GO FOR IT!

何かに向けて走ってます。 旅するランナーです。
NYでエナジーチャージし、HAWAIIでリセットしてます。

Dawn over 2012

2012-12-31 | Diary

気づけば、今年もあと数時間となった。

1年前こんな文章書いたんだよ、ってわざわざここのブログは教えてくれる。

 

2012年。

振り返っても、あまりにも、あまりにも、沢山のことがあり過ぎて、消化できない。

振り返ろうとするも、訳わかんないくらい。

いろんなことが起きて、それが全て絡み合って、最後はプチッと切れるようなことになってしまった。

 

シゴトでも、走りでも、自分の周りでも。

全部全部絡み合って訳分かんなくなってしまった。

 

2月の東京マラソン。

数年前に大きな怪我をした場所が古傷になって、そこをまた直前で痛めてしまった。

東京はほんとうにつくづく縁がないなあ。そう思うけど、東京が素晴らしい大会になってたこと。そして遂にワールドメジャーズの仲間入り。

それに全く異論のない素晴らしい大会だとおもう。

そして、3月京都を走った。我が故郷を走れたこと。感慨極まりない。

 

春。

 

「たまやんが元気で走ってるのが、勇気を与えてるんだよ」そんな言葉をワタシにくれた大切な友。

 

その友と同様に一緒に出会った大切なもうひとりの、友。ずっと海外で、長い間病気と戦っていた。

友達は、海外に飛んでまで彼女を励ましに行ってくれた。

ワタシも居ても立ってもたまらず、彼女に会いに行く事に決めた。

時間がどうしても、なかなか合わず、やっとの思いで、調整し。3泊5日で、長時間フライトで、いざ休みを取ろうとした時、ボスから呼ばれた。

 

「karenさん、3月○日、時間あけておいてください、会わせたい方がいるので」と。

 

長年戦友のように一緒に頑張って来たボス。いろんなところがつぎはぎだらけの会社の綻びを他の仲間と一緒に繋いで来た。

小さいながらもいい会社になったなあ、と思った頃。さすがアメリカの親会社はそんな実績を見逃さなかった。

グループ会社の他の大きな規模の会社へ行ってそこを立て直せと彼に指令が下った。

新しいボスを捜すも、なかなかそんな簡単に見つかる訳もなく、会社を兼業する形で、3か月経った時に、やっと適任が見つかった。

その彼に会ってほしい。マネージャーの一人として、その申し出を断るわけもできず。

一度足りとも、ワタシの休みを認めなかったことがない彼に、有休取得を伝えることができず、結局フライトはキャンセルとなった。

ホスピスから、たまやん、待ってるよ、という彼女のメールに、行けなくなったという返事をすると、それに返信はなかった。

 

行けなかったことに、代わりに行ってくれることになった友が。

「心配しなくていいよ。たまやんが元気で走ってるのが、勇気を与えてるんだよ」と。

 

4月。ボストン。暑かった。32℃。

でも、ボストンはいつものボストンだった。いや、ボストンのすごさを改めて実感させてくれた。

今年もココに来れた事を感謝した。

 

5月。

いよいよ、新しいボスがやってきた。

前ボスがすごい人だったけど、彼も負けず劣らず。すごい人だった。

新しいボスとしても、充分尊敬できる人だ。

だけど、アタリマエの事だが、ボスが変わるということは、想像以上なことだった。

会社の方針が、がらっと変わることがあちらこちらで。今までずっと黒いと思っていたカラスを、白いと言わねばならないような指令だってある。

頭の中が混乱するも、そのスピードについてくの必死だった。

 

6月。

5年振りに100kmを走った。

四万十で足を怪我していらい、トラウマだった100km。100kmなんて走ったらまた記録更新に遠くなるっていわれりした。

それでも、誘ってくれた友が、100km参加でないと宿が取れないからという単純な理由で100kmを走ることになる。(その友達は怪我で来れなかったけど笑)

時間はたっぷりかかったけど、怪我もせず無事に走りきれた。

 

夏。

ウルトラの疲労なのか、シゴトの疲労なのか、この辺から調子がおかしくなってきた。

7月には風邪をこじらせてしまった。久しぶりにかなり寝込んでしまった。身体の調子がおかしくなり過ぎて、台湾に行くはずだったのもキャンセル。

会社へ行くと大残業。休みの日には、寝込み、こんな日々が続く。今年も猛暑。全然走れなくなる。

 

