無事に戻りました

2014-02-20 21:42:28 | その他記事

水曜日夕方6時にタクシーをよび、空港に向かった。20時半の出発だ。
仕事帰りで道は混んでいる。
もっともトラックの荷台に人は乗り放題、
バイクも3人乗り4人りありの何でもこい状態の
とてもすごいところ。


お世話になった病院の前も通過した。お世話になりまた。

プーケット国際空港はいわゆるローカル空港で設備も古い。
ここは入り口でとにかくバゲージのエクスレイをするので
いつも長蛇の列となる。それにしても西洋人やロシア人アラブ系とここは人種のるつぼで
実はワタシはこの雰囲気は大好きなのです。


搭乗手続きやイミグレも済ませて、ボーディング。短い廊下から飛行機を写してみた。
となりのシートは西洋人でいろいろ気づかってくれて、さすがだと思った。
公共でのマナーは自分もリラックスしててかつマナーがいいのはやっぱり西洋人。
英語を母国語としている人は、ほんとに気軽にどこにでもいけるのがそうさせるのだろうか。


夜の10時にスワンナプームでトランジット。日本時間では深夜0時。体力がつきてきた。
札幌便へは、ほとんど1キロは歩いた。大通り歩行空間よりもはるかに長い距離で
病み上がりにはこたえるし、案の定出血してきたらしく、やっぱりちょっと動くのは早すぎたと感じるが
まあ、自分を信じよう。


国際線はたいていバスで移動。
空港内のバスはアクセル全開でなかなかいい運転手さんでした。
登場の階段は段差のあるハイステップで足の弱い人や、ワタシのように身体に力が入らない人には
ちょっとしんどかった。


とにかく乗って、あとは行くだけ。
すでに日本時間深夜1時を過ぎていた。


離陸してスワンナプーム付近の夜景。
あとは日本に向かうだけ。
帰路は偏西風があるので往路より一時間以上早く着く。
なんとか日本まで容体が悪くならないようにとおもった。

朝7時半新千歳空港到着。
空港と設備のなんと美しいことか。
バゲージの荷物扱いの速さ丁寧さもすばらしい。
トイレも設備が整い清潔だ。
日本はほんとうにいいなあとつくづく思いました。


快速に乗り換えて自宅へ。
ただいま~ ただいま~
無事に戻りました。
有難うございました。


退院して静養する

2014-02-18 17:15:41 | その他記事

元気にもなり、抜糸と静養期間は 退院して休むことにしました。
病院食はこんな感じ。体調良ければおいしいですが、まだ半分もたべられません。

タクシーを呼んでもらって待つ間。
(院内は広いですが さすがに写真は撮りません)

ホテルはどこも満室。
とにかく一泊目は例のゲストハウスがすぐ近いので泊り、
それ以降は 昔お世話になったマンションに週泊りさせてもらうことに
なった。

ゲストハウスは今回は3階。階段しかなくバゲージが重くて、10分近くかかってしまった。
ここはいろいろな人がいておもしろいですが、術後のワタシには気が引けて閉じこもってました。
3階のベランダからはタイの日常の風景がみてとれます。見えるのは焼きそば屋さんです。
なにもないけど、お部屋はすこし広かった。


翌日マンションへ移動。
10年前は壁が白かったですが緑になってました。
ここは 古いですが リタイアメントしたファラン(西洋人)や、ビジネスで住んでいる人のワンルームマンション。
タノン(表通り)からソーイ(中通り)一本はいるだけで とても静かです。


ソーイの垣根のブーゲンビリア。わたしはこのお花が大好きです。

こんな古いカローラ?もありました。なつかしいなあ。


お部屋はワンルーム。日曜日から水曜の夜までここで過ごしています

なにもないけど、朝は鳥の声で目覚めます。
4月のルードゥーローン(夏季)が来るまでは、風もあり 札幌の夏のようで気持ちがよいです。
ここなら安心。落ち着きます。早く体力をつけて日本に帰ります。

旅先での病に遭遇する

2014-02-14 16:23:32 | その他記事
いきなりゲストハウスで10か所も虫にかまれるなど
どうも嫌な予感がしていて的中し、過労も重なり倒れてしまった。

10年前の訪問時も同じことがあり、その時にお世話になった病院へ
直行した。
念のために持参した患者カードもデータが残っていて、
すぐに受付して、事情を話し、診察を受ける。
過労もあり具合の悪い部分があって、手術したほうがよいとのこと。
2泊で退院できるとあり、このままでは後半の仕事も帰路も不可能なので
お願いする。

