和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

梅の香漂う水戸弘道館 水戸城本丸跡地 Ⅱ

2022-03-16 11:10:37 | 日記

冠木門 三の丸小学校

三の丸小学校の巨木 昔は塀がなかった

要石 斉昭自詠の和歌

要石歌碑



八掛堂 建学精神を刻んだ弘道館記碑が納められている

水戸城跡の大シイ



茨城県立水戸第一高等学校 水戸城本丸跡に建つている校舎

薬医門

水戸城は水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城で、北部を流れる那珂川と南部に広がっていた千波湖を天然の堀としていました。。台地東端の下の丸(東二の丸)から西に向かって本丸、二の丸、三の丸があり、それぞれが空堀で仕切られていました。
弘道館散策ルート(1.5キロ)、水戸城散策ルート(1,5キロ)を歩いたのですが弘道館は水戸城三の丸に創設された藩校です。
弘道館の散策ルートの一番初めは水戸市立三ノ丸小学校で現在小学校が建っている所は、もともとは弘道館の敷地で水戸城の跡地でもあり、校舎は城をイメージしたデザインとなっていました。
明治25年に水戸高等小学校として創立され、水戸市の中心街に位置する小学校として独自の歴史や伝統、文化を育んできたそうでが散策初めに目についたのは学校敷地にある冠木門でした。
案内役のご主人様は70年近く前にここで学んでいて今でも校歌は忘れていないとか。校庭には巨木が何本もあり昔はこの木に登ったと思い出を語ってくれたそうですが。
弘道館の敷地の中で自由に遊んでいたとは何とものんびりした時代でしたね。
ぐるっと一回りした後は大手橋を渡って二の丸跡地にある茨城大学教育学部附属小学校・附属幼稚園を見ながら、水戸彰考館跡の二の丸展示館で管内の展示物を見ました。藩主の御殿は水戸城二の丸にあったそうです。さらに茨城県立水戸第三高等学校を右に見ながら水戸城跡の大シイの木もしばし眺めました。そこから本城橋を渡り水戸城本丸跡へ。ここの空堀の下は今はJR水郡線が走っています。水戸城本丸跡地には水戸一高(旧制水戸中学)がありました。1878年創立の茨城師範学校を祖とする伝統校で、敷地内には水戸城薬医門が移設されていました。
茨城師範学校はあのクラーク博士が開設した札幌農学校の第一期卒であった渡瀬寅次郎が1885年(明治18年)から3年間校長を務めていたそうですから昔から教育熱心な校風だったのでしょうね。
私の祖父も明治38年にここを卒業しています。体験記によると毎日赤塚の家から8キロメートルを歩いて通学していたそうで昔の人はすごいなあと感心するばかりです。
薬医門は建立年代を特定する資料は発見されていませんが、安土桃山時代末期、佐竹氏が水戸城にいた時期に建てられたものと考えられ、1981年に本丸跡地に移築復元されました。

斉昭の愛でし梅林皆で愛で