もう我慢できなくなり、真夏で一番暑い、ハイシーズンにハワイに逃げた。

 

恒例の道マラ。

レース2日前に、仕事中高熱を出した。集中力が切れ、会社を休みたいと思い、ボスに伝えるも、「NO」と。

レースのために休むつもりじゃなかったのに、そう誤解されたことが辛かった。まだコミュニケーションが上手くいってない。

道マラは、初めて走ったホノルルと同じくらい。5時間もかかってフィニッシュした。

 

オリンピックがあったその地で頑張ってる友からメールをもらった。

「たまやん ねえさんどうもありがとう。
私はこれから救急車で病院に行きます。ここ2,3日急に足腰がたたなくなったので、
スキャンをしてきます。
体が痛いです。
でもがんばります。

たまやんみたいな、お姉さんがいてくれて本当に心強いです。」


彼女が頑張ってるのにね。ワタシ頑張らんでどうする。

 

秋。

道マラで走れなかったことだってめげてなかった。シゴトだって頑張るよ。

新ボスの要求は日増しに大きくなり、帰る時間が毎日数時間遅くなった。22時過ぎてから、走りに出ることも普通になった。

だけど、身体がどうしてもいうことをきかない。

全然走れない。疲労がどんどん抜けなくなる。年のせいにしたくなかったけど・・・そうなのかなあ。

涼しくなったら走れるようになる、そう信じるも。秋が来るのが遅かったからだと思うも、身体が動かない。

 

気がつけばニューヨークがちかづいてる。

ニューヨークで、結果を出して、今年はここで一旦終わろうと当初思ってたが、そこまではどうもうまくいかない。焦りまくってた。

でも、ニューヨークに行けば。何かを得られる。そう信じて降り立った、ニューヨークは、サンディというハリケーンが大会すら吹き飛ばしてしまった。

 

日本に帰って来て、1週間後。あり得ない大遅刻をするほどの時差ぼけに見舞われる。体内時計が狂いまくった。

何のためにニューヨークまで行ったんだか。

 

そんな中、遂に友からメールが来た。

 

彼女が旅立った、というメールが。

 

ここ数か月がヤマだということ、そして治療がかなり辛いもので痛がってるということを聞いていたから、そのメールを見た時正直ほっとした。

あー、これで、もう苦しまなくていいんだって。

本当に大切な人が苦しむことがないんだって思ったら、涙も出ないんだあ。って思った。

 

その1週間後。

出ようかと迷ってた神戸マラソン。感謝と友情。いつも勇気をもらってるっていっててくれた、彼女のことを思ったら出ない訳にはいかなかった。

結果、上手く走れなかったけど、やっぱり走れてよかった。

 

だけど。

神戸を走り終わったあと、身体中の電池が本当に切れてしまった。身体が動かなくなってしまった。

真っ暗闇に落ちてしまった。上に上がる階段を見つけることができなくなってた。

友の事を改めて思い出し、時間が経ってから、彼女の事を思い出し、号泣してしまった。もうあの笑顔に会えないなんて。

 

病院にいった。

「今病院にきて良かったですよ。このまま放っておいたら取り返しつかない状態になってましたよ。」

 

本当に真っ白になった。

全部を真っ白にして、病院の先生に言われたように薬を飲み、日々を過ごしていく。

 

すると、小さい光が遠くに見えてきた。あれだけ辛かったことが、少しずつ少しずつ、薄れていき、過ぎ去っていく。

やっと少しずつ、歩けるようになってきた。走れるようになってきた。

 

でも、上へ登る階段を見つけられたのは、病院の先生がくれた薬だけじゃない。

ずっと、ずっと、みんないろんなところでワタシのことを見守ってくれてた。

調子悪くても、いつも励ましてくれたラン仲間。彼女と同じように長い付き合いをしてきた仲間達。みんなから勇気をもらった。

ダメだしたくさんしてくるボスだって、無茶振りしながらワタシの事を心配してくれている。

 

そんな感謝がなければ、今日のワタシはない。

そして、12月の防府。神戸のような緩い大会ではなく、あの厳しい大会には、スタートに立つ事すら出来ないと思った。

1週間前。みんなで温かい鍋を囲みながら、「大丈夫、やれるよ」と励ましてくれた地元の友。

そして、ボロボロになってるワタシを励ましてくれ、また頑張っている姿を自ら見せてくれた友が一緒に走ってくれた。

 

