気づけば、今年もあと数時間となった。
1年前こんな文章書いたんだよ、ってわざわざここのブログは教えてくれる。
2012年。
振り返っても、あまりにも、あまりにも、沢山のことがあり過ぎて、消化できない。
振り返ろうとするも、訳わかんないくらい。
いろんなことが起きて、それが全て絡み合って、最後はプチッと切れるようなことになってしまった。
シゴトでも、走りでも、自分の周りでも。
全部全部絡み合って訳分かんなくなってしまった。
2月の東京マラソン。
数年前に大きな怪我をした場所が古傷になって、そこをまた直前で痛めてしまった。
東京はほんとうにつくづく縁がないなあ。そう思うけど、東京が素晴らしい大会になってたこと。そして遂にワールドメジャーズの仲間入り。
それに全く異論のない素晴らしい大会だとおもう。
そして、3月京都を走った。我が故郷を走れたこと。感慨極まりない。
春。
「たまやんが元気で走ってるのが、勇気を与えてるんだよ」そんな言葉をワタシにくれた大切な友。
その友と同様に一緒に出会った大切なもうひとりの、友。ずっと海外で、長い間病気と戦っていた。
友達は、海外に飛んでまで彼女を励ましに行ってくれた。
ワタシも居ても立ってもたまらず、彼女に会いに行く事に決めた。
時間がどうしても、なかなか合わず、やっとの思いで、調整し。3泊5日で、長時間フライトで、いざ休みを取ろうとした時、ボスから呼ばれた。
「karenさん、3月○日、時間あけておいてください、会わせたい方がいるので」と。
長年戦友のように一緒に頑張って来たボス。いろんなところがつぎはぎだらけの会社の綻びを他の仲間と一緒に繋いで来た。
小さいながらもいい会社になったなあ、と思った頃。さすがアメリカの親会社はそんな実績を見逃さなかった。
グループ会社の他の大きな規模の会社へ行ってそこを立て直せと彼に指令が下った。
新しいボスを捜すも、なかなかそんな簡単に見つかる訳もなく、会社を兼業する形で、3か月経った時に、やっと適任が見つかった。
その彼に会ってほしい。マネージャーの一人として、その申し出を断るわけもできず。
一度足りとも、ワタシの休みを認めなかったことがない彼に、有休取得を伝えることができず、結局フライトはキャンセルとなった。
ホスピスから、たまやん、待ってるよ、という彼女のメールに、行けなくなったという返事をすると、それに返信はなかった。
行けなかったことに、代わりに行ってくれることになった友が。
「心配しなくていいよ。たまやんが元気で走ってるのが、勇気を与えてるんだよ」と。
4月。ボストン。暑かった。32℃。
でも、ボストンはいつものボストンだった。いや、ボストンのすごさを改めて実感させてくれた。
今年もココに来れた事を感謝した。
5月。
いよいよ、新しいボスがやってきた。
前ボスがすごい人だったけど、彼も負けず劣らず。すごい人だった。
新しいボスとしても、充分尊敬できる人だ。
だけど、アタリマエの事だが、ボスが変わるということは、想像以上なことだった。
会社の方針が、がらっと変わることがあちらこちらで。今までずっと黒いと思っていたカラスを、白いと言わねばならないような指令だってある。
頭の中が混乱するも、そのスピードについてくの必死だった。
6月。
5年振りに100kmを走った。
四万十で足を怪我していらい、トラウマだった100km。100kmなんて走ったらまた記録更新に遠くなるっていわれりした。
それでも、誘ってくれた友が、100km参加でないと宿が取れないからという単純な理由で100kmを走ることになる。(その友達は怪我で来れなかったけど笑)
時間はたっぷりかかったけど、怪我もせず無事に走りきれた。
夏。
ウルトラの疲労なのか、シゴトの疲労なのか、この辺から調子がおかしくなってきた。
7月には風邪をこじらせてしまった。久しぶりにかなり寝込んでしまった。身体の調子がおかしくなり過ぎて、台湾に行くはずだったのもキャンセル。
会社へ行くと大残業。休みの日には、寝込み、こんな日々が続く。今年も猛暑。全然走れなくなる。
もう我慢できなくなり、真夏で一番暑い、ハイシーズンにハワイに逃げた。
恒例の道マラ。
レース2日前に、仕事中高熱を出した。集中力が切れ、会社を休みたいと思い、ボスに伝えるも、「NO」と。
レースのために休むつもりじゃなかったのに、そう誤解されたことが辛かった。まだコミュニケーションが上手くいってない。
道マラは、初めて走ったホノルルと同じくらい。5時間もかかってフィニッシュした。
オリンピックがあったその地で頑張ってる友からメールをもらった。
「たまやん ねえさんどうもありがとう。
私はこれから救急車で病院に行きます。ここ2,3日急に足腰がたたなくなったので、
スキャンをしてきます。
体が痛いです。
でもがんばります。
たまやんみたいな、お姉さんがいてくれて本当に心強いです。」
彼女が頑張ってるのにね。ワタシ頑張らんでどうする。
秋。
道マラで走れなかったことだってめげてなかった。シゴトだって頑張るよ。
新ボスの要求は日増しに大きくなり、帰る時間が毎日数時間遅くなった。22時過ぎてから、走りに出ることも普通になった。
だけど、身体がどうしてもいうことをきかない。
全然走れない。疲労がどんどん抜けなくなる。年のせいにしたくなかったけど・・・そうなのかなあ。
涼しくなったら走れるようになる、そう信じるも。秋が来るのが遅かったからだと思うも、身体が動かない。
