GO FOR IT!

何かに向けて走ってます。 旅するランナーです。
NYでエナジーチャージし、HAWAIIでリセットしてます。

心緩く、東を想う。

2011-04-29 | Diary

オシゴトは忙しくはないものの、少しずつ疲労がたまる。まあしゃーないけど。

それに加えて、さすがのレース疲れ、シーズンの一年の疲れからくる腰(梨状筋)の疲労で、ずっと腰が痛い。

そして、タイムゾーンをどんどん移動した私の頭は、「ええ加減にせーよ!」ということでか、ひどーい、きっつーい偏頭痛

渡米前に約束していた六甲山の半縦走はキャンセルせざるを得ず

 

そんな中、知り合いが昨日「こんなイベント知ってますか?」

それはなんと

 

「Jake Shimabukuro 震災復興チャリティーライブ」

 

Jakeがライブだとーーーっ

知りませんでしたわあーー。いきなりでびっくり。ハワイに居た日もジェイクがライブをハワイでやるって聞いて行きたい!と思ったのだけど、場所がワイキキから遠く離れており残念、その後ジェイクが私と同じ日の飛行機で日本にやってきていたのは知っていたが、ライブをやるとは知らなかった。

六甲行きキャンセルで残念やなあーと思ってたが、キャンセルしてよかったかもと思った昨日。

 

朝は偏頭痛がさらにひどくなり、薬を飲んで爆睡 それでもちょっと早めにいったほうがいいよね。

場所は家から30分足らずの場所。こんな近いところでライブなんだよねー。

1時間半前に会場に到着。しかし既に想像以上の凄い人。後ろの方だがなんとかジェイクをはっきり見える場所を確保。後10分遅れてたらかなり厳しかった。

周りはジェイクのファンも多いけど、テレビで見てやってきた「ヤジウマ」的な人も多く。

うーん、こういう時って無料とかじゃなく1000円でもとったほうがいいんじゃないかなあ。マナーも悪いし。

ま、そんな事をぶつぶつ思ってたら、公開リハというわけで、ジェイクが出てきた!おおいい音だ。

 

そしてライブ開始。ちちんぷいぷい(MBSの番組)というわけで、西君&角さん(アナウンサー)がMC、面白かった。

何度もジェイクのライブを見てきたけど、彼の凄いところは彼の演奏は見るたびに進化しているところ。

そこに彼の素晴らしさを感じ、自分自身力をもらう。

今回も彼の祖先が福島ということもあり、すぐに震災ライブを企画して自分で持ち込んできたんだと。

彼がずっとチャリティとしてやってきた活動に

”MUSIC IS GOOD MEDICINE”

というものがある。今までホノルルの街角で少ない観客を相手にストリートライブをしたのを見た事もある。

ずっと頑張ってきているのを知っているからこそ、あのまなざしを久しぶりにこんな近い場所で見れたこと、少し感動。

1時間足らずのミニライブの中に私の好きな曲がいくつも入っていて、それをライブアレンジしてたから本当うれしかった。

 

 

 

募金をした時にもらったバッチ。Tシャツも売っていたんだけど、並んでいる間に完売しちゃた。。残念。

 

 

今日は、こんなバッグにてお出かけ。

kate spadeのトートバッグ。ハワイで見つけた。日本をサポートして売り上げは「全て」寄付に回るんだって。

最近チャリティという名目(?)でいろいろ商売になってるけど、まあそれはいいんじゃない。どんな形であれね。

 

少し緩くなって、走ってばっかりじゃなくて他の事に心を遣る。それもいいね。

走る事に頑張ること、頑張ったから緩む時は、いろんなことを考えていければいいな。

 

 

 


シーズンが終わったが。

2011-04-27 | Diary

いよいよ帰国日。
前日に飛行機のチェックインをしようとすると、成田行き12時45分発だったのが、勝手に9時半の飛行機に変更されている!!