本当に、沢山の素晴らしい仲間に囲まれている。神戸マラソンの通り、友情と感謝。

 

また、頑張るよ。

やっと身体ももとに戻りつつある。年のせいだと思ってたあの辛い体調不良が全て吹き飛んだのが、嘘のようだ。

気持ちもすごい上向き。

次の目標に向けて、頑張るよー。そう張り切ったら、最後の最後にやっちゃった。

 

早く帰ってさあ走るよ!そう決め大掃除を頑張ってたら、段ボールに足をひっかけ、滑って転んだ。

軽い捻挫だとおもってたら、どうも靭帯を伸ばしてしまったようだ。。。。とほほ。最後の最後まで、何するねん、ワタシ。

 

ついてへんなあーー。今年はとことん。

 

って、笑顔で自分に突っ込めるようになってる。もう大丈夫。

今年の東京が走れなかったのは、以前小さな故障をした時に、無理してすぐ走り出して、大断裂をしてしまったのが古傷になってること。

あの時みたいなことは二度と繰り返さないよ。

だからこそ、毎日、自分に「急がば回れ」といいながら、日々を過ごしている。

 

数日前。

Dawn Over the Clover Field

マッキーが新しいアルバムを出した。毎日毎日ずっとヘビーローテーションで聴いている。

 「今の時代、多くの人が大きなストレスを抱えて生きている。『ワーッ』と叫んでしまいたいような現実に出会うことが多い。そんな時に思わず利己的になっ たりするんだけど、そうじゃなくて利他的、他の人のことを考えられるようになったらどんなに素敵かと。その問いかけをポップな音楽に乗せてみたかった」


ここでも何度も書くが、マッキーはワタシと同じ年で、ずっと同じように歩んで来ていると信じている。

いいことがあり、辛いことがあり、彼の人生も本当に波瀾万丈。

恋、人生、社会。彼の人生観は微妙に作る曲を変えながら現在に至るって感じだ。

 

2年ほど前に彼はインディーズ(独立)な歌い手になった。大手レーベルに属せず、個人でアルバムをだすようになった。

そのせいか、最近の彼の曲は、とにかく自分に素直であること。そして、人への感謝を忘れないものだ。

 

 

曲調が昔と変わったとか、難しい歌を唄うとか、とがってるとか、いろんなことを毎回アルバムを出す度に言われてるけど、

人間だもん。同じ年だけ生きて来たからわかるけど、人を愛してるときだって、とがってるときだって、いろいろあるよね。

変わって当然だと思う。

今のマッキーは、そんななか、人に感謝を忘れない、温かい作品を与えてくれた。

 

2012年。は、ワタシにとって、素敵な2013年の夜明けを演出してくれる1年と信じたい。

 

みんな、今年もほんとうにありがとう。

さとちゃん。ゆっくり天国でまた笑顔で過ごしてね。もう少ししてから会おうね。

 


目先の一秒より、今日のベスト。~2012防府読売マラソン~

2012-12-20 | RACE

12月の第三日曜日。
ここ三年間、この日に本気で走るために一年を回して来た。楽園ランナーだったんだけどな。走り出した頃は。


本気しかない、みんなの眼差しが本当に素晴らしいこの場所で本気になる。大好きな場所。

それが防府読売マラソン。

3年間毎年気合入れて準備して、そして、跳ね返されて来た(笑)
自己ベストを出して大喜びした場所であり、最高に悔しい経験をして大泣きした場所でもある。毎年ここでも沢山書いて来た。


1年前、最高にいい状態で臨んだはずだったのに、あの日だけ身体が動かなかった。未だにあの原因は分からない。

そして。楽園ランナーだったはずの私。

3年間ここを走ってきたことと同時に、昔、走り始めた時に決めたことがあった。

「オリンピックイヤーはホノルルを走る」

走ることより、ハワイが好きだったはず。ハワイが好きで、その延長にホノルルマラソン、マウイマラソンがあったはずなんだけど。
その言葉通り、2000年、2004年、2008年と走ってきた。今年はオリンピックイヤー。本当ならホノルルを走ることになる。

だけど、どうしても去年のあの日の謎を知りたかった。もう一度チャレンジしよう。ホノルルは走らないって決めた。

(といいながら、ニューヨークで結果を出せてたら、ホノルル走ったかもしれない(笑))

