GO FOR IT!

何かに向けて走ってます。 旅するランナーです。
NYでエナジーチャージし、HAWAIIでリセットしてます。

コンディショニング 

2010-11-30 | Diary

11月も今日でオシマイ。

仕事が加速度的に忙しい

まあ12月もすぐそばやから仕方ないけど。去年が暇だったから余計そう思うのかも。

朝席についたら、そのまま席を離れず12時間近く仕事したまま。

 

11月で終わったのは、私が行ってた整骨院も。11月末をもって閉院してしまった。仕事帰り、練習帰りに週2回は通ってストレッチをしてもらってた。

四万十で足が倍になったとき、それまで行ってた通いつけの整骨院に向かってる途中に見つけた整骨院の看板。

名前が

「トップアスリート整骨院」

すごい名前やな

名前が名前だけに、運動やってる人を親切に見てくれるんだろうか

そんな思いと好奇心を持って、行く予定だった整骨院を止め、ビルに入った。

それから3年。

名前の通り、運動している人間には、非常に親身になってみてくれた。

以前に行っていた整骨院などは、足が痛いというと、「走るのをしばらく止めてください」

と。

それは分ってるわけで原因を取り除いたらいいに決まってるけど、それなら解決策にならない。

スポーツに理解あるという面ではここはありがたかった。

座骨神経痛めた時も、「走らないほうがいい?」と聞くと「いや、走ったほうがいいです」

足底筋膜炎やった時は、「どうせ走りたいんでしょ?ならテーピングしましょ」と。テーピングは今まででピカイチ。足の痛みは手品のように消えた。

というように、

「走りながら治す」というポリシーを貫いてくれたのが、良かった。気がつけばチームのメンバーもちらほら集まるようになった。

そんな中も、今年長野で痛めた筋断裂の時。

「しばらく走ったらダメでしょう」

と言われたとき、ずっと走ることを止められたことはなかったからこそ、身にしみた。

 

今年の長野。

その前の東京マラソンに気持ちを本気懸けていた。絶対自己ベスト出す!って気合い入っていたから1月の練習はハンパ無かった。

毎週30km走をこなし、月間400K近く走り、そして挑んだものの、冷たい雨に跳ね返された。

そんな蓄積疲労だったのか、レース中にバランスを崩して、ふくらはぎを断裂させてしまった。

それから2か月全く走れず。

やっと痛みが気にならなくなったのは、半年たったニューヨーク前だった。

なのに、ニューヨーク、神戸と疲労を重ねているのに、防府に向けた練習でまた痛めたところに違和感。

治ってはないけど、まだまだ弱いふくらはぎ。

整骨院はクローズしてしまった。

 

そんな時に、痛みだしたふくらはぎ。ここに来て。。。とほほ。

どうしよう?

お世話になった担当の人が同じ系列の他の整骨院に引っ越した。

ちょっと遠いけど、その人を頼っていくことにしよう。

 

そして今日。

残業して、閉まる間際になんとかiphoneのナビに助けられながら迷いつつたどり着いた。

担当の方が、「あ、来てくれたんですね。ありがとうございます」慣れている人に、見てもらうのはありがたい。

ふくらはぎが痛むことを伝える。「え?また痛めたんですか?」と云われ診てもらったが、特に驚いたそぶりもなく。

長い付き合いだから、この痛みはヤバいものではないというのが、表情から伝わってくる。

「明日走ろうとおもうんで来たんですよ」というと、「なるほど」と何も表情を変えない。

明日、走っていいということだね。良かった。

少しだけ通うの大変になるけど、コンディショニングって、信頼関係が大切なんだなと思う。

怪我した時や定期的に必ずいきつけの整形外科にいく。整骨院だけじゃダメだから。

そこの院長先生も、最初は「無理すんなよ」という感じだったけど、去年くらいからランナーデビューした院長は、診察も変わってきた。

走るということを理解してくれると、ランナーとして向き合ってくれる。

普段のケアって大切だねえ。

 

加えて今年の春に大爆発した虫歯で3か月余毎日通った歯医者も昨日定期検診。丁寧に見てくれた。

体調がわるくないように、定期的に通ってる婦人科でもらってる漢方薬。

いろんな面のコンディショニング。

いい人たちに恵まれていることを幸せに思わねば。

 

仕事も忙しくなる12月。風邪に気をつけて、仕事も手を抜かず、コンディショニングに留意しましょー。


私をハワイに連れてって...

2010-11-28 | Diary

朝起きると、、、だるい
さすがに昨日のロング走は身体にきた

防府まであと3週間。ここでもうひと頑張り。

二駅先の免許の更新に出かけて、その後ゆっくりLSDをすることにした。
どこの紅葉を見に行こうかなあ?目の前にそびえる、五月山は遠い
甲山は、そこまでパワーはない。。

結局近所の河川敷を遠回りに遠回りを重ねてうろうろと。

 

久しぶりに空港滑走路のそばまで。ここでずーっと飛行機を眺める。

 

写真を撮ろうとして、うっかり手でレンズを塞いでしまったら、こんな写真がとれていた。真昼だけど、なんか美しい月のよう。

なんか幻想的な絵になったなあ。

ずーっと、iphoneでKCCNのラディオを流してた。

ラディオから聞こえてくるのは、『mele kalkimaka』シスターロビの透き通る声がなんかいいねえー。

とまあ、最初はのんびり走ってたが、さすがに前日35kmも走ってたら、へとへと

でも今日はその疲労においうちをかけるのが目的だから、そこは今日は修行ということで。

2時間ガッツリ走り続けた。ゆーーーっくりと。昨日のレースペース走の方が楽かも

今年もまた、クリスマスと無縁な3週間になりそうだけど、この時期に必ず聴くPureHeart Christmas。そろそろ出してこよう。

こんだけ頑張ってるご褒美に、1月のハワイのエアをリクエストかけている。
マイレージ枠で6月に行って帰ってきてすぐに入れているのにもかかわらず、半年近く待っても一向に空いてくるそぶりが無い