これはいい加減にせーよって事情をデスクに聞くも、午後便はキャンセルになったの一点張り。
到着も遅くなったのに、この飛行機だ と帰りも早くなったらそれはシャレにならない。
デスクに交渉して午後発の関西発へ振り替えてもらおうにもラチがあかない。できない?なわけないやろーっ!
拙い英語力に限界を感じ、日本のデスクに電話して、関西行きの変更をゲット。
結果1時間滞在が伸び、帰宅が1時間早くなったヽ(*⌒∇^)ノ

そんな最終日、午前がフリーになったといっても別に変わったことをすることなく、最後も朝はビーチをウォーク&ジョグ。
イースターの今日はビーチで ミサが開かれていた。

素晴らしい青空のもと、美しい花を眺めつつ。
ここの花の美しさはやっぱり他に勝るものはないね。


次の滞在は、夏かな。今シーズンは6月のハイビスカスハーフに始まり、ここで終了。
まだまだハワイに始まりハワイに終わるランナーです。

11日ぶりの会社でビビったが何も起こってないことに寂しさも;;
とはいえ、それなりにバタバタとしており。走る余裕もないか。

と いいながらいろいろとラン絡みのネタ。

なんとなくふくらはぎに疲労が。。。どうもこれはハワイで走ったビブラムの5本指シューズの効果みたいだ。GWもう少し確認で走ってみよう。

ロンドンマラソン2012のエントリ抽選が始まった。もちろんregistered!
さ て、3回目の正直となるか。
でも当選したら、ボストンの5日後;;JFK-LHRの往復になるのか(笑)

そしてボストン完走証が 届いた!しかし早い!しっかりした運営だね。
順位は12800位。Bibが14026だから少しは健闘したのか?いや、まだまだ精進あるのみ。

雨の中、少し頑張ったふり(!)をして
残業して帰ってきてメールをチェックしたら。
 

 

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Dear KAORI,

By throwing your name into the random drawing for the 2011 Nike Women’s Marathon, you let us know you were serious.

You are up to the challenge of running 26.2 miles.
You can’t wait to hit the streets of San Francisco.
You are fiercely motivated by the thought of 20,000 women doing this together.
You want that Tiffany’s finisher’s necklace so bad you can taste it.

Well it’s time to put your legs where your clicking finger was, because the Goddess of Victory has spoken.

You’re IN, baby!

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おぉーーー! ついにきた。念願のティファニーレース!
NYCMを走らないなら、ChicagoかNWMどっち走ろう???

お、ちょっと待て よ。
「両方走ったらいいんちゃう??」そっか。

はいはい、マジですよん♪気合い入れてファンランします
つうわけ で、Chicagoと2週連続と相成った。
こんな事考えてたら、そろそろ本気で会社にエー加減にせいって言われるかなあ。 Chicagoのボスにゴマすっておこう。

秋のお楽しみをクリアしたら本気で防府に向けて頑張るって決めた。海外で楽しむために はまずは日本で足場を固めないと。

だから、防府のために秋のお楽しみも練習のプログラムの一つとして頑張るよ。

帰 宅途中本屋に立ち寄って裸足トレーニングを立ち読み。
それからD君お勧めの「アドバンスドマラソントレーニング」を購入。
ちょっと基礎か らやり直すことにした。

初心に戻って一からやり直す2011年シーズンといこう。

ランナー脳は一向に休むことをしないね(笑)とはいえ、GWは本当にのんびりしよ。


ワンパターンの滞在

2011-04-26 | Diary

ほんとうに代わり映えのない時間をここでは過ごす。ワンパターンきわまりない最近。

早朝起きて、のんびり走りに出かける。(単に東時間から太平洋へのタイムゾーンの時差ぼけで目が冴えただけなんだけど)

今日はとにかく快晴。空もビーチも美しい。ワイキキの町並みは、静寂。唯一人がにぎやかだったのがapplestore前。

聞くとipad2の販売を待ってるんだってさ。

  

 

  

 

ゆーっくりとダイヤモンドヘッド1周。久しぶりのホノルルマラソン40km地点の太陽。私のランの原点。

苦しさの中、この美しさをもう一度元気な姿でこの太陽をみれるランナーになるんだって決めたんだっけ。

今はボストンのハートブレイクヒルも目標に入ったけどね。

 

その後はお決まりのアラモアナSCへ(笑)どんな自然やアクティビティより、やっぱりアラモアナは外せない。

 

 

午後から友人と待ち合わせ。久しぶりの日本食。うどん屋さんができたらしい。これがまた久しぶりだったこともあり、がっついてしまい、友達に呆れられた

何をするわけでもなく、こんな美しい空を眺めながら、大切な友達とただのんびり話しをするだけ。そんなオアフも悪くない。

夕方の創作日本食屋さんも大変美味でした。

 

走って、アラモアナを眺めて、美味しいご飯食べて、友達とのんびり。本当に最近のハワイは代わり映えがしない。

20数回通ってるが、どんどん行動範囲が狭くなっていくよな気がしてる。

 

ま、今回は慌ただしく動いてきたからこそ、ゆっくり過ごすのも悪くないね。

 


