2022年  にっぽん復興へのシナリオ

日本が復興を遂げていく道筋を描いた近未来小説と、今日の様々な政治や社会問題についての私なりの考えや提案を順次掲載します。

一.2022年の生活環境(2)

2012-01-29 12:29:18 | 小説
 「部長、そろそろ食事に行きませんか?」と、去年入社した橋本が寄ってきた。
 「もうそんな時間か。どこに行こうか?」

 橋本が三つ折りになっていたタブレットを内ポケットから取り出して広げ、画面をサッとなぞると、地下街のレストランのメニューが表示された。スマートフォンやタブレット端末は以前からあったが、2010年代半ばに0.5ミニ厚の被膜状のプラズマチューブアレイによる端末が普及したことで、今では大半のサラリーマンは三つ折りにして上着などのポケットなどに入れている。通話機能もありその際は三つ折りのままで使い、タブレットとして使う時だけは広げて使う。通話用の超小型ヘッドセットは常時片耳にかけており、タブレットとはブルートゥースでつながっている。

 「地下5階のヤマモトなら空いていますね。日替わり定食はこんな料理です」と、画面を示した。「良いじゃないですか」とみんなも賛成したので席を予約し、エレベータで地下五階に向かった。

 エレベータの中で、向井がエレベータに備え付けられている箱を指し「君たち、この箱に何が入っているか知っているか?」と聞いた。
 「非常用の食料や簡易トイレなどじゃないんですか?」
 「それも入っているが、それ以上に大事なものが入っているよ」と、いたずらっぽくみんなを眺めた。
 「非常用の通信設備ですか?」
 「それなら、タブレットからインターネット通話すれば問題ないだろ。東京にいる全員が一斉に電話をかけても、回線がパンクすることはない」
 災害時に多くの人がまず気に掛けることは、家族や知人の安否である。安否が確認されたことで、落ち着いてその場にとどまることができる。クラウド上の伝言サービスやインターネット通話の普及は、こうした不安からの解消に大きく貢献した。

 「なんだろう? 分からないなあ」
 「毛布とボンベ式のストーブ。それに、塩化カルシウムを使った瞬間加熱器だよ。ミネラルウォーターを注ぐと、あっという間に熱いお湯が飲める」
 「なんだか古典的な材料ですね」
 「人は、非常時にはまず家族の安否と周りの状況を知りたくなるだろ。でも、ネットを使って周りの状況は認識できる。家族と話しをすることもできる。しかし、ホッとした後には、寒さのために急に不安に襲われるそうだ。そこで、毛布にくるまって、温かいお湯を飲むことで心が安定する」
 「確かに、万が一動力電源が遮断された場合などは復旧までに時間がかかりますね。非常用電源だけでは、電灯を灯すくらいの容量しかないし。地上階の空調が止まれば、耐え難いほど寒くなるし」磯村は、表の雪景色を思い浮かべて、思わず両腕を寒そうに抱え込んだ。
 「10年前の大震災でも、電源の障害が問題になりましたが、この問題は今でも完全には解決できていませんね」
 「このビルもそうだが、築20年以上のビルが大半だからな。そんなビルの多くは、電源室が地下の水が入り込みやすいところに置かれているので、エレベータやビルの空調は止まり、復旧にも時間もかかるだろう」

 5年前に条例が改正され、電源室は3階以上のフロアもしくは防水措置が取られた地下に設置することが建物建築の条件となったが、大多数のビルは条例以前に建てられているので、津波や液状化による電源損壊の危険性は、依然として深刻な問題である。地下街はほぼ緊急時の避難体制が整ったが、地上の建物部分にはまだ多くの課題が残されていた。

 「まずは暖を確保して、ゆっくり温かいお茶でも飲んで気持ちを落ち着かせる、ということですね」
 「寒さは、人を必要以上に不安にするというからね。東関東大震災のときに被災者に配られたのは、冷たいおにぎりとミネラルウォーターがせいぜいだった。寒い中での食事、今思えば可哀そうだったよ」
 「そう言えば、あの時突貫工事で建てられた仮設住宅も、寒冷地仕様になっていなかったですよね。窓や玄関を二重にするとか、断熱材を増やして壁を厚くするとか、東北地方じゃ当たり前の家の仕様じゃないですか。結局は入居後に対応するしかなかった」
 「アーゴノミックスという言葉があるが、技術は常に使う人の置かれている環境や目的を見据えて適用させなければならない。あのころの政府は、そうした基本中の基本を忘れて、何月までに何戸の仮設住宅を建設するといった数値目標にばかり気を取られていたからな」

 そんな会話をしているうちに、防水・防熱措置が完全に施された地下5階に着いた。
 
地下とは思えない昼間並みの明るさで、昔ながらの暖簾の店が軒を連ねている。丸いドーム状の天井は巨大なディスプレイになっており、ライブ中継で外の様子がほぼ原寸大で投影されている。大都市で働くサラリーマンにとっては貴重な、ホッとできる場所であるとともに、非常時は避難場所として長期間の生活を前提に、可能な限り地上に近い環境を作ることでストレスを緩和する構造になっている。今日は一面雪景色のため、天井は白く霞んでいる。

 ヤマモトに着くと「いらっしゃい」と、顔見知りの店主に愛想よく出迎えられ、5人は予約してあるテーブルに着いた。

 「昔は、人気のある店の前で行列したものですがね。今ではほとんどの店が予約制なので、並ぶということが無くなりましたね」
 「人気のあるラーメン屋などでは、1時間近くも並んだものです」
 「待たされることで食欲をそそったものだがなあ。それがないのは便利かも知れないが、オジサンとしては何だか寂しくもあるな」
 「私も同じですよ。向井部長とは世代が違っても、感覚は同じですね」と、課長の神部が言うと「世代が違うとは言い過ぎじゃないか?どうせなら同世代と言って欲しいな」と向井は苦笑して言った。
 「私はまだアラフォーですよ。しかも花の独身だし、若者世代のつもりですが。なあ、みんなもそう思うだろ?」
神部に水を向けられ、みんなは苦笑するしかなかった。

 席に着くと、タブレットがメニューとしてテーブルに置かれており、料理のサンプルが三次元画像で表示される。5人はメニューをそれぞれ手に取って選び、メニューにタッチして注文した。


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