2~3回に1度ハワイに行くときはマイルで飛んできたこの10年。(こないだの6月もマイレージ枠にて)

とにかくJALが元気だったころは、どんどん便があったから、困ることは一切なかった。
昔は盆正月以外なら、普通に取れていたんだが、最近はトンでもない状態になっている。

ふと見ると、先半年以上は金曜出発はほぼ「キャンセル待ち」になってる(呆然)

いつからこんなことになったんだ;;

今シーズンの終わりのボストン帰りも、JALがボストン直行が無く使いづらいのでデルタの周遊を買い、帰りはHNLからKIX経由のつもりなのだが、なんと、KIXの4月の格安枠はもう一杯なんだとか
結局帰りも成田経由で帰ってこないといけない

関西空港はどんどん凋落の一歩をたどり、

JALのハワイ便は機体が小さくなったから、予約がとりづらい。

こうなったらいっそハワイアンエアかぁ??羽田から飛んじゃう???

今日見た伊丹からの飛行機に乗ることがこれからどんどん増えていきそうだ。

 


メントレ

2010-11-27 | Diary

つかの間の放電もあっという間

土曜から復活するって決めた以上は早起きして練習会へ。
想像通り、福知山終わりでゆるゆる感が漂っている。とはいえ、達成感が大きく伝わってくる。

練習会とは名ばかりで、それぞれ目標が違うから、それぞれメニューが違う。
防府まであと4週間と勘違いしていた私。今週末で3週間前なのか

ロング走できるのも今日くらいか。
というわけで、ロング走。最初の集団は形だけで一瞬で一人旅。

みんなさっさと練習を切り上げてる。アタリマエ。頑張ってまだ3日だもん。

 

私の本気レースはこれから。
も一回頑張るために、放電したんだもんね。

練習会だから音楽の手助けも借りない。ただただ、一人。
ずっとずっとひたすら単純な練習を繰り返す。キロ5マイナスでひたすらと。
最初は淡々と走っているも、やっぱりキツイ疲れはやっぱり蓄積してる。

来週いよいよ福岡国際マラソン。市民ランナーで関門の厳しさなら日本一かな。

福岡ランナーのH君。2時間40分を切る彼ですら、3回走ってまだ完走できてない。

最後の追い込みをして思い切り走ってる彼に何度も抜かれ、それでも彼に「たまちゃんがんばってー」と周回で声をかけてくれる。

とはいえ、10km+αを走った頃に、「あとで伴走するよ」と声をかけてくれる。

そしてしばらく経ったら、ダウンジョグを兼ねて何キロか一緒に走ってくれた。

ここで走り出した頃、キロ5で走るのが必死だった。
それでも、今となれば、雑談できる余裕も出てきた。H君にも「速くなったよね」と褒められた。

H君とはいつもバカ話しかしないんだけど今日はなんか途中マジメな話しになった。

トップランナーの名言集みたいなのをいろいろ聞いた。

その中で、昔Qちゃんが言った言葉らしい(昔TVで紹介されていたとか)

 

彼女がシドニーで金メダルを獲り、その翌年ベルリンで世界記録を目指した時に、この歌を詠んだんだと。

 

いままでに

いったいどれだけ走ったか

残すはたった42キロ

 

H君に走りながらこの話しを聞いた時、全身鳥肌が立った。

数キロ伴走してくれて、彼は「後頑張ってねー」と去っていった。

そこから残すは10km余。

またまた一人旅。

チャリにのったH君が「打ち上げ準備しとくからねー頑張れよ」と買い出しに出かけていった。

気がつけば練習コースは私たった一人になった。

タイムは落ちることはなく、それでもだんだん身体がだるくなってきたけど、とにかく淡々と。

そして、最後の1km。キロペース20秒以上上げて、一人でフィニッシュ。

見事に完全イーブンな30kmをキロ5アンダーで走りきった。最初から最後までキロラップは5秒も変わらなかった。

25kmを過ぎた頃から、この練習の意義をずっと考えながら走っていた。
距離はどーでもいいんだと。決めた距離を最後まで走りきることが大切なのだと。

マラソンはメンタルスポーツだと、有森さんが雑誌で語ってた。まさにそうなんだと。

最後まで頑張りきる。それができたことが今日一番の収穫。

みんなより練習1時間以上遅く終わって青空宴会の場所に行くと、みんなは笑顔で迎えてくれた。

H君が張り切って野営でお肉を焼いていた。最初に焼けたお肉を最初に差し出してくれた。

 

家に帰って、この短歌のことをもう一度思い出したら、泣きそうになった。

残すはたった42km。

スタートに立った時、「あと42kmで終わってしまう。寂しいな。」

そんな感覚に常にレースに臨む時に持っていられるランナーになりたい。

ベルリンかあ。戦える脚を持ってる間に挑みたい。

いいメントレになった、Re-Start初日。明日は、ひたすらLSDといこー。

あと3週間。

 

 

 



つかのまの・・・

2010-11-26 | Diary

プチ放電ということで過ごした5日間。
23日の休みはそれなりに過ごし、その他も料理したり掃除してのんびり・・・

のはずだったのだが

結局仕事・・・

仕事忙しかった。朝から晩まで働いて残業→バタンキュー、

確かにラン抜きやけど

まあしゃーないね。ホノルルまで後3週間前くらいのこの季節、ホノルル行っていたときわくわくものだったけど、

この仕事の忙しさ、今後のホノルルマラソンを走ることできるんだろうか??
一応メーカーでそれなりのポジションで働かせていただいており、責任ある立場だからこそ自分で休める時期って分かる。
数年前までは普通にバケーションとってたけどそうはいかないかも。

2004、2006、2008と偶数年走らせていただいたけど、今年はお休み。
オリンピックイヤーに走ると決めた、2000年。だからこそ、2012年は走りたいね。

 

MOMAでゲットしてきた、

The Starry Night.