大陸横断、太平洋横断。

2011-04-23 | Diary

たった1日半しかニューヨークには滞在せず、そのまま帰るのではなく向かったのはハワイ。

わざわざここでもハワイに行かないでもいいでしょ

 

充分ハワイに別で行ってるし。て、本人が一番思ってる。

でも今回ハワイを目指したのは既に書いているようこの時期アースデイのハワイは必ずコクアフェスティバルというイベントがありずっと何年も見たいと思ってた。

この日のために、普段はJALを使う私が周遊で価格が抑えられるデルタを使い、ハワイに寄るチケットを確保した。

なのに、2月頃にフェスティバル事務局からは

「No Kokua This Year」

マジですか テンション下がりまくり。

 

でも、まあええか。というわけでニューヨークからデルタにてハワイへ移動。

 

デルタは価格が本当に安い。周りのメンバーの飛行機代聞いててもかなり格安。(実際サーチャージ込みで10万円)

しかし、徹底的なコスト意識に驚かされる。

全てネットにてのオンラインチェックイン、空港も人が少ない。国内線移動は1個目の荷物から有料(!)これは荷物が多い私にはキツイ。

でもって重量制限も国際線より厳しいため、スーツケースを満杯にもできず、大荷物でも移動となった。

 

そしてニューヨーク出発の前夜。オンラインにてチェックインをするようメールが飛んでくる。

すると空港発は7時15分だったのが8時に遅れていると。

朝ニューアーク空港まで1時間以上かかるので、朝何時に起きるんだよ、ととほほ状態だったが、この分で出発も延びたのでほっと一息。

 

しかし、これがトンでもない長旅の始まりだとはその時は思いもしなかった・・・

 

部屋を出たのは5時。グランドセントラル駅まで地下鉄移動で45分のエアポートシャトルに乗る。

朝早い移動にうんざりだったが、途中快晴の空に、マンハッタンが金色に輝いている。少し得した気分。本当に美しかった。

 

空港には6時35分到着。Delayで8時でも充分余裕があるね。

日本の場合国内線なら20分もあれば充分出発に間に合うのだが、アメリカの国内線チェックインの厳しさといえばとんでもなく半端無く厳しい。

セキュリティチェックインで全て靴から荷物、PC、ジャケットまで全てスキャンに通し、人間も日本のような簡単な装置じゃなく、ほんとうにX線検査をうけるようなすごい箱の中を通り、その中で手を万歳したりと、徹底的にチェックされるものだから時間がすごくかかる。デトロイト、ニューヨークと全米でもトップクラスに厳しいところだからかもしれないが、本当に凄いセプテンバーイレブンより10年経った今年。

8時前になり、ゲートで待機し搭乗のアナウンスとともに機内へ。

なんか少し動き出したかな、と思いつつ手元の文庫本に熱心に読み入っていた。

しかし、、一向に動かない。あれ?

気がつけば、手元の文庫本を読み尽くしており、時間をみると9時を過ぎている。ええ、なんで動かないの?滑走路で1時間以上待ちぼうけを食う。

その間アナウンスは無かった(私の英語力が拙いため聞き逃したかもしれないが)。動き出したのは9時半。

ほっとしたのもつかの間。

 

あれ、乗り継ぎできるん?私。

乗り継ぎのアトランタまでは2時間半弱。ホノルル行きは10時50分発。当初は9時半にアトランタに着き1時間20分という充分な乗り継ぎ時間だったのだが、

8時の段階で10時20分くらいの予定だった。若干待ってくれることを想定してギリギリかなとおもってたが、これでカンペキに無理だ。

どうなるんやろ?

やっと動き出したデルタ機内。まだこれからの展開を想像する力はなかった。

そしてデルタの機内でアイテナリー(行程)を再チェック。アメリカ国内線は飛行機の中でWihiが使えるためPCでのネットアクセスが可能なのだ。

上空からデルタのWebサイトをチェック。親切にも(笑)私のアイテナリーには「遅延の恐れがあります」と。恐れじゃなく、遅延だし(汗)

 

もちろん私だけでなく他の乗客もみんな影響をかぶってる。CAのアナウンスで乗り継ぎができない人はアトランタで代替便をお知らせしますとのこと。

で、どうなるわけ?一日1便しか無い私。思わずアトランタで一日滞在か?と焦ってアトランタの観光案内をGoogleで検索する私(笑)

とりあえずメールでハワイの友達に遅延を連絡。Twitterでもつぶやいて掲示板代わりに。Webが繋がっていたのが幸いだった。

アトランタ到着したら電話で宿に遅れる電話をしようとしたら、、、なんと携帯がバッテリー切れを起こしてる。

やばいっ!!充電器を探すと・・・スーツケースの中 スーツケースは先にホノルル行ってしまったし

どうすればいいの!