 


そう決めて、8月のエントリ開始初日に防府に、エントリした。いつもはツアー組んで行ったけど、本当に走れるかわからないから、今年は一人で行く事にした。

そして、ホノルル走らないの?って一緒に走るはずだった人たちに残念がられた。

なのに。
そんな8月以降。

身体中が金縛のような事に襲われてしまった。いろんなことがあり過ぎた。10km以上全力で走れなくなった。

今年、たくさん大切なものを無くしたことが、走ることまでブレーキをかけてしまった。


マジランしか許されない防府。こんな状態では走るどころか、完走すら危うい。出るだけ無理。失礼だ。遠いところまで行く意味が無い。
これだったら、ホノルルでておけばよかったかな。

なんて出てくるのは愚痴ばかり。
仲間が、どんどん頑張ってPBを更新していることを喜ぶことすらできなくなってた。それより妬ましさばっかり。

そんな中、同じように、今年に向けて頑張ってるけど故障でうまくいかないのに、私のように、愚痴なんて無縁で、今出来ることを一生懸命探されてた。

もがいている私に、沢山励ましをくださった。

その姿に、自分の今が何て情けないんだって思った。
今出来ることがたくさんあるんだよね。って。そのうえ、代わりにホノルル出る?そんな生半可な気持ちでホノルルに失礼。


1秒でも速くより、 「今自己ベスト」を突き詰める
by 為末 大

尊敬する彼の言葉をふと思い出した。というわけで、迷いに迷っていたが、2日前、思い切り青空の下を走り、日曜楽しもう。そう決めた。

 

4年目にしてのんびりふらりの防府。ゆっくり遅くに行くつもりだったが、身の回りも片付き、前日受付に間にあう時間に防府へ。

ずっとのぞみだったけど、最近は絶対さくら。さくらはものづくり日本の誇りだ。製造業に携わるものとして、こんなに美しい工業製品は無いと思う。

(なんて偉そうなこといいながら、新大阪乗った瞬間降りる直前まで爆睡してたけど

 

   

受付会場では、ラン友さん達と再会。旅ランの一番のいいところは、別に誰と約束してなくても、必ず再会できること。

旅を重ねるごとに、友が増えていく。これが醍醐味だ。

時間があったので、お誘いを受けて開会式にも参加してみた。さすが準エリート大会。結講厳か。すっかり有名人の埼玉県庁の川内君。なんとマネージャーまでついていた。

彼も旅ランナーなので(笑)しょっちゅうあちらこちらの大会で見かける。最近彼に会ってもあんまり感動しなかったりする

観光モードとはちと遠い防府なので、大人しくうろうろせず。おまけに大雨だったので、まったりと前夜を過ごす。

緊張していないつもりだったが、やはり眠りが浅かった。緊張してるんだろうな。

 

昨日は大雨だった防府は、打って変わっての青空。
さすがの晴れ女。朝で9℃!
正午スタートだからのんびり。
7時45分に朝食まったり食べてたら、8時になった瞬間大行列(^^;;マニュアル通り4時間前だからかな(笑)朝ご飯は3杯おかわり。この量なら今日は調子良さそう。



ゆっくり準備して、シャトルバスで10時過ぎて会場に到着。
出発前に全部準備終わってるから余裕ー。


今年は1000人以上増えたから混雑を恐れていたけど全く杞憂に終わる。
会場内どこも何時もより人が多いなって感じるだけで影響なし。
防府の良さはここに尽きる!走ることだけに集中できる。
準エリート大会だから、仮装ゼロやし。みんなマジランに足元のシューズが物語ってる。


しかし!やっぱり人の多さは大きく変わった。
競技場、すごい人!