POSTER にしたのは、Reasonableということももちろんあるが、

Vincent Van Gogh The Museum of Modern Art, New York.

というクレジットがポスターの下に書いてあるから。

外国サイズのこのポスター、日本規格外だから、普通に売ってる額では収まる訳もなく

なもんで、このポスターの為にわざわざ!特注してもらった。

この子がやってきた、このつかのまのプチ放電。それなりに意義があったかな。

週末には、壁に上げよう。また春に、本物に再会できるかな。

 

さあ、また明日からシリアスランナーへ。

防府まであと4週間。NYの勢いを忘れないように、まずは明日ロング走でRe-Start!!

関西は福知山が終わり一息だけど、関東のつくば参戦ランナーさんたち、頑張ってね!

 

 

 


ひさしぶり我が故郷、京都。

2010-11-23 | Diary

京都で育ち、引っ越して10年余。
京都=実家なのだけど、最近は様相がかなり変わってきている。
観光都市であることは変わらないんだけど、どんどんブームになっており。

週末や休みに帰ると・・・

とんでもなく電車が混む
昔は、ここまでひどくなかったぞーー。京都駅はもう、ありえない混み方。

なもんで、最近すっかり京都には足が遠のいている。

今年何回帰ったっけ?

今日は福知山マラソン。去年は友達の車に同乗して応援にいったけど、今年は去年以上にNY→神戸で疲れたので
ランと離れた日を送ろう、と決め、友達に断り京都に帰ることにした。
あ、福知山も京都やけど

久しぶりに泊まりで帰り、朝起き。
せっかくなので早起きして紅葉の名所の我が家の周辺を朝ラン。ランから離れる充電でも、これはいつもと違うラン(笑)

子供の時うんざりするほど遠足という名目で何度も連れてこられたお寺。
最近はすっかり全国レベルで超有名になって有名人もお忍びで来る(昔は香取君、最近は中田ヒデがトラベラーとしてきたらしい)

普段はひっそりしているのに、この時期は大型バスが一杯;;
拝観料もこの時期のみやし(笑)
有名な階段は、人だらけ。まあそれでもハンパ無く美しい。






境内も小さな市が開かれているんだけど、時折同級生に声かけられる恐怖もあるが(笑)今年のお店には知り合いはいなかった。ほっ。
(この姿では会いたくないもん><)



今年は例年になく奇麗やけど、ちょっとピークは遅かったかな。
お寺の向かいの青空市でおばあちゃんが漬けた地元の有名なお漬け物150円。

朝ご飯のお供。京番茶とともにいただくと、地元ってええなあーって実感。

午後から市内へふらり買い物。

桜のシーズンはごった返している四条近辺。今日は妙に空いている。

八坂神社を通ると、あれ?人が少ない。

紅葉の季節は、他の有名な場所に行くんだねえー。確かに八坂は大したことなかった(笑)

京都に帰ってきたら、ほうじ茶買って、ちょっと贅沢に三島亭のお肉食べて、北野天満宮の梅干し買って、しば漬け買って。

観光客みたいやけど、これって京都人の普通やねんけどなあ。

京都に住んでいた頃は、京都ってなんか閉鎖的だったから嫌いだったけど、改めてすごいところだと思う。

最近の全国放送のテレビの紅葉中継の場所も、子供の頃から普通に行っていたとこばかりだし。

でも、人はかなり増えたねー。昔より。

 

ラン抜きの生活を過ごしたつもりでも、やっぱり気になる福知山の結果。

仲間達は軒並みPBを更新している。コースコンディション良かったのかな。

 

あと3日、のんびり過ごそう。


プチ放電

2010-11-22 | Diary
ハーフ翌日。
心拍振り切る90分余りの走りのほうがフル以上に疲れる。

今日はずっと生あくび。軽い酸欠なのかな。

11月入ってランは緊張状態が続いてきた。
もちろんあと1ヶ月後、本気走りの防府が控えてる。

あと1ヶ月しかないんじゃなくて、まだ1ヶ月ある。
NYCMで学んだように心も上げてかねば。

明日は福知山の応援に行こうと思ったけど、
いっぱいいっぱいな脳をリセットしなきゃ。

そんな訳で福知山へは行かずに同じ京都だけど実家でノンビリする。

紅葉の名所の我が家の周りは軽く走るつもりだけど、普段の走りとは別物。

週末にはまたシリアスランナーに戻るから、
たった5日のプチ放電。
混んだ京都をうまく歩いて読めてない東野新作でも読もう。

今日は実家で親ご飯。

5年間ありがとう。最後の神戸女子ハーフマラソン。

2010-11-21 | RACE

今年で最後の神戸全日本女子ハーフマラソン。

マジメに走り出した2005年から四万十に出た07年を除きずっと参戦していて今年で5回目。全出場大会(フルもハーフも)の中で最多出場を数え るこの大会。
ホノルルより、長野より、ニューヨークより多く走ってるのがこの神戸女子。

訳の分らないまま神戸空港に向けて走った2005年。
ホノルルのサブフォーへ道を開いてくれた2006年。
本気なホノルルへの2008年。
そして、同時に2008年は野口みずきちゃんに握手してもらい、そのパワーで、37分切りという、今よりずっと厳しいニューヨークの資格ゲットを した。
ニューヨークでエンジョイした私を本気モードに戻してくれた2009年。
ホノルルやニューヨークへ扉を開いてくれたのは、ここ地元、神戸女子ハーフ。