 

隣のオバサンが声をかけてきた。「あなたどこにいくの?」「ホノルル」「オーマイガッド」そんな会話。

そしておばさんは加えて「ボストンマラソン走ったの?すごいわね」とボストンのTシャツを着ている私に気づいたよう。

「ボストンマラソンがあったこと知ってるんですね」「有名だもんね。テレビでもやってたわ」だって

 

アトランタ到着で長蛇の列に並ぶ。どんどん代替便が案内されていく。私もその一人となったのだが、私の番にくるとカスタマーサービスはこれは手に負えないのか、

「デルタのカウンタに行って、場所はE10」

と。

 

で、それはどこなわけ?

アトランタ空港は巨大空港。多分成田の10倍は軽いのではないだろうか?電車が走っていて、ターミナルだけで5~6箇所くらいある。

指示された場所に行くも、、、あれ?何もない。

どこにいったらわからないし、周りを見てもうーーん。ふとインフォメーションを見つけたのでそこへいく。

Excuseme, と声をかけられると「はい、どうしました?」と年配のオバサン日本人だった。

デルタのカウンタを教えてもらう。でもその答えはすぐそばの国際線窓口。あれ?と思ってたけど「要はどこでもいいのよ」と。そっか。

 

デルタのカスタマーサービスは、遅れた事に微塵も動じず、謝る事もせず、淡々と端末を叩く。

そして、私に差し出したのはロサンゼルス行きの航空券。

 

なに??

アトランタからはもう今日の直行が無いため。ロスに飛び、そこからホノルルへ行けと。

その段階で12時。出発は15時。3時間待つのかよーーー。でも到着は17時だと(ホノルル)。タイムゾーンが既に頭の中でぐちゃぐちゃになってて計算できなくなっており、まあこれくらいなら許容範囲か。というわけでその搭乗券を渡される。

当然、何も賠償になるようなミールクーポンを日系航空会社のようにくれるわけでもなく。謝る言葉一つもなく。

さっき声をかけてくれた日本人のおばさんは「こんなものよ、アメリカの会社は。とりあえず乗る飛行機をじゅんびしたからいいってことなのよね」だって。

 

とりあえず方向が見え、連絡しようも携帯がバッテリー切れてるし。思わず近くの電気屋にかけこむ。充電したいんだけど、というと思案して私のを預かってくれた。

5分でも充電したら使えるから、また5分後おいでと。

5分後行くと最低限使えるようにしてくれた。ドル札を渡そうとすると「そんなのいいよ」という表情。アメリカだからチップのつもりだったけど、温かい対応にホッ。

国内線は食べるものもろくになく。既にアメリカ系のたべものはうんざりだったので中華のフードコート発見。味は、期待できるものではなかったが、まあ空腹を満たすには十分か。実際デルタの機内ではミールは一切でず、ピーナツとビスケットのみだったから。

 

 

アトランタはデルタのハブ拠点。外をみるとデルタ機が無数に止まってる。なんかそれを見ると乗り物オタクとしてはわくわく。

こんな中でもなんとか楽しんでる。ハプニングも旅の楽しみ。

PCの充電も心もとなかったが、待ってるゲートには電源があるブースもあるのでスタバのコーヒーを飲みながらPC触っていると3時間はあっという間。

ロス行きに乗り込む。飛行時間は4時間余り。飛行機の中でネットが使えたので、あちこちへ連絡。

 

こんな情報がネットでとれる。アトランタからロスって見事な太平洋横断(笑)

そして、もう一度アイテナリーをWebで見ると到着時間(ホノルル)は20時42分だと!

 

えええ??

デルタの人勘違いしてるのか。。。そうだよね。そんな早くないか。

17時と連絡したハワイの友達に20時過ぎと連絡しなおし、約束全てキャンセルとなった(泣)

そしてロスに17時10分に到着。

ロサンゼルスの街中を機内から見たとき、自分の置かれている立場に悲しいと思うより、大笑いしてしまった

なんでハリウッドをここで眺めるねん!てね。

 

ホノルル往きの出発は17時50分。走って移動しようと思うと隣だった(笑)

何もロスを満喫することなく再び機内へ。太平洋横断はWihiも入らず、安い機体にテレビも無く。暇極まりなく、ひたすら眠り、空腹をビスケットで紛らわし、

 

到着は、20時30分。

 

見事な24時間の移動だった。日本帰るほうが早かったかも(泣)