お金はかかるが、海外仕事の場合はいつも余分に現金とカードを持参している。
トータルコストを確認して十分大丈夫。さっそく入院する。


エクスエレイや心電図など検査をして、翌日手術となった。
同意書サインアップして、あとはまな板のコイ。
タイの医療(もちろん病院差はうんとあるが)で外国人がかかれる病院は
日本とかわらず進んでいて、画像装置や電子カルテなども完備している。
ストレッチャーでがらがらと運ばれていく。
手術室で麻酔医の若いドクターは優しくハンサムだった。
同意書の確認などしていると、タイ語と英語のチャンポン状態になって
KHUN kaori PHUUT PHASAA THAI KHENG NA KHAP (kaoriさん タイ語がうまいね)といわれて
うれしいやら、はずかしいやらだが、微笑みながらさくっと麻酔をいれられすぐに気を失った。


ICUから出て、病室に運ばれて ふと見上げると南国の空。
甘い雲がじっとしている。


夜中はさすがに麻酔がきれて厳しかったが、朝にはだいぶ元気になった。
鳥が鳴きながらベランダに遊びにきてくれる。
亡父が酉年だったので、励ましにきてくれたのかと 父を思い出して涙がでてしまったが、
元気であることに感謝をした。


病室から出たところのラウンジ。
タイ新聞。読めるけど、意味がわからないところがかなーり多々ある。
生々しい犯罪写真もでかでかと出ているので、スポーツ記事しかみるところはなかった。
すぐによくなるので、心配は無用です。
カワサキ乗りなので、W3乗りなので 大丈夫です。

遠くへゆく 到着して一休み

2014-02-12 08:21:41 | その他記事

目的地のプーケット国際空港へは日本時間で夜の11時を過ぎていた。
プーケットはタイでも有名な海岸観光地。西洋人や日本人に人気の場所。
乗客の9割は観光で、まわりからはようやくついたーの感じがする。


もちろんワタシのように仕事でいやいや来ている人もいるはずで、
そんな人の集団に添ってワタシもバゲージを待った。

込み合う出口をそそくさとでて、向かえのタクシーを探して乗り込む。
ビーチにいくのならよいが、むかうのは市街地。
旧正月のからみで市内のホテルはいっぱいで、とりあえずゲストハウスみたいな
ところしかとれず、そこへ向かう。
とにかく もうくたくたで、今自分がどこにいて、何をしているのかわからないくらい。

田舎のホテルのようなレセプションで受け付けをして、がらんとしたお部屋にはいり、
シャワーもそこそこに眠ってしまった。



南国の鳥の声で目が覚めるてカーテンをあけてみる。
なんだかジャングルのなかに来たようで不安。

クライアントとのアポイントは明日なので、一日ゆっくりして疲れをとろうと思った。


ドアを出ると、昔の小学校の中庭のようなロータリにベンチがある。
近くには屋台もあるし、まがりなりにもカフェテラスもあったので、元気をだそうとカフェテラスで
西洋人向けのいわゆるブレックファーストを食べた。暖かい食べものと飲みもで、すぐに元気がでた。

そういえば
W3で走るときもそうだった、冷えて疲れたときはいつも暖かい食べ物と飲み物がいちばん効果があった。

時間もあるし、このベンチで一休みして のんびりすることにしました。


蒸し暑けれども大きなヤシの木の葉が 時間をゆっくりと運んでくれました。





遠くへゆく

2014-02-11 15:52:46 | その他記事

まだ先だからいいやと思っていた遠出の日が来た。
朝の新千歳空港、仕事の準備が忙しく、身支度は早朝に
あわてて支度をした。

時間があったので、人気のない二階でテレビを見ながら
居眠りする。外はとてもさむそうだ。


定刻どおり登場した。
実は飛行機が苦手で、特に離着陸で耳が痛くなるのがいつものことだ。


この数日は低気圧と寒波がきていて
ずっと眼下は雲海だったが、九州にさしかかって
見えるようになった。
寒波のせいで阿蘇山の外輪が冠雪しているのがみてとれた。


沖縄本島の海岸線。
日本とはここで離れることになる。


インドシナ半島に入った。
雲が夏の雲にかわっている。


7時間のって やっとスワンナプーム空港についた。
2時間の時差があって、こっちはまだ夕方まえ。
ここから、さらに乗り換えるので、トランジットゲートへ歩く。

スワナプームのトランジットはいつきてもわかりにくいし、1キロ近く
空港を歩かなければならないほど広い。
今回も目的の乗継便名が変わっていて、とまどっている旅行者が多くいたことだろう。



タイ国内線のウイングで。
ようやく乗り換えたころには、夕暮れになってきた。

赤道に近い国は、夜明けと夕暮れはあっというまに進む。
しかし、東南アジア夕暮れは美しく、タイ国は昭和の時代と同じでほぼ土曜日も仕事の通常日だ。
それと、17時には民間会社もこぞって退社する。この夕日をみてるとそんな気持ちがわかる気がする。

わたしの目的地はここからまだ1時間以上飛行機にのらなければならない。つづく。