思い入れはホノルルやニューヨークと同じ位。
いや、地元兵庫県の女子ランナーとなれば、同じくらいとっても大切な大会。

来年からフルに模様替えとはいえ、今年で終わるのはとっても寂しい。
実質時差で11月8日に走ったニューヨークシティのフル明け10日余。

最後の神戸女子、調整が大変で短いスパンであろうともどうしても出たかった。
時差ぼけ、風邪の後の気管支炎、多忙な仕事、沢山の難敵と戦った。

NYCMを走った後、今更練習したってしかたない。
疲労を抜くこと。そしてNYCMの感動を敢えて維持することにした。
テンションを下げないように、NYのことをずっと頭に置いた。

そーしな走られへんしあせあせ(飛び散る汗)
短いスピード走と休養を繰り返して、今日を迎えた。

今日は、後も先も考えず、好き勝手思い存分走ってみよう。

この大会は同時に、まともに天気も恵まれてない(笑)05は強風、06は雨、08もどしゃぶり&雨、09年激寒。

そんな最後の大会は。
「ここまで晴れんでいいんちゃう?あせあせ(飛び散る汗)

5年分の太陽が出たかのよう。晴れ晴れ晴れ
朝からピーカン。普通にウインドブレーカー朝でも要らないし。
気温は20℃手前まで上がってる。晩秋の気温違うやんげっそり

気合い入った最後、何となく自信もあったので、アップもしたいのでいつもより早めにHAT神戸へ。家から30分余。近い。女子が中心の人数もさほ ど多くないので、のんびり受付してもらい、準備もゆっくりできる。
HAT神戸にある県立美術館はちょうどヨーロッパ美術展が開催中。
なんと私を迎えてくれたのは、ここでもゴッホだった。
真っ青な空の下、ゴッホが私に微笑んでくれている。

NYCMのメインスポンサーのアシックス、
もちろん地元神戸もスポンサー。
真っ赤なスカイセンサーで挑んだNYCM。
地元神戸はターサージャパン。NYCMのインソールを入れ替えいざ。
このターサーは神戸専門となってる。このシューズでずっと駆け抜けてきた。
多分、今日この子も今日が引退レースになるのかな。


アップで軽くジョグして、ウインドスプリントもいつもより丁寧。
最後になるであろう(笑)ゼッケンチェック。
大阪国際女子の調整に使われる神戸女子。トップランナーや学生もたくさん。エリートレースはこれが最初で最後になるのかな。

今回は気持ち良く、そして果敢にチャレンジが目標。
最初から去年みたいにペース走とか防府のことは考えず、撃沈してもオッケ。
好き勝手走りましょう。

そして、突っ込んだ(笑)
それでも、さすがの精鋭女子ランナー、奇麗な集団ができる。これならいい感じで乗ってけるかも、自分自身も全然きつくない。

10km地点で45’23って、もしかしてベストタイムかも(笑)

コースはカンペキ熟知しているので、表示をみなくても距離の場所は頭に入ってる。10kmを越えて、曲がり、直線へ。

ここに入った時。
太陽がまともに正面へ!雲一つない青空は、太陽も正面で直射日光がハンパなく。汗のかきかたも、ここで変わった。
おまけに、乾燥しまくっていただけに、身体がどんどん乾いて行くのを感じる。

ここでどんどん気持ちが切れそうになる。小さなアップダウンもキツく感じる。
突っ込み過ぎなのか、何なのかはわからないけど、15km手前の折り返しをしたところで、一気にペースが下がりだした。いつもより粘るのはキツ かった。

身体全身が乾いてる・・・このまま走り続けるのはキツイ。
なんとかなんとかたどり着いて16km辺りのエイドへ。ここだけが唯一スポドリも置いてくれている。

ここの手前くらいから、思案し、ここできっちり水分補給したほうがいいだろうと判断。このエイドで完全に止まり、アミノバイタル、水、スポドリを 数杯一気に摂取。

でも、これがわずかに幸い。これでずるずる落ち続けたペースを少し引き上げ。調子の良さそうな男子についていき、なんとか粘る。

最後の20km手前からペースアップ。
なんとかなんとか90分台をぎりぎり死守。
なんとか最後に1時間40分を切れたのは、有終の美としたい。

後半ぐたぐたにはなったけど、沿道のおばさんの応援の声「いい思い出つくりやー」という言葉が心に響いた。

多分、これが本気で走るハーフのラストレースだろう。

95分切りと大口をたたいていたが(笑)私にとっては、十分満足な結果。悔いない。


47→45→36→40→39分。この5年間でも成長が見られたかな。
(ちょっと最近自分に甘いかね?(笑))

最後フィニッシュした時、ニューヨークでも全く涙でなかったのに、
神戸のフィニッシュゲートでは涙が出た。5年間ほんとうにありがとう。


 

ケアの充実している神戸女子。
終わってから特設テントで整骨院の先生による脚のケア。かなり長い時間。4月に筋断裂した場所は、まだ明らかで治ってないと指摘を受けた。大事に 走るようにアドバイス。
その後は美容専門学校生の女の子にヘッドマッサージをしっかりしてもらった。

これでダウンはカンペキ。
スタート前、沿道から温かいエールをくれたタマゴンさん。
沿道から何度も大声をかけてくれ、フィニッシュで美味しいケーキをくれた、さっちゃんありがとう。福知山頑張ってね。