 

それでもデルタの到着の時の機内アナウンス。

「Welcome to Hevenly, beautiful Oahu Island, Aloha~」

と能天気にアナウンスしてくれたのが、妙に心を和ませられた。周りのメインランドからのアメリカ人のそわそわわくわく感も伝わってきて、

なんか得した気分にさせられた。

 

そして、荷物が先に出てるので、カスタマーサービスカウンタに事情を話そうと向かい説明すると

「あなたの荷物は後ろから出てくるわ」

と振り返ると、ロスから到着のターンテーブルに私の赤リモアが何もなかったように流れてきた

 

ながーい、ながーい道のり。

 

宿についたのは22時。予定より半日遅れて短い貴重なハワイの時間も損したけど、そんなに悲しくも腹もたたなかったのもこんなハプニングを楽しめたのかな。

 

とりあえず、この旅で日本でも若いときのように夜行バスの旅がまだできるかも、と変な自信も出た、大陸、太平洋横断の旅だった。

 

とはいえ、3か月振りのオアフ、ただいま。

とここまで書いてアップした瞬間に、デルタからごめんなさいメールが飛んできた。凄いタイミング。

まあ、不思議にデルタに腹が立つこともなく、また使うことはありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


マンハッタンの春を探しに

2011-04-21 | Diary

マラソン翌日の19日(火)の昼下がりにニューヨークに入り、出発は21日(木)の早朝。

たった2泊、実質1日半しか滞在ができないニューヨーク。

この後当初予定してた22日のアースデイのホノルルで例年行われるライブをずっと長年見たかった。

今年はチャンスだ!と思いチケットを調べたらデルタだとメインランドとハワイを周遊できるチケットが格安で存在していた。

てなわけでハワイを旅程に組み込むも、、

 

ボストンまで来てニューヨーク寄らないわけにはいかんでしょ!

そして、その短い滞在でもできること。それはマンハッタンの春を感じる事。それなら充分な日程だよね。

というわけで、短い滞在となった。

レース二日後の今日。普段ならジョグもできるから当初マンハッタンを走って回ろうと画策していた。

しかし。

ボストンのハードなコースは普段のロードコースではなくトレイル(山)を走ったような筋肉痛が残っている。走るにはキツイ。

それでもって、与えられた今日、昨晩の冷たい雨のせいで、ニューヨークはもやがかかってしまった。

仕方なく、街歩きに変更。

  

 

ブルックリンブリッジを走って渡ろうと決めていたが、このようにもやがかかって何も見えない。

半分までいって帰る事にする。残念。この近くまで来た事はあるが、快晴なら素晴らしい世界が広がるんだけどね。

 

バッテリーパーク。まさか自由の女神も今日は見えないなんてそれでも春が美しく、リスはやたら元気だった。

グラウンドゼロもかすんでたけど、半年前より大きくなってたのを確認できただけでうれしいね。

 

天気予報だと昼過ぎから晴れてくると。それでも全然そんな様子はない。

太陽が全く出ないので、寒い。本当ならハドソンリバーを北上して走るつもりがそんな気にもなれない。

ユニオンスクエアのマーケットでホットアップルサイダーを飲む。大好きな味。これを飲むとニューヨーク、って感じなんだけど、

今回はこれを満喫しにきたんじゃない

テンション下がり気味。

SOHOのDean&Delucaに行って思わず温かいスープに手が伸びた。部屋に戻ってご飯と一緒にいただく。

お腹いっぱいになったらなんか気持ちが上向いてきた。やだ、私お腹減ってただけ??

 

もう一度外へ。

今度はアッパーサイドを目指して歩きだす。

ミュージアムに行くか思案したが、今回ボストン満喫したので充分かと。一滞在一ミュージアムのほうが印象薄れないしね。

街を歩き、桜が広がるマンハッタンを眺めてく。

ハーレムからコロンビア大学方向へ。ボストンでもそうだったけど、大学の雰囲気はなんかいいねえー。

 

ミッドタウンに戻ってきたら、夕方日暮れ前。

ここへ来ていきなり快晴になる!!青い空が広がり、あんだけさむかったのにコートも要らないくらい。

 

アップルストアの前もチューリップが。

 

摩天楼が夕日に照らされているその美しい姿。花が咲いてるセントラルパークの中をランナー達が走ってる。

あー、またここを本気で走りたいなあ。

 

