これも、あえて書くこともないけど、確認ということで。
日本はかつて、日清戦争で台湾を手に入れ(1895-1945)、日露戦争後に朝鮮を植民地にした。(1910-45)
さらに、満州事変から中国への侵略戦争を開始した。(1931-45)
そして、従軍慰安婦や南京大虐殺、731部隊などを始め、現地の人達に大きな被害を与えた。
悪いことをして、「悪かったです。すみませんでした」と言うことは自虐的行為なのだろうか。
A.してない、B.そんなにひどくない、C.させられた、D.他もやっている、E.現地の人のため、等々。
自虐史観派は、様々な理由をつけて正当化しようとするけれど、台湾と朝鮮を植民地とし、中国と東南アジアを攻めたことは事実である。
個人で罪を犯した場合でも、自分のわずかな正当性にすがりつきたくなる気持ちもわかる。(自分もそうなるし)
しかし、自分の中の罪悪感が消えるわけではない。
罪を償うということは、罪を認めて謝罪することである。
昨日書いたように、集団が大きくなるにつれて「尊大」な気持ちも大きくなり、罪の認識も甘くなってしまう。
ましてや国、しかも過去のこととなると、より一層難しいかもしれない。
しかし、何度も繰り返すが、国家と個人は一緒である。
たとえ国際社会が無法地帯で、赤ちゃん同士の状態だとしても、大人としての態度をとらなければならない。
(確かに、今の国際社会は「謝ったら負け」みたいなとこはある)
日本は、戦争で他国にひどいことをしたけれど、空襲と原爆で御破算という感覚があるのかもしれない。
しかし、自分達は何もしていないのに侵略された側の気持ちはどうであろう。
いつまでも、永遠に許さないだろう。
だから、他国を侵略してはいけないのである。
「従軍慰安婦は国や軍の強制ではなかった」「南京大虐殺はもっと規模は小さかった、いやなかった」
そんなことはどうでもいい。(言いすぎか?)
言えば言うほど、「日本」という「国家の品格」を落とし、自分達が惨めになるだけだ。
「自虐史観」を訴える人達は、そこまで卑下する必要はないだろうとも言っている。
確かに、昭和天皇のように、沈黙するしかないことなのかもしれない。
ただ、何も伝えないと、「自分達は悪くない」という輩(実は誰もが心の中に抱いている)が増えるだろう。
そうなるのが人間だし、そうするのが権力だから。
本ブログでは、「日本万歳」を右翼、「ホントにそう?」を左翼と捉えている。
(もちろん、そんなに単純ではないことはわかっています)
実は、全ての人が心の中に両方の部分を持っている。
だから、右翼的な人、左翼的な人がいるわけではない。
いわゆる左翼も、まちがいは多く犯している。
しかし、今のような世の中になると、反対勢力としての左翼に懐かしさを覚える。
今の日本や世界の状況を打破する抵抗勢力。
その勢力の構築が、本ブログの目的でもある。
本ブロクで、アメリカを悪く言い、中国をあまり悪く言わないのも、そのためだ。
全く公正中立ではない。
なぜそうしているかというと、多くの日本人がアメリカを友人だと思っているだろうし、中国を敵だと思っているだろうから。
人間も国も、いい部分もあれば悪い部分もある。
アメリカを悪く言っているのは、ある意味バランスを取るためである。
かつて、豊臣秀吉が朝鮮を侵略した。もしかしたら、これもやらされたことなのかもしれない。日本を弱体化させて、支配してしまおうという勢力の思惑通り。幸い、徳川幕府の鎖国で助かったけど。(以上、妄想)
言いたいのは、秀吉が明の支配まで考えていたことを、今の我々は「バカなことを」と思えるのに、満州事変からの中国侵略を、「バカなこと」と思わないということ。
このことが、人間の愚かさをよく表している。
本日のポイント
悪いことをしたら、謝る。そして、後は沈黙。
一連の「陰謀論」についての記事を「幽霊の正体見たり…」のカテゴリーにまとめました。