一番遠い大会のニューヨークの後は、
一番近い電車で20分の地元神戸。
地元の温かさを改めて、実感。

着替えて、いつものスタバでまったりと恒例打ち上げ。
ここでいつも自分のランを振り返ることにしている。
ホノルル前は、ここで気合いを入れ直し、
今年はニューヨークの想いをもう一度反芻。
そして、次の大会へ英気を養う。
20℃近くまで上がったランナーにはちょっと厳しい小春日和も、走り終わったら心地よい。5年目にして初めてアイスコーヒーを飲んだ。



帰り道の神戸駅では、神戸マラソンのイベントが開かれていた。
いよいよ来年は神戸女子は神戸フルマラソンへ。コース図をもらったが、魅力あるコースになっている。



最後の神戸女子も、一部はコースになってる。また同じ道を走る。

神戸マラソンコース


来年の第一回は、何があってもスタートに立ちたい。
来年もまたNYCM2週後だけど(笑)

最後の神戸、タイムより晴れてよかったかな。やっぱり。

もう一度。
5年間ほんとうにありがとう。


Newyork City Marathon 2010 参戦記(30km Bronx~Finish Central Park)

2010-11-20 | RACE

<31-35km>
26'12(AVE5'14)

ここで燃焼しては意味がない。
とはいえ、最後の12km、このペースを維持できるわけもない。
ここからまだ橋を二つ渡って行かねばならない。1つめの橋を渡り、マンハッタンからブロンクスへ出る。どんどん脚が重くなって行く。

ブロンクスの応援。
マンハッタンほと派手な応援ではないが、沿道からは腹の底からだしているような重低音な応援が続く。
小刻みにアップダウンがつづく。道もでこぼこが気になりだす。とにかく粘るしかない。
嫌な記憶って戻ってくるんだよね、ほんと。去年ここで、みるみるうちにタイムが落ちた。(去年の記録を振りかえると30秒以上)
ここでみんなタイムが落ちて行く。私もその一人ではあるが、去年のように極端には落ちていない、それを支えに前に進む。

意地、意地。1STの疾走を台無しにしてなるものか。

35kmポイントが目の前に。
あと7KMでニューヨークシティマラソンは終わってしまうのか。妙に悲しくなった。
悲しくなるという感情にびっくり。私には苦しいという感情は今ないんだねえ。
「マラソンの35KMの壁」は、今日は無縁なんだ。脚が残ってるという証拠だね。も一回ペースを戻せる自信がでてきた。

あとわずか。

<36-40km>
26'12(AVE5'14)
35KMを通過した頃。横を見るとスタートでお話していたランナーさんが前走ってる。

苦笑しながら、「体調悪くなってしまった・・・」と苦しそうだった。

頑張りましょう、と声をかけ、抜く。苦しくなったとはいえ、ずっと私の前で頑張り続けていたのだね。

自分自身もそんな余裕があったわけでもないが、前半であった胃の痛みと脚のだるさはもう完全に消えていた。胃の調子も大丈夫そう。

よし、ここでもうひと頑張り、エネルギーを補給してもいけるかな。ジェルを補給。脳に気合いを入れ直す。
最近ジェルの補給は身体にというより、脳に栄養を与えることなんだと分った。もう一回戦闘モードに戻るためにジェルを補給。

マンハッタンに戻り、長い、長い5番街を前に進む。正面にはクライスラービルが美しくそびえたってる。
ミッドタウンに向けてまっしぐら。
いよいよゴールはもうわずか。
そのわずかなはずなのに、今日はとてつもなく長く感じる。セントラルパークに沿って走るも延々と続く。

 


24マイル(38.4km)過ぎにセントラルパークに入る。やっと入る。
長かった。。。。。
そして、セントラルパークの中を走り出す。ここは、2日前5マイルレースで走った場所。ここは、気持ちよく走れた場所。
あの軽やかな脚運びを思い出し、一気にここで気持ちに余裕が生まれた。5マイルレースの参加が生かされた。

私かなりやれるぞ。

最後の最後でこのレースに「手応え」を感じた。自分の想い通りにレースが展開できたと。

タイムはその際あんまり気にしてなかったが、タイムはどうでもよく、手応えが大事。去年の感動のフィニッシュのことをを頭に描き、前を向く。

<41km-Finish >
11'38(AVE5'17)

そして40km。手応えを力に、Garminのラップボタンを押す。

その瞬間。?? 何だ?

なんとGarminはラップボタンを押した瞬間にバッテリー切れを起こしてしまった。確かに走るまで5時間近くあったとはいえ・・・
バッテリー切れって・・・もしかして寿命?

そんなことをこのレース中に考える必要なんて全くないのに、変な気がとられてしまった。
スタートから一度も切れなかった集中の糸が切れそうになる。その際に3時間23分を表示し、真っ白になった、Garminの画面。

最後の2.195kmは自分一人の闘いになった。情けないがやはりGarminがいないとどっかに心の迷いがでてしまった。

ちゃんと脚を進めてるつもりでも、何かどこかに迷いが出てそれが妨げになる。その気持ちを必死に必死に振り絞り、セントラルパークを出る。

そして、直線コースへ。再度セントラルパークへ。今年も元気に帰ってきた。
いつものごとく、観客とハイタッチしながらの最後の400m。MCが、「マラソン楽しめた?」見たいなことを問いかけられ、
腕を高く上げガッツポーズで答えた。観客は、大喝采してくれた。

フィニッシュ前で必死に走ってるランナーの中、そんなことしているのは私だけだった(笑)

 

ゲートを誇らしげに走り抜けた。

公式の電光掲示板に目をやる。3時間38分+α。
もう真っ白になったGarmin。確かな時間が分らない。あー、40分は切れそうだ、という安堵感とは別に、ロスタイムはどれくらいだったんだろ う、公式の自分の時間はどうなんだ?
途中確認した時は3分強のロスタイムだったから、目標の38分は切れているとは思われてもどっかに安心ができない。
完走の喜びはもちろん大きかったが、自分のタイムがはっきりしないとどこかに心の迷いがあった。