気がつけば、ロックフェラーセンターや5番街をうろうろしてたら夜遅い時間になっており。

明日は早いんだった。部屋に戻るとするか。パッキングも待ってるしね。

短い滞在、大したことできなかったかな。いや、春を感じることができた。それが今回の目的だったから、満足。

部屋に戻ったのは22時頃。

明日の出発は5時。部屋の片付け、荷物のパッキングなんかをしてたら睡眠時間は2時間半しか残されなかった

 

そして今日は、今年のニューヨークシティマラソンのギャランティドエントリの締め切りの日。

ずっと色々と思うことがあり、今日までエントリせずにきた。

そして。

2011年のニューヨークシティマラソンは、走らない選択をした。

 

ボストンを走り終え、ボストンに対する宿題がとてつもなくでかいことを思い知らされた。

そしてニューヨークの2週後の神戸マラソン。今年の前半はやはりここでベストを出したい。

神戸、我が地元の第一回。走らせていただけるならベストコンディションにしたいしね。

もちろん抽選だから、走れないという可能性もある。いや、その方が大きいだろう。

走れても、走れなくても今の私には中途半端になってしまいそうな気がした。

世界中のランナーの憧れのニューヨーク。

私の権利が誰かの感動に変わるなら、それもいいか。

そして、冬はじっくり基礎を作り直していざボストンへ。

 

なんてかっこいいことを話ししながら、既にエントリしてる10月9日のシカゴマラソン。

走るかどうか現実ではなかったが、現実にしてみようと思う。

北海道からシカゴへ。どう繋がるかはわからないが、ワールドメジャーズの一角シカゴはニューヨークを走らないなら今年はチャンスなのかと判断した。

 

今回ボストンで大勢の在米ランナーさん達と知り合いになることになった。

そんなみなさんシカゴに参戦するらしく、暖かく迎えていただけることになった。

タイムというよりシカゴは楽しめたらいいな。

なんていいながら今の男子の日本記録を出したシカゴは高速コース。10月頭には記録を出すのは難しいけど、なんか面白いチャレンジができればな。

そして密かにエントリしているナイキウイメンズマラソンがサンフランシスコで翌週に(笑)

抽選当たったらティファニーもらいに2週連続フルマラソン

 

2011−12シーズンの青写真はこんな感じで出来上がっているけど、しばらくは本当にリリースするよてい。

本格始動は2か月くらい先になるのかな。

 

というわけで、最後の寄港地、ホノルルへ!

 

 

 


NYの我が家へ

2011-04-20 | Diary

熱くエキサイティングで穏やかだったボストンを後にする。

空港まではもうすっかり慣れた道のりにて電車とバスにて。迷うことはない。だってみんな周りはボストンマラソンのオフィシャルジャケット着てるしね。

チェックインカウンタ、セキュリティチェックインでそれぞれ声をかけられるのは「Congratulation!」うれしいね。

空港の搭乗ゲートももちろんオフィシャルジャケットを着た人だらけ(笑)

 

ニューヨークまで1時間余り。デルタのシャトルにて。

機内でもらったのはボストン地元新聞。ボストンマラソンの特集記事が沢山。

完走者の順位も載ってた。12800位。参加者の真ん中くらいだな。ニューヨークでは余裕で上位15%くらいには入ってるけど、さすがのレベルの高さ。

今回は世界新記録だけでなく、アメリカの男子もアメリカ新記録だったらしい、すごい大会だね。

 

そしてラガーディアへ。

ニューヨークシティマラソンのコースだったのは、なんか少し嬉しかったかな。あのクイーンズボロービレッジ。ああーいい思い出が蘇る。

・・・?

 

遠回りじゃない?普通通らないよ、ここ。

時間がないので今回はタクシーを選んだのに、英語が上手くない(?)ドライバーに遠回りされた;;15分余りのところを1時間近く。

宿で待ち合わせしてたオーナーさんが心配してくれてた。まあボラレたわけではなく安あがりになったんだけどね。

 

ただいま我が家。いつもの同じ部屋。オーナーさんとすっかり長話。時間ないのにね(笑)でもとっても楽しく、もうここで緊張がゆるみまくった。

そしてまずは向かうはセントラルパークへ、もちろん。

    

セントラルパークは、春まっさかり。

わざわざここまできたのは、この春を確かめにきたのだから。桜がいつものジョグコース、満開。

リス達も秋と違って元気に走り回っていた。

 

とはいえ、時折雨がちらつくニューヨーク。春のボストンよりちょっと、いやかなり寒い。

タイムズスクエアは大勢の人。その後余りに寒いのでコリアンタウンまで行ってソルロンタン(ラーメンの類い)。胃に優しいこの味は私のニューヨークのお気に入り。

  

