21日(月) はれ。
午前中、Y紙O編集長来社。
「さんこうどう」が変わる(変わった)ということを、大々的にアピールするための相談をさせていただく。
「さぁ、お昼ご飯だ」と椅子に座ったら、電話の伝言があったことを知らせるランプが点いている。
とりあえず出てみる。
内容は、年金特別便が到着して見てみると、その人の奥様が「さんこうどう」に勤務していた時の記録が抜けているので、確認して欲しいとのこと。
50年前のことである。
奥様は、病気で喋ることが出来ないとのこと。
倉庫や古い書棚を一生懸命調べたら、昭和50年以降の記録は残っているが、さすがに30年代の記録は見つからない。
昭和50年代の記録といっても、もう35年以上前の記録である。
探し物をして見つからない時ほどイライラすることはない。
まして、自分のことではなく他の人に不利益が及ぶことはなおさらである。
昨日、手首にはめたゴムバンドをはじく余裕も無かった。
Iさんから、先日の会合でT社K会長がたいへんお喜びだったという、有り難いお電話をいただいたのだが、応対がぞんざいになってしまったかな?
社員のみなさんへの対応もつっけんどんな対応になってしまった。
反省。<m(__)m>
ゴムぱっちんをやらなければ。
社会保険庁の怠慢のお陰でとんだトバッチリだ。
社会保険事務所には、15年ほど前に屈辱的な扱いを受けたことがある。
それだけに、今回の体たらくは憤りを感じる。
急いで、組合の年金基金の会合へ。
新しい投資顧問会社を選ぶための説明会。
説明を聞いているぶんには、どこも儲けさせてくれそうなのだが・・・・。
19:30に、MG仲間のTさんが来社。
2月の研修会のダビングをお願いしていたのを、すっかり忘れていた。
(写真:年金基金会場の窓から見た、崎陽軒創立者の銅像)
【さんこうどう】ホームページ http://www.sankodo.ne.jp/