それでも、ちゃんとゴールできた。それも、十分すぎるコース展開ができて、十分なタイムだったと思う。
それでいいんだよ。そう思うと感激でもなく、涙も出ず、疲れもなく、ただただ達成感にあふれた、フィニッシュゲートでの私。満足感一杯だった。

「終わった・・・」

フィニッシュの後、ゲートに向かいいつものように深々と頭を下げ、一礼。NYCM全てのみんなに感謝する。いつもより長かった。

頭を上げた瞬間に、スタートで一緒だったランナーさんが入ってきた。

「途中声を懸けてくれてありがとう。もう一度やる気でたよ」って。途中腹痛を起こし、まだ来たばかりの時差ぼけで初NYでこのタイムって、あっぱ れ!
一緒に長い長い荷物預けの道へ。今年は去年と違い、暖かいセントラルパークだった。記念撮影して、今晩打ち上げの約束をしてランナーさんと別れ た。
地下鉄にのり、アパートメントへ。途中5番街を通り抜けようとすると、まだまだ沢山のランナーが頑張っていた。

沿道近くでは私のメダルを見て、沢山の観客の人が「Confraturation!」と祝福してくれた。
 

Newyork City Marathon 2010 参戦記(Half~1st Ave)

2010-11-19 | RACE
帰りのフライトで書いた参戦記、修正してアップするだけで今週頭で一気にのせるつもりで書き出してましたが、NY出発前にひいた風邪が完治せず。しばらく 鎮まっていたのですが、ここへきて気管支炎を併発たらーっ(汗)&仕事が忙しくなり、 家に帰って気絶する日が続き。。。

それでも、週末のハーフに向け、この参戦記を書くことで心に栄養を与えたいと思い、明日までには仕上げよう。。。(と自分にいいかせる)

風邪はやっと快方に。それ以外はかなりいいコンディション。

**********
21-25km
25'48(AVE5'09)

ハーフを過ぎ、ブルックリンに入る。
思った以上にタイムが良い。今までハーフで速い記録を出してろくなことが無い(笑)でも今日は、なんとかなりそうな気がした。
「後少し、後少し、後少し」ずっとこの言葉をつぶやきながら走り続ける。

後少し。これは、スタートまであと少しって意味。

皇帝・ハイレゲブレシラシエ。
おそらく男子マラソンの世界をトラック競技のようにしてしまった立役者。
かつて瀬古さんたちが築いた男子マラソンを、身体能力という言葉で競技自体を別のものにしてしまった。彼の走りはいつも嘘をつかない。

彼の走りがとにかく好きだった。
彼が履く、アディゼロ。彼に憧れて履いたアディゼロジャパン。アディゼロマニアを自負する私だが、初めてジャパンを履いた時の衝撃は今でも忘れら れない。

今回は大会スポンサーに敬意を表してアシックスで参戦するも、我がパーソナルベストをたたき出したのは、アディゼロジャパン。
そんな彼と同じ大会で走れる。

そう知った時は、こんな嬉しいことがあっていいのか?って思った。去年は女王、ポーララドクリフ。(彼女は 今育児休暇中でお休みなのだけど)

ニューヨークはファイブメジャーズの中でも癖のあるコースでタイムも出にくいと言われている。それでも、男女世界記録保持者がこぞって参戦してく るほど、彼らにとっても魅力あるんだよね。

マラソンってすごいスポーツだと思う。
一 市民ランナーが世界一のアスリートと同じスタート地点に立たせてもらえる。
そんなスポーツ他にある?
例えは強引かもしれないけど、アルゼ ンチンのメッシと一緒にピッチに立つ。そんな感じ?

スタテンのスタートで、ホーンが鳴った瞬間に、Wave1の私は同じ時にハイレとスタートした。

22km地点くらいで2時間余。沿道から男子トップ集団の実況が聞こえてくる。おそらく男子のゴールが間近なんだろう。
ハイレはどうなったんだろう。
と耳を澄ますも早口の英語を理解する余裕はない。その時、彼の最初のゴールを疑って止まず、走り続ける。

そして、スタート地点がやってきた。
私にとってのニューヨークシティマラソン2010の真のスタート地点。

クイーンズボロビレッジ。
レースの一つのポイントになる場所。24km過ぎから、2km余かけてアップダウンの橋を登り、降りる。
ひたすら、上り。ひたすら上り。そして下る。
ハーフまでなんとか持って走ってきても、ここまで頑張りすぎると、この橋でみんなニューヨークシティマラソンのタフさの洗礼を受ける。
ここでダメージを受けてしまったら、あとは試練の後半が待っており、感動以上に苦しさが待っている。昨年の私もその一人だった。

じわじわと登っていくも、どんどんタイムが落ちて行く。5分+αだった登る前のラップがキロ20秒ほど落ちだした。
ハーフまで頑張りすぎた私。また同じことが待ってるんだろうか。

いや、それは違う。
今年のニューヨークシティマラソンへのチャレンジ。
「クイーンズボロビレッジに果敢に挑む」ということであった。
酷暑の夏、北海道の前後ずっと坂道練習を繰り返した。
母校の裏にある坂道を何度も何度も往復した。短い距離で一気に200m以上上がるような坂道走や、なんどもアップダウンを往復。
近所の仲間と誘い合い、週末眠い目をこすりながら、酷暑の中7時スタートで走り。
休みをとって、朝一番一人で走りにいった。平日のがらーんとした山道で一人何やってるんだか(笑)
それもこれも、ニューヨークの橋を克服する、この為にだった。

村上春樹もまた、坂道をぐるぐるしながら、NYへ立ち向かったんだと。
朝、彼の文章でまた、同じ志を持っていたことを力にし、強く脚を前に出す。
落ちて行くペースが、一瞬止まったような気がし、人をどんどん抜いていることを実感する。


そしてピーク。
いよいよ、下り坂。もう向こうからはマンハッタンの歓声が聞こえてくる。
ニューヨークの橋は吊り橋スタイルだから、真ん中までくれば下り坂。

下りの最初の脚を踏み込む時。
「よーしいくぞ!さーここから!」と大声で叫び、気合いを入れた。日本語だったから、周りは何いってんだか、と思っただろう。
今年のニューヨークシティマラソン、いよいよ、幕開け!!