 

バーンズノーブルやルルレモンを覗きつつ部屋に戻りまずはボストンのウェアを洗濯(笑)すっかり勝手が知れてるからここで全部片付ける。

終わった頃には、気がつけば倒れ込むように寝ていた。10時間近く。

ボストンでの緊張、時差ぼけ、レースの興奮はろくな睡眠をもたらしてくれなかったというのに、ここへ来て、身体中が緩んだかのよう。

 

リラックス。

 

本当にボストンがいい意味でリセットされたかのよう。

短い滞在だけど、ここへ来たのは正解だったようだ。

 


Bostonに春がやってきた。

2011-04-19 | Diary

ボストンは平均年齢25歳の街だそうだ。

なんと言おうとも、ハーバード、MITを始めとする世界有数の頭脳がここに集結している。

この街で世界を席巻するFACEBOOKを生んだ街なんだから。

 

そのボストンにとっての毎年4月の第三月曜は、マラソンの日であり、節分なんだって。

ボストンマラソンが終わると、春がやってくる。

金曜に寒風が吹き荒れていた街は、熱い第三月曜が終わったら、チャールズリバーの桜が満開になっていた。

 

 

ボストンは本当に素晴らしい街。

ボストンシンフォニーの壁画。全盛の小沢征爾のタクトを生でみてみたかった。

ボストンミュージアムは、こんな小さい場所に素晴らしいものを詰め込んでいる。

 

 

America's Beloved Ball Park, Fenway Park.

子供の頃からずっと大好きだった野球の原点は、こんなに美しいものだったのだと。この年になって

再確認させられた。

青空の下の白球と天然芝の美しさ。ボールの澄んだ打球音。

Take me to the ball park を青空の下歌えた幸せさ。

松坂大輔は、今季初勝利をボストンマラソン当日に成し遂げてくれた。今年はレッドソックスを応援しようかなあ。

 

 

 

http://youtu.be/TTz8q21Q6uw

 

そして、ランナーの聖地である、このフィニッシュゲート。

ボストンの中心部を3日も前から通行止めにして、1年の一度の晴れ舞台を用意してくれる。

 

 

  

 

完走のご褒美。新鮮なオイスターとニューイングランドクラムチャウダー。完走メダルが光ってる。

アルコールを飲めない私は残念だけど、ここにサミュエルアダムズ(Boston's Beer)で乾杯、これがボストンマラソンの締めくくりなんだそうだ。

   

 

ボストンの街に出会えたこと。そして、ここで大勢の方と新しい出会いが沢山できたこと。

日本人として誇りに思えた時間を持てたこと。

本当に、ありがとう。

 

 


BOSTON

2011-04-18 | Diary

BOSTON。

全米のランナーだけでなく、みんな世界中のランナーが資格をとってここに立つのか。

資格を取った事の意義よりも、このコースを走りきる、それはどんなに厳しいものなのか。

マニュアル本でどんな練習方法を試みても、そんなの通用しない。

 

BOSTON。

この言葉が、今日の自分から、これを軸に回ってくのかもしれない。

ホノルルも、長野も、ニューヨークも、素晴らしい大会。自分にとってもかけがえの無い大会。

 

だけど。

BOSTONで受けた厳しい試練。

BOSTONで得た心の暖かさ。

何百回、「JAPAN!!!」と応援をもらっただろうか。それは走ってる時だけでなく、BOSTONの街の中にいるときずっとだった。

志を同じくするランナー達との出会い。

村上春樹がなぜBOSTONを別格扱いにして、愛しているかという答えが、街中に溢れていた。

非公認ながら皇帝ハイレのタイムを抜いた選手ついにが出た2011年BOSTON。

フェンウェイパークを通って帰途につく時同じ時間に頑張ってた松坂大輔の初勝利で、熱狂的なレッドソックスファンに完走おめでとうそしてありがとうっていってもらえた。

男女アベック優勝だった日本の誇るべき車いすアスリートの二人。彼ら彼女の頑張りが、フィニッシュゲートそばの日の丸が象徴してた。

今年のBOSTONは全てにおいて、スペシャルだった。

 

いや。

BOSTONは、もう私の中でこれらを差し置いて、スペシャルになった。間違いない。

目標のタイムには、程遠く跳ね返されたけれど、フィニッシュエリアで仲間と一緒に号泣してした涙は今まで経験したことない類いのもの。

走り出して丸7年。こんなに泣いたレースは他に類をみない。

 