今年はラン友さんが一緒に走っていただけることになってたが、競技場のおびただしい人に、探すのは限りなく難しくなり、焦った。

ゼッケン番号教えて貰ってたのに忘れて、立ってる係員さんに出走表借りて探すも男性ランナーの数多すぎ。探しきれず時間切れ(T_T)

あーどうしよ、と思ってたときに声かけてもらう。セーフ!なんていってたらスタート5分前切ってた。

女子は出走少ないので、結構前から走れるけど、後ろでも良いや、どうせごぼう抜きされるんだから、ってリラックス。
ロスタイムは?家帰ってガーミン確認したら23秒。というか、どこがスタートか分からないし(汗)トラック溢れて最初フィールド走った(爆)

今日の目標は45分切りでペース5分15秒前後がターゲット。

45分切り=私の2014BQ。 今キロ5で10km走れないような今の私には、壮大すぎる。

ここ3年間、ここでサブ3.5を狙ってきたというのに。情けないが、今日のベスト、頑張るぞ。

とはいえ、エンジンかかるのが遅い私だから、最初は20秒オーバーでも焦らず、後半上げてく作戦。


「走りはネガティブ、気持ちはポジティブ」



なんてわけわかんないテーマを最初1km過ぎた頃に見える海見ながらつぶやく。

去年、この海見ながら、身体動かないー、とぼやいてたのにね。

それにしても今年は去年海風で凍るような感覚だったのに、汗がいきなり最初の5kmで止まらない。

暑い!
毎年8~9℃位で寒風、時折雪の防府が、スタート16℃、湿度50%って!

信じられない!最初の給水ポイント既に水が間に合ってない。取れる水が無い。これは運営のせいじゃなくて、経験値超えた暑さなんだと思う。

そんな気象条件にボヤキかけた瞬間、後ろから声が。

「大したロスじゃないです。ゆっくり焦らずいきましょう」と友の声。

 

ハッと我に戻る。今日は、全てを言い訳にしない、気持ち切らさず走ろう。その瞬間そう誓った。



暑くてサングラスから汗が溢れてなんども拭うも、いつも強敵だった風を味方にすることにした。時折吹く風に、暑さを和らいでもらった。
今年は、私には、風も強い味方だ。ってポジティブに考える。

現実、実際、ペースは前半イージーペースを維持するので精一杯だった。5分15秒に一生懸命近づけるも、かなりもがき続ける。

それでも、このペースは、突っ込んで撃沈しないギリギリのところ(いわゆるLT値)だと、自分なりに理解した。

じゃあ、これを維持しよう。残念ながら、例年より、10秒以上低いが、現実を受け止めよう。

だけど、これを絶対落とさない。これを最後まで死守してやる。


なんていいながら、落ちそうになったりふらついたラップ。でも、友が励ましてくれる。後ろからそっと見守ってくださる。

相変わらず、余裕度は最初から全くなく。
沿道の暖かい声にも申し訳ないけど、今日だけは応える余裕ない。今日は、走りだけに集中しなきゃ、最後まで走り抜けない。


「今日だけはワガママに自分の事だけ考えて走らせて下さい。なので、わたしの分も沿道に応えてください」

って、そう友にお願いした。その通り、私の分も沿道に笑顔で手を降り、猫ひろしに大声をかけ、川内君には最大のエールを送ってくれた爆。

そして、時折いろんな話をしてくれる。その度に、「karenさん、話返さないでいいですよ、聞いてるだけいいですよ」って。普通ならうるうるなんだろうけど、
それも、封印して走りに集中。

5km、10km、15kmと進む毎にかつての悔しい思いが蘇る。
防府はガチ走りしかしないから、楽しいなんてないんだよね、当たり前。

だけど、不思議な事に、ペースが今まで最遅なのに、チェックポイントを気持ちよく越えていける。
ペースが遅いからじゃない。だって今日の精一杯のペースなのに。ハーフ52分で通過。よし!


「女子をごぼう抜きしてますよ」って。友が褒めてくれた。
(ほんとかなあ、と後でリザルト見たらほんとに50人以上最後で女子を抜いていた。ま、おそすぎなスタートだったからだけどね)

ハーフ直後の三田尻大橋のアップダウン。去年はめちゃきつかったのに、フラットに感じた。

それでも、ペースはひたすら維持。

ちょうどその頃私の前に素晴らしい走りをするランナーさんがいた。
上下動全くぶれず、フォームが美しい。ペースを頑なに守ってる。

多分本当はスーパーランナーさんだとおもうけど、何かの理由でイーブン走してるんだと勝手に解釈してそのランナーさんをひたすら追いかけてく。

走るだけ集中できる、こんなに贅沢な走りは最初で最後だろう。

25km~30km。

去年ここで気持ちが切れた、折り返しまでのポイント。周りのペースに巻き込まれ、向かい風が去年ハンパなかった。
もがいた結果、折り返した後はリカバリ出来ず、ずるずると落ちたところ。

ここを焦らず大切に走る。何も考えず、とにかく前。
橋の上りは頑張らず、下りでリカバリして上手く走りをコントロールするんですよ、って後ろから聞こえてくる絶妙なアドバイスだけ耳に入れるのみ。

給水は、最初は取れなかったけど、給水体制もリカバリしつつ。
って、ここまで書いて思ったが、実は自分の順位が上がりつつあったから、確保出来たのかも。それなら嬉しいな。

とにかく給水は、ペースを乱そうとも最優先。暑いレースなら任せて(笑)

30kmを2時間40分。
凄い、予定通りだ!折り返しコーンを気持ちよく叩く。ここからだ!

