリさんと、


ホトケノザさんが咲いていたこと!



まぁーー☆
お久しぶりッ!!


春が来る…と思いきや、もう来ていたんですね。



歩いていて気が付いたのは。

ちゃんとした土壌に蒔かれた種は、自ずと芽吹くべき時期に、芽吹けるということ。

オオイヌノフグリさんも、ホトケノザさんも、あまり人の手が入っていないような、フカフカそうな山の土にいる子ほど、立派な葉っぱと花を付けている。

掘ったことないけど、きっと立派な根っこがあるんじゃないかな。

反対に、手入れされた土にいる子達は、小さなお花と蕾がいっぱい。

陽の当たるところは元気だけど、そうでない場所は全然姿なし。
同じように種は蒔かれていそうな気がするんですけどね。



「感謝をするっていうことは、心の土壌を耕すってことなんだょ」



数年前、有名な自己啓発本の先生から聞いた、この言葉を思い出しました。

数々の本を出し、講演をこなし、セレブとも呼べる暮らし方をしている先生が、ご自分のご家族にどれだけ感謝しているかを聞いたとき。
その感謝の深さ・細やかさに驚いたと共に、聴きながら涙が止まらなかったのを覚えています。

幸せや感謝って、できる・できないの可否と言うよりかは、感じとれる感性やセンサーを磨いているか・いないか、なのかも。

それは、道端に咲く小さな花に気付くことだったり、昨夜とは月の出る時間が違うと気付くことだったり、目の前にいる誰かの真心に気付くことだったり。

そういうことと、似ているかも。



「気」が「付く」。



感謝って、ときに「気付き」そのもの。





私は、ステキだな~、と思った後輩の女の子に、

「あなたはダイヤモンドの原石だから、たくさん自分を転がして、誰よりも磨かれたダイヤになってね」

と話したことがあります。


明治時代のおばあちゃんみたいな発言をしますが。

どんな風に転ぶも、何かに摩擦されるも、研磨の1つで、磨かれることの1つだと思います。

「難」がある人生は「有難い」人生、とはよく言ったもので。

何でも(難でも)、楽しんだらいいと思いますね。

そして、いろんなことを感じ取れる感性を養うこと。
何にでも楽しみを見出せるのも、気付きのセンサーの役割かも。

これ、すなわち、「心の土壌を耕す」ってことなんでしょうね。


そんな、今日の雑感。




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