M政権では、抜本的な行政における徹底的な無駄の削減を実施した。
行政の無駄を削減するためには、予算を策定しそれを実行する公務員の意識改革が重要になる。
組織に属した人間は、自らの属する組織目標の達成やさらなる向上を追求ことは当然の行為である。志が高く実直な人ほどそうした傾向が強くなる。
しかし、国家の政策を担う官僚組織が、自分の属する組織の維持拡大に邁進してしまえば、一貫した政策の遂行は困難になる。そこで、‘省益第一主義’からいかに脱却するかが大きな課題であった。
M政権では、課長以上の上級公務員の人事を国家戦略府に一元化し、省をまたがる人事交流を活発に行える体制を整備した。同時に、上級公務員全員に対し自己チェックリストを配布し、チェックした結果を4半期ごとに国家戦略府に報告することを義務付けた。
チェック項目は、これを提案した北欧の政治学者の意見に学び、7章48項目で構成された。そこには次のような事項などが盛り込まれている。
・政府が指導する政策を促進するために、あなたの組織は何を行うか?
・政府目標や政策意図をあなたの組織に明確に理解されるために何を行うか?
・国民や企業の活動環境向上のために、あなたの組織は何を行うか?
・政策目標達成のために、組織間のコミュニケーションをどのように実行するか?
・組織構成員が公的役割の上で効率的に機能するために、あなたは何を行うか?
・組織方針と結果を客観的に測定するために、どのような指標を設定するか?
・社会・国際環境の中で行動することができる組織を作るために何を行うか?
・行政プロセスを革新的な方向に導くために、あなたは何を行うか?
・内部・外部知識の共有化をどのように促進するか?
・あなたは職務遂行に必要な専門家および技術要素をどのように活用するか?
・あなたの組織が公平で客観的に管理されることを保証するために何を行うか?
・・・等々
こうしたセルフチェックリストは、組織ごとに設けられた行動計画とその達成状況とともに国家戦略府にて分析され、上級公務員の人事評価および人事ローテーションを行う上での基礎材料とされた。
また、機械でこなせる仕事は大胆に人手から切り離した。国家公務員の定数も大幅に削減するとともに、自治体の機能を強化し予算と権限を大幅に委譲するとともに、地方部局の多くを自治体に移管した。
マスコミからは『リストラ宰相』とか『首切り総理』などと揶揄されたが、これまでの組織拡大を官僚の第一義とする考え方から、効率化による省力化を目標に掲げることで、公務員のモチベーションを180度転換させたことは国民の多くから支持された。
さらに、中央官庁から一切の紙文書を放逐し、クラウド上に保管された巨大なデータベースを効率的に活用し、電子文書を前提にした事務処理に切り替えた。
役所間の文書交換は、霞が関WANと呼ばれる大容量ネットワークを通じて行われた。
自治体も、国の政策に習い合理化や効率化を積極的に行い、従来行政業務の中心的な存在であった住民票や印鑑証明書といった証明書類の発行窓口の多くは閉鎖され、証明書そのものもオンラインでやり取りすることで不要にした。
従来の窓口担当者は現場部門に配転され、住民サービスに没頭することになった。少子化・高齢化が進んでいたため、仕事は無限にあった。地域貢献の成果に応じた表彰制度を設け、人事評価に反映する仕組みを導入した自治体も多かった。
***
「かつての行政には‘申請主義’という前提があったんだ。
つまり、行政への申請や申告は国民の義務であり、それを怠ったり誤った申請をすると不利益を被るのは国民であって、決して官僚ではないという考え方だ。
行政の席に座る官僚は、国民が適正な申告をした時だけに決められた手続きを行う。完全に受け身の姿勢だな。だから、申請をする上で必要な証明書の類も、国民が決められた窓口に出向いて貰ってこなければ受理されなかった。
当時、ある市役所で調べたら、役所に提出される証明書類の7割以上は、同じ市役所が発行した書類だったという笑えない事実が分かったという。つまり、隣の窓口で受け取った証明書を、その隣の窓口に出向き『これでよろしゅうございますか?』と提出していたのだ。
これは笑い話ではなくて、本当に10年くらい前までは当たり前に行われていたんだよ」
良治は呆れたような顔をして「お父さんも同じことをしたことあるの?」と聞いた。
「もちろんさ。就職したとき、お母さんと結婚したとき、お前たちが生まれたとき、みな役所に行って必要な手続きのための証明書をもらいに行ったものさ。
お父さんは会社の人事部で働いているけど、昔の人事部はまるで役所の下働きのように、毎日何らかの申請のために役所に出向いたものさ」
「そんな面倒なこと、誰もおかしいと思わなかったの?」