Heart Breaks Hill(心臓破りの丘)。

地図で見ると大したことはないけれど、ここを走りきるために必要なのは高い心拍能力や、筋力ではなく、

本当の「心」なんだと。

その心が破れてしまわないように今日から精進してかなくちゃ。

 

明日からの目標。

Heart Breaks Hillを満足いくまで走り続けること。それが新しい走る理由になってしまった。

完走記、詳細に書けるか自信ないほど余りにも大きな出来事の一日だったので、この後ゆっくりしてから振り返ります。

あと1週間、この1年をリセットします。

 

そして、

また走り始めます。

明確な目標、2011年シーズンもBOSTONであること。

それは2010シーズン以上に強いものになることは間違いない。

身体以上に心を鍛えていかないと、来年も跳ね返されるだろう。

これからこの目標は、長い道のりになるだろうな。

 

最後に、

「もし、自分の墓標に刻まれる言葉を自分で決められるなら、『村上春樹 作家(そしてランナー) (生年~没年) 少なくとも最後まで歩かなかった』としてほしい」

そう村上春樹がかつてインタビューで答えたその言葉を今日は最後の最後まで貫けたこと。

 

ボストンを一歩たりとも止まることなく、最後まで歩かなかった。この言葉を反芻しながら、今日やることは最後まで走り続けること。

それができた今日の私は、ここまでやってきた最大の褒められるところだと信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ARIGATOU JAPAN

2011-04-18 | Diary

 

2010年メインレース。

ワールドメジャーシリーズ、第2戦。

今年の1年もいろんな事がいっぱいあったけど、最後の走り。

最後はどうなろうとも、自分らしく走ってきます。

世界中のみんなに ARIGATO FROM JAPAN。

 

 

 

いよいよ出発。10時20分から世界中のランナーと感謝と誇りを忘れずに、楽しんで、

 

いや、

挑んできます!!


ありがとう みんな。

 

 


のんびりゆっくりボストン2日目 

2011-04-16 | Diary

毎度の事だが、アメリカの東に来ると時差ぼけがハンパなく。

ワケ分らない時間に目が覚める。朝も真夜中に乾燥と時差ぼけで目が覚め、しょうがなく仕事をこなす

まあどうせ当日は早起きなので朝からのんびりジョグをして飛行機の疲労抜き。身体は軽い。

 

 今回滞在しているところ。なかなかいい感じ。

ここから正面にはボストン大学がある。ボストンはとにかく大学や学校だらけ。だから空気がゆっくり流れている。

ボストン大学の構内を抜けるとチャールズ川へ。ここの遊歩道をずっと走る。日の出前からレガッタ?の練習でボートが何艘も出ている。

村上春樹の文章に出てくるように、何とも言えない美しい光景が広がっている。

「走ることについて語るときに僕の語ること」

この本は、ニューヨーク、ボストンと走る私にとっては、どんなマニュアル本より私のバイブルになってる。往きの飛行機の中でもまた読み直した。

彼の世界を一部覗けたような気持ちにさせてもらった。幸せなランだった。

そのまま帰り道より道して向かうはフェンウェイパーク。昨晩の余韻がかなり残っていた。明日は応援にいくぞ。

 

そしてもう一度ゼッケンピックアップ(明日の5Kのレースが終わってなかった)のでエクスポへ。

エクスポをのんびり見て回る。ニューヨークほどではないけれど盛況。狭い中あちらこちのメーカーがこぞって出店している。

裸足の感覚が味わえる?ビブラムのシューズが日本の半額に近かった。試し履きもできたので衝動的に購入。

そして外に出、フィニッシュ地点のコプリースクエアはもうすっかり道路規制が始まっており、名物のフィニッシュのペンキも新しく塗られ直していた。

   

 

うーんテンションが上がる。

そして近くのフードコートでボストン名物ニューイングランドクラムチャウダーをいただく。

 

カニの味が濃厚ーーーまったりおいしくいただく。

 

今日のボストンは昨日の快晴とは異なり寒い風が吹きさらしていた。

街中を歩くもちょっと辛いかなあーー。でも公園も奇麗だし、電車の乗り放題券を買ってあるのでうろうろする。

街のしくみはシンプル。どこ行くのも楽勝。

   

 

午後からはボストンミュージアムへ。これまた本当に濃厚なのだよねえー。狭いんだけど中に凄いコレクション。

日本の浮世絵のコーナーは評判通り素晴らしいものだった。

狭い街なので本当にゆっくりのんびり。もう少し風が弱ければいいんだけどね

体感温度は3℃くらい?

明日から気温が上がるそうだ。レースの日もそこそこ上がるみたいだけど、どうなんだか。