気がつけばニューヨークがちかづいてる。
ニューヨークで、結果を出して、今年はここで一旦終わろうと当初思ってたが、そこまではどうもうまくいかない。焦りまくってた。
でも、ニューヨークに行けば。何かを得られる。そう信じて降り立った、ニューヨークは、サンディというハリケーンが大会すら吹き飛ばしてしまった。
日本に帰って来て、1週間後。あり得ない大遅刻をするほどの時差ぼけに見舞われる。体内時計が狂いまくった。
何のためにニューヨークまで行ったんだか。
そんな中、遂に友からメールが来た。
彼女が旅立った、というメールが。
ここ数か月がヤマだということ、そして治療がかなり辛いもので痛がってるということを聞いていたから、そのメールを見た時正直ほっとした。
あー、これで、もう苦しまなくていいんだって。
本当に大切な人が苦しむことがないんだって思ったら、涙も出ないんだあ。って思った。
その1週間後。
出ようかと迷ってた神戸マラソン。感謝と友情。いつも勇気をもらってるっていっててくれた、彼女のことを思ったら出ない訳にはいかなかった。
結果、上手く走れなかったけど、やっぱり走れてよかった。
だけど。
神戸を走り終わったあと、身体中の電池が本当に切れてしまった。身体が動かなくなってしまった。
真っ暗闇に落ちてしまった。上に上がる階段を見つけることができなくなってた。
友の事を改めて思い出し、時間が経ってから、彼女の事を思い出し、号泣してしまった。もうあの笑顔に会えないなんて。
病院にいった。
「今病院にきて良かったですよ。このまま放っておいたら取り返しつかない状態になってましたよ。」
本当に真っ白になった。
全部を真っ白にして、病院の先生に言われたように薬を飲み、日々を過ごしていく。
すると、小さい光が遠くに見えてきた。あれだけ辛かったことが、少しずつ少しずつ、薄れていき、過ぎ去っていく。
やっと少しずつ、歩けるようになってきた。走れるようになってきた。
でも、上へ登る階段を見つけられたのは、病院の先生がくれた薬だけじゃない。
ずっと、ずっと、みんないろんなところでワタシのことを見守ってくれてた。
調子悪くても、いつも励ましてくれたラン仲間。彼女と同じように長い付き合いをしてきた仲間達。みんなから勇気をもらった。
ダメだしたくさんしてくるボスだって、無茶振りしながらワタシの事を心配してくれている。
そんな感謝がなければ、今日のワタシはない。
そして、12月の防府。神戸のような緩い大会ではなく、あの厳しい大会には、スタートに立つ事すら出来ないと思った。
1週間前。みんなで温かい鍋を囲みながら、「大丈夫、やれるよ」と励ましてくれた地元の友。
そして、ボロボロになってるワタシを励ましてくれ、また頑張っている姿を自ら見せてくれた友が一緒に走ってくれた。
本当に、沢山の素晴らしい仲間に囲まれている。神戸マラソンの通り、友情と感謝。
また、頑張るよ。
やっと身体ももとに戻りつつある。年のせいだと思ってたあの辛い体調不良が全て吹き飛んだのが、嘘のようだ。
気持ちもすごい上向き。
次の目標に向けて、頑張るよー。そう張り切ったら、最後の最後にやっちゃった。
早く帰ってさあ走るよ!そう決め大掃除を頑張ってたら、段ボールに足をひっかけ、滑って転んだ。
軽い捻挫だとおもってたら、どうも靭帯を伸ばしてしまったようだ。。。。とほほ。最後の最後まで、何するねん、ワタシ。
ついてへんなあーー。今年はとことん。
って、笑顔で自分に突っ込めるようになってる。もう大丈夫。
今年の東京が走れなかったのは、以前小さな故障をした時に、無理してすぐ走り出して、大断裂をしてしまったのが古傷になってること。
あの時みたいなことは二度と繰り返さないよ。
だからこそ、毎日、自分に「急がば回れ」といいながら、日々を過ごしている。
数日前。
「Dawn Over the Clover Field」
マッキーが新しいアルバムを出した。毎日毎日ずっとヘビーローテーションで聴いている。
「今の時代、多くの人が大きなストレスを抱えて生きている。『ワーッ』と叫んでしまいたいような現実に出会うことが多い。そんな時に思わず利己的になっ たりするんだけど、そうじゃなくて利他的、他の人のことを考えられるようになったらどんなに素敵かと。その問いかけをポップな音楽に乗せてみたかった」
ここでも何度も書くが、マッキーはワタシと同じ年で、ずっと同じように歩んで来ていると信じている。
いいことがあり、辛いことがあり、彼の人生も本当に波瀾万丈。
恋、人生、社会。彼の人生観は微妙に作る曲を変えながら現在に至るって感じだ。
2年ほど前に彼はインディーズ(独立)な歌い手になった。大手レーベルに属せず、個人でアルバムをだすようになった。
そのせいか、最近の彼の曲は、とにかく自分に素直であること。そして、人への感謝を忘れないものだ。
曲調が昔と変わったとか、難しい歌を唄うとか、とがってるとか、いろんなことを毎回アルバムを出す度に言われてるけど、
人間だもん。同じ年だけ生きて来たからわかるけど、人を愛してるときだって、とがってるときだって、いろいろあるよね。
変わって当然だと思う。
今のマッキーは、そんななか、人に感謝を忘れない、温かい作品を与えてくれた。
2012年。は、ワタシにとって、素敵な2013年の夜明けを演出してくれる1年と信じたい。
みんな、今年もほんとうにありがとう。
さとちゃん。ゆっくり天国でまた笑顔で過ごしてね。もう少ししてから会おうね。