「BPRという言葉を知っているかい?業務改革とか、業務改善という意味だが」
「聞いたことあるな。確か経営経済科の授業で」
「企業では昔から使われていて、多くの企業で実践されていた。しかし当時の官僚は、‘我々の職場にはBPRという言葉はない。法令に従って粛々と業務を行うだけだ’とうそぶく人が多かった。
Mさんは、こうした旧態依然とした官僚組織に対して、無駄の撲滅と効率化の旗を掲げて大ナタを振るったんだ。さぞかし、官僚たちも驚いたことだろうな」
「それで、役所は市民のサービス機関になれたんだ」
「そういうことだな。役所がサービス機関になることで、市民の役所を見る目も良い意味で全く違ってきた。サービスを受ける人は、サービスを提供する人に注文も出しやすいし、相談もしやすい。市民と行政が身近になったってことだな」
「そうか。それで国民が政治に関心を持ったわけか」
「それだけではないぞ。徹底的な地方分権という制度変革も大きい。国の財政の大半を自治体の裁量に任せたことや、住民税の地域選択制度も国民の政治参加を高めた大きな理由だ。それは・・・」
「もう良いや。これ以上聞いたら頭がパンクする」
向井は苦笑しながら、『高校生相手に少々むきになって語りすぎたか』と少々反省した。
『それにしても、今の高校生は我々の時代では考えられない教育を受けているな。我々の時はとにかく詰め込み教育で、親と政治について真剣に語ることなどあるはずがなかったが』とも思った。
これもM政権時代に行われた教育改革の成果で、中学生までは知識の習得が中心のカリキュラムだが、高校生以上は考える教育、自立を促す教育に軸足を変えていた。
授業の大半はディスカッションに充てられ、皆の前で考えを述べたり発表したりする機会が格段に増えた。同時に、政治、経済、経営といった実践的な時事課題も増え、こうした一連の教育改革も、国民の政治意識を高める上で大きく関係していた。
つと良治が立ち上がり、「部屋で見たい番組があるから、一枚持っていくね」と芳子に言って、スクリーンの三枚パネルのうちの一枚をバリッとはがして片手に抱えた。残りのパネルのサイズは120センチ×90センチだが、それでも充分な大きさである。
向井は「ところで、宿題は済んだのかい?」と聞いた。
「もうネットで提出したよ。結果もまあまあだったよ。あとはフォローアップカウンセリングを受けるだけ」
フォローアップカウンセリングは、個人の学習進度に合わせて専門の教師とネットを通じて対話しながら、弱い部分を補強するための在宅教育システムである。画面を通して教師と会話をしながら進められる。
「そうか。来年は大学受験だからな。気を抜くなよ」
良治は、向井に向かってVサインを出しながら、パネルを片手に自分の部屋に引き上げていった。
「さてと。風呂に入ってから、水割りでも飲みながらネット放送でも見るか」と、向井も立ち上がった。
行政の無駄を削減するためには、予算を策定しそれを実行する公務員の意識改革が重要になる。
組織に属した人間は、自らの属する組織目標の達成やさらなる向上を追求ことは当然の行為である。志が高く実直な人ほどそうした傾向が強くなる。
しかし、国家の政策を担う官僚組織が、自分の属する組織の維持拡大に邁進してしまえば、一貫した政策の遂行は困難になる。そこで、‘省益第一主義’からいかに脱却するかが大きな課題であった。
M政権では、課長以上の上級公務員の人事を国家戦略府に一元化し、省をまたがる人事交流を活発に行える体制を整備した。同時に、上級公務員全員に対し自己チェックリストを配布し、チェックした結果を4半期ごとに国家戦略府に報告することを義務付けた。
チェック項目は、これを提案した北欧の政治学者の意見に学び、7章48項目で構成された。そこには次のような事項などが盛り込まれている。
・政府が指導する政策を促進するために、あなたの組織は何を行うか?
・政府目標や政策意図をあなたの組織に明確に理解されるために何を行うか?
・国民や企業の活動環境向上のために、あなたの組織は何を行うか?
・政策目標達成のために、組織間のコミュニケーションをどのように実行するか?
・組織構成員が公的役割の上で効率的に機能するために、あなたは何を行うか?
・組織方針と結果を客観的に測定するために、どのような指標を設定するか?
・社会・国際環境の中で行動することができる組織を作るために何を行うか?
・行政プロセスを革新的な方向に導くために、あなたは何を行うか?
・内部・外部知識の共有化をどのように促進するか?
・あなたは職務遂行に必要な専門家および技術要素をどのように活用するか?
・あなたの組織が公平で客観的に管理されることを保証するために何を行うか?