26-30km
24'36(AVE4'55)

マンハッタンに戻ってきた!!下ったそこには既に大観衆であふれている。曲がり角はもうそこ。わくわくどきどき。

1stAveへ!

「あれ、、、こんなにすごかったか???」1STAVE入り、前を見た瞬間、全身鳥肌が立った。マジで。

昨年ここの観衆に感動したはずだったが、どう思い出しても、去年よりスケールのでかさがハンパ無かった。
沿道が全て人で埋め尽くされている。すごい、すごい歓声。


おそらく何万人もの観衆が私たちに応援をくれているんだろう。数キロに渡って隙間の無い人壁ができていて、みんな大声で声援をしてくれる。

東京マラソンの銀座四丁目近辺や、雷門前もほんとうにすごい人だけど、スケールはその何倍も上だった。
みんな腕を高く上げ、ネームカードを振りかざしたり、大声で叫んでいる。自分の息づかいは完全に聞こえなくなった。

ここが今年のハイライト!ここをダッシュで駆け抜ける!

1stAveに入った瞬間の直線を、気持ちはトラック競技のように走り抜けた。
落ち気味だったラップは、クイーンズボロの下り坂の助けを借り、1kmラップは一気に5分アンダー。

普通ならこんな走りをすれば後半に響くだろうけどそんなのどうでもいい。あとボロボロになろうが、そんなの関係ない。
ここで疾走するために、ここで大きく手を振って走るために、今年は頑張ってきたのだから。

私にとっての、この1stAveの直線が、走る理由そのものを象徴しているから。ここを走るために、1年頑張ってきたのだと。

30km通過で5kmラップは24分36秒。キロ4分45秒と大口を叩いていたほどではなかったが(笑)24分台のラップをみて、ほっとした。

Newyork City Marathon 2010 参戦記(Start~Half:PULASKI BRIDGE)

2010-11-16 | RACE

いよいよスタートへ。ぞろぞろとスタート地点へ向かう。
とにかく寒い。一緒にいたランナーさんは服を脱ごうとするも、まだ20分ほどある。
みんなでぎりぎりまで脱がないほうがいいよ、とアドバイス。

NYCMはホノルルもそうだけど、スタート地点にはみんな思い思いの着古した服を着ていき、それをスタート地点においておく。
後でボランティアスタッフがそれを回収し、洗濯し寄付にまわされるそうだ。
ホノルルは朝5時とはいえ、よっぽどの雨でないかぎりどーってことのない気温でもあるしこれ自体がイベントであるが、
NYにとっては、大げさだけど「命綱」(笑)
身体を冷やさないように、できる限り着ている。去年Tシャツ1枚で寒かったので、今年は2枚を重ね着。
1枚はもらいもののメンズサイズの新品のランシャツ。着れないし。
もう1枚は、ずっと積年いろんな想いがつまった「いわくつき」のシャツ。これをどっかで処分したかった。それにはここが最適。
ここで、さようならするつもりで、スタートに置いた。

情報交換をしたランナーさんと一緒に立ってると前に3時間30分のペースメーカーがいる。
「彼についていこうよ」とお誘い。

うーん、無理だよね。3時間30分ということは最初からキロ5で入るってことでしょ。ヴェラザノナローをこのペースで越えるなんてありえない!

かなり迷ったが、何度もお誘いに、ついていけるところまでついていこうかなあ、なんて思う。

ペーサーはオレンジの風船がついた棒を持ってる。え?風船を縛り付けるんじゃないの?聖火ランナーのように走るって、それで走っちゃうの?


歓声が起こる。
いよいよスタート。アメリカ国歌が流れる。一瞬の静寂。そして大歓声。

またそれに続き、F・シナトラの「ニューヨーク、ニューヨーク」が流れる。

NEW YORK,NEW YORK- FRANK SINATRA


2010年、今年もマンハッタンへの旅が始まった。
大歓声とともに、ハイタッチをみんなとしながら。

大手を広げて、笑顔でマンハッタンへ向けてGo!!

そして、前に立ちはだかる、ベラザノナローブリッジ。
今年は去年と全く違う絵が広がっていた。

快晴。真っ青なのである。

風が強く、寒さを感じるはずなのに、その風は今は記憶が無い。
橋の向こうに広がるマンハッタンがほんとうに、ほんとうに、ほんとうに美しいのだ。

これが、ニューヨークシティマラソンの始まりなんだ。わくわく。テンションはいきなり上がる。

なのに、今年の私。とにかく足取りが軽い。去年はここをゆっくりしか登れなかった。
とんでもない急坂だったはずだぞ、なのに、なんで?こんなに速いの、私。

Garminは、キロ5+α。

おいおい、速いぞ。私。3時間30分ペーサーの周りは大集団。やっぱりこんなに速く走る必要がない。敢えて列を離れる。

ここをキロ5分余で走って行く。
こんな走りをするために来たの?