気持ちは全然全く切れてない。

給水もジェル補給も上手くこなせ、体調にも脚にもさほど疲れは感じない。
けど、今シーズンろくにロングしてない現実を誤魔化せるほど甘くない。

心拍が上がり出した。

時計を見るのを止めた。ペースが落ちてるのは自覚しても、とにかく前進む。友のアドバイスの通り、前進むランナーを一人一人捕まえてくことに
だけ気持ちいれる。
防府のランナーは、みんなボストンと一緒。同じペースで走っていくから、その人たちにとにかくついてけばいいんだよって。


35km。防府駅前賑やかな場所。

応援が賑やかな所で、キツさが全開(T_T)心拍あがりまくってきた。

後7km。

友が、落ちかけてる自分の前を力強く走ってく(T_T)45分カットは無理って35kmで判ってた。

だけど、だからと言って最後流すのは失礼だし、自分自身の今日の目的である、最後まで気持ち切らさないっていう目標がある。
今日はタイムより、もう一度力強く本気で走れる気持ちを取り戻す。目先の一秒より、今日のベストを目指す。そう決めたんだから。

「みんなキツイんですよー!!粘れ!」

とはいえ、41km手前の横入川越え、強烈にキツイ。
頑張ってなかったら大した上りじゃないんだろうけど、このまま走ったら気絶するんちゃうか?って思うくらい、本気で登った!

そして競技場までの1km弱、
「あと800mですよ!!」のかけ声。

ここでヤッソやるのぉ???それより遥かに遥かにキツイ。

心臓が口から出そうな感覚、インターバルじゃなくてフルでは初めて。

そして、やっと競技場。

ヘロヘロになってるはずなのに、ふと気づくが脚、どこも痛くない。痙攣ってなーに?内臓痛くないの?ってくらい元気。心拍以外(爆)
神戸で大きなマメができ、メディカル行ったのに、今日は全然元気。

トラックへ。

「ここからリラックスで笑顔でゴールしましょう」って。

ラスト1kmのとてつもない苦しさは、フィニッシュラインを超えた瞬間、全て吹き飛んだ。それは、全て満足感に変わった。

 

フィニッシュした時、号泣の準備してたんだけど、涙は一滴もでず。普通に元気に笑顔で競技場を後にした。

心技体、今回は心に120点位あげたいくらい、良くがんばった。


もちろん、それは、私一人の力じゃなく、今日のレースだけでなく、その前からずっと調子悪い私を一杯一杯励ましてくれた、たくさんの仲間達のお陰。

私って、本当に幸せだなあーって本当に思った。


神戸の後粉々になった自分の心を一つ一つ繋ぎ合わせて、ここから長い道のりだけど、も一回時間かかっても、積み木を積み直そう。


時間かかっても、まだまだひよっこだもんね。ランナーとしては。

それにしても、防府って、やっぱり素晴らしい大会だ。
今日の結果は、過去3年より10分以上遅いタイム。

それでも、恥ずかしくない、かな。いや、、多分、一番自分を褒めてやってもいいかもしれない。

 

防府で一番長い時間、一度も気持ちを切らさなかったんだから。


このホスピタリティの素晴らしさ。コースの素晴らしさ、ランナーの素晴らしさ。日本で一番大事な大会の一つになりそうだ。

来年は今日学んだ事で自分一人でおさらいしに戻ってこよう。

 

・・・

レース終わって、早4日経っている。

仕事が忙しすぎて、毎日12時間以上働いているけど、疲れはなく、未だに日曜のあの満足感、達成感に満ちあふれる日々が続いている。

それは、ベストを出せたからなんだろうな。

 

また、ボチボチ、また次ベスト出せる走りが出来る日まで頑張ろう。