・・・等々
こうしたセルフチェックリストは、組織ごとに設けられた行動計画とその達成状況とともに国家戦略府にて分析され、上級公務員の人事評価および人事ローテーションを行う上での基礎材料とされた。
また、機械でこなせる仕事は大胆に人手から切り離した。国家公務員の定数も大幅に削減するとともに、自治体の機能を強化し予算と権限を大幅に委譲するとともに、地方部局の多くを自治体に移管した。
マスコミからは『リストラ宰相』とか『首切り総理』などと揶揄されたが、これまでの組織拡大を官僚の第一義とする考え方から、効率化による省力化を目標に掲げることで、公務員のモチベーションを180度転換させたことは国民の多くから支持された。
さらに、中央官庁から一切の紙文書を放逐し、クラウド上に保管された巨大なデータベースを効率的に活用し、電子文書を前提にした事務処理に切り替えた。
役所間の文書交換は、霞が関WANと呼ばれる大容量ネットワークを通じて行われた。
自治体も、国の政策に習い合理化や効率化を積極的に行い、従来行政業務の中心的な存在であった住民票や印鑑証明書といった証明書類の発行窓口の多くは閉鎖され、証明書そのものもオンラインでやり取りすることで不要にした。
従来の窓口担当者は現場部門に配転され、住民サービスに没頭することになった。少子化・高齢化が進んでいたため、仕事は無限にあった。地域貢献の成果に応じた表彰制度を設け、人事評価に反映する仕組みを導入した自治体も多かった。
***
「かつての行政には‘申請主義’という前提があったんだ。
つまり、行政への申請や申告は国民の義務であり、それを怠ったり誤った申請をすると不利益を被るのは国民であって、決して官僚ではないという考え方だ。
行政の席に座る官僚は、国民が適正な申告をした時だけに決められた手続きを行う。完全に受け身の姿勢だな。だから、申請をする上で必要な証明書の類も、国民が決められた窓口に出向いて貰ってこなければ受理されなかった。
当時、ある市役所で調べたら、役所に提出される証明書類の7割以上は、同じ市役所が発行した書類だったという笑えない事実が分かったという。つまり、隣の窓口で受け取った証明書を、その隣の窓口に出向き『これでよろしゅうございますか?』と提出していたのだ。
これは笑い話ではなくて、本当に10年くらい前までは当たり前に行われていたんだよ」
良治は呆れたような顔をして「お父さんも同じことをしたことあるの?」と聞いた。
「もちろんさ。就職したとき、お母さんと結婚したとき、お前たちが生まれたとき、みな役所に行って必要な手続きのための証明書をもらいに行ったものさ。
お父さんは会社の人事部で働いているけど、昔の人事部はまるで役所の下働きのように、毎日何らかの申請のために役所に出向いたものさ」
「そんな面倒なこと、誰もおかしいと思わなかったの?」
「BPRという言葉を知っているかい?業務改革とか、業務改善という意味だが」
「聞いたことあるな。確か経営経済科の授業で」
「企業では昔から使われていて、多くの企業で実践されていた。しかし当時の官僚は、‘我々の職場にはBPRという言葉はない。法令に従って粛々と業務を行うだけだ’とうそぶく人が多かった。
Mさんは、こうした旧態依然とした官僚組織に対して、無駄の撲滅と効率化の旗を掲げて大ナタを振るったんだ。さぞかし、官僚たちも驚いたことだろうな」
「それで、役所は市民のサービス機関になれたんだ」
「そういうことだな。役所がサービス機関になることで、市民の役所を見る目も良い意味で全く違ってきた。サービスを受ける人は、サービスを提供する人に注文も出しやすいし、相談もしやすい。市民と行政が身近になったってことだな」
「そうか。それで国民が政治に関心を持ったわけか」
「それだけではないぞ。徹底的な地方分権という制度変革も大きい。国の財政の大半を自治体の裁量に任せたことや、住民税の地域選択制度も国民の政治参加を高めた大きな理由だ。それは・・・」
「もう良いや。これ以上聞いたら頭がパンクする」
向井は苦笑しながら、『高校生相手に少々むきになって語りすぎたか』と少々反省した。
『それにしても、今の高校生は我々の時代では考えられない教育を受けているな。我々の時はとにかく詰め込み教育で、親と政治について真剣に語ることなどあるはずがなかったが』とも思った。
これもM政権時代に行われた教育改革の成果で、中学生までは知識の習得が中心のカリキュラムだが、高校生以上は考える教育、自立を促す教育に軸足を変えていた。
授業の大半はディスカッションに充てられ、皆の前で考えを述べたり発表したりする機会が格段に増えた。同時に、政治、経済、経営といった実践的な時事課題も増え、こうした一連の教育改革も、国民の政治意識を高める上で大きく関係していた。
つと良治が立ち上がり、「部屋で見たい番組があるから、一枚持っていくね」と芳子に言って、スクリーンの三枚パネルのうちの一枚をバリッとはがして片手に抱えた。残りのパネルのサイズは120センチ×90センチだが、それでも充分な大きさである。
向井は「ところで、宿題は済んだのかい?」と聞いた。
「もうネットで提出したよ。結果もまあまあだったよ。あとはフォローアップカウンセリングを受けるだけ」
フォローアップカウンセリングは、個人の学習進度に合わせて専門の教師とネットを通じて対話しながら、弱い部分を補強するための在宅教育システムである。画面を通して教師と会話をしながら進められる。
「そうか。来年は大学受験だからな。気を抜くなよ」
良治は、向井に向かってVサインを出しながら、パネルを片手に自分の部屋に引き上げていった。
「さてと。風呂に入ってから、水割りでも飲みながらネット放送でも見るか」と、向井も立ち上がった。
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