写真を撮ってる沿道で止まってるランナー達を横目に、あの快晴のマンハッタンを止まってみなくていいの、と自問自答する自分がいた。

まだまだ勝負はこれから。

そしてブルックリンへ。
去年同様素晴らしい大歓声が私たちを迎えてくれた。
ブルックリン入ったばかりでの最初の5km通過ラップ。

<0-5km>
25'13(5'02)

わー、やっちゃった(泣)飛ばし過ぎだよ、私。ここで既に去年のペースよりキロ20秒は速い。自重しなきゃ。
でも、どう自重すればいいんだろう?
私はどこにも無理していない。気持ちよく走ってる。ムダな力はどこにも入ってない。ブルックリンの沿道の人たちにも、笑顔で去年と同様手を振れて いる。
何も去年とは変わらない。ニューヨーカーの笑顔は、どんどん目に入ってくる。空の美しさも忘れてはいない。

<6-10km>
25'17(5'03)

身体は、まったくムダな力が入っていない。「淡々と」走ってく。
キロ何分とかあんまりどうでもよくなった、Garminを見ることも徐々に減る。それよりも「身体が心地よいリズム」に注力した。
後でタイムをこうやって出た結果をみるとほんとうにイーブンで走り続けてることが現れになってる。

いちど離団したはずのペースメーカー、気がつけばすぐ前にいるじゃないか。
そしてスタートで話したランナーさんも頑張ってる。私ってもしかしてこのまま最後まで走れるの?そんな簡単にはいくわけないか。
ほんのちょっとだけ、色気が出た(笑)
今年は、さすがに手を頻繁に振ることはできないが、それでも彼らの表情を目に焼き付けながら走った。

<11-15km>
25'15(5'03)

ブルックリンの沿道は狭くなり、小さなアップダウンも増えつつある。カーブも増えつつある。ただただ、走るのみ。
ここの応援、こんなにすごかったっけ?去年以上に大きく感じる。
でも、去年うんざりしかけたこのアップダウンやカーブ、今年はあんまり苦になることはなかった。

そして、この頃には、青空は全く変わりがなかったせいで、気温3℃そこらのスタートだったはずだが、快晴で汗だくになりはじめる。
筋肉が暖まってる。動き出した。
スタートはあの氷雨の東京と同じ気温だが、この晴れは確実に私の味方になってくれるはず!東京の38KM地点で雨が止んで筋肉が動き出した記憶を 必死になって思い出す。あそこから東京はベストラップを刻んだことを。

<16-20km>
25'33(5'06)

15km辺りから少しずつ脚かどこかに違和感が出てきた。苦にならなかったカーブや小さなアップダウン。やっぱりそれが負担になっているんだろう か。
股関節が痛くなってきた。

「あー、やっぱり飛ばしすぎ?」やっちゃったかなあ、、、私。だるさとともに、最初で飛ばしたことに後悔をし始めた。
それでも、この辺りはその道の狭さのお陰か沿道の声が大きい!NYCMはentertainment Area とか書いてある看板が出て、そこではバンド演奏がされてる。
でも、その場所の手前から既に大歓声。
「どこがどう違うねん!」て心の中で突っ込みを入れる関西人(笑)

脚の違和感に、ここからタイム落ちだすんだろうかあ、とペースを落とすタイミングを探り出す。

そして胃の違和感。胃にむかつきが出てきた。
これは忘れることはできない、あの時と同じ。
北海道の15km地点。
奇しくもまた、同じ場所。あの時も同じだった。ここまでは調子良かった。そしてその後は壮絶な闘いとなった。

加えて今日。胃薬を飲むのを忘れたことをここで思い出す。
それで気持ちがネガティブ。どこからまたあの苦しみが始まるんだ?そんなことも併せて考え始める。

でも、同時に、北海道での教訓を思い出した。
こんな時は、スポドリは少なめ、そして、水も大量に飲むと逆効果。水は口に含む程度で少なめにして胃散を中和して収まるのを待つ。

幸いなことにエイドはかなりの数があるため、水を小刻みにとれた。5kmごととかに決まった間隔より、かなりのエイドがあった。
エイドをパスしても次のエイドはすぐやってくる。
「自分でエイドを選べる」このニューヨーク。これが結果幸いとなった。


そうやって、そうやって、ネガティブな自分から、浮き上がってくるのを沈みがちのタイムの中でひたすら待った。

そして、思い出した。

今回の目標はタイムじゃないんだ。
タイムを出すためにニューヨークに来たのではない。

「ベストの走りをする」そうだったんだ。
心も身体も走力も、心技体、全てにおいてベストをつくすんだと。
気持ち負けてたら意味がない。

そして、ベストの走りをする、その一つの象徴として

「1stAveを軽やかに走る」だったはず。

24km地点辺りからの1ST Aveまでまだまだ先。
ここからは慎重に行こう。胃の痛みと脚の違和感を耐えて乗り切ることにした。少しペースが落ちたがこの分は先で取り戻すと信じて。

でも、後でこうやって振り返ると、自分のタイムがさほど落ちていないことに気づかされる。いかに普段イーブン走が身に付いているか、マイナス3秒 になっただけでとんでもないペースダウンと感じる自分は、やはり成長しているのかなと思う。

そして2つめの橋、PULASKI BRIDGE。橋をやっつけようと頑張ってきた気持ちは忘れてなかった。
一気に周りのランナーをどんどん抜いて行く。

ハーフを1時間46分48秒で通過。

えーーーー!速い!
想定は50分切るくらいかと思ってたが。
でもここではネガティブな気持ちより、ポジティブな自分に戻っていた。
後半のペースを考える。
大崩れしなかったらと細かい計算をする自分がいた(笑)

さあー.私のNYCMの真のスタート地点まで、あとわずか。
この辺では、脚の痛みと胃の違和感はもうどこかに消え去っていた。

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