●またしても幸運に引き寄せられ、千年前の少女が住んでいた場所に出くわした。
2007年3月9日、国衙地区を歩いていた我々は、とある発掘現場に出くわしました。
昔の建物の跡のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/fe/9036679525d32ee3464c906b7b2c8bd2.jpg)
(写真左の方にいるのが、永沼氏と監督)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e2/7fe25e8c209c423c76795ee1667ff83a.jpg)
こういうとき、何を見ればよいか。
埋もれていた昔の器なども珍しいのですが、それよりもまず、建物の柱穴や塀の跡を見つけて、建物全体の平面プランを見定めることです。
我々も少しは勉強して行ってるので、どうもこれは平安時代の寝殿造りの北側部分らしいと見えてきてしまいました。北の対屋や雑舎とか厨の柱穴が、築地塀の内側に並んでいるように思えたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/0b/69ae891928eef1d105f34c241c895bc6.jpg)
防府市は周防国府の所在地だったはずですが、実のところそれほど多くの遺構が発掘されていません。国府の中核である国庁の位置も不明確ならば、国司館跡も千年前よりもっと古い時代のものがわずかに出ているだけです。
そうした中にあって、ここで発掘されているのが平安時代の国司館跡だとするならば、まさに我々が欲しかったものが目の前に出土していたことになります。ロケハンの時期が少しずれていたら、こんなふうに目の当たりにすることなどかなわなかったかもしれません。
ここは西暦974年に周防の守だった清原元輔の邸宅だったかもしれない、とまで一気にイメージが膨らみます。清原元輔は、『マイマイ新子と千年の魔法』に登場する千年前の少女・諾子の父親にあたる人物です。
千年前の女の子がほんとうに住んでいた家の跡!
といっても、まだ地面にあいた穴の写真があるだけなのですが。