メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

諾子の家、発見

2009年09月05日 12時31分46秒 | mai-mai-making

●またしても幸運に引き寄せられ、千年前の少女が住んでいた場所に出くわした。



 2007年3月9日、国衙地区を歩いていた我々は、とある発掘現場に出くわしました。
 昔の建物の跡のようです。
             
              (写真左の方にいるのが、永沼氏と監督)

             
 こういうとき、何を見ればよいか。
 埋もれていた昔の器なども珍しいのですが、それよりもまず、建物の柱穴や塀の跡を見つけて、建物全体の平面プランを見定めることです。
 我々も少しは勉強して行ってるので、どうもこれは平安時代の寝殿造りの北側部分らしいと見えてきてしまいました。北の対屋や雑舎とか厨の柱穴が、築地塀の内側に並んでいるように思えたのです。
             

 防府市は周防国府の所在地だったはずですが、実のところそれほど多くの遺構が発掘されていません。国府の中核である国庁の位置も不明確ならば、国司館跡も千年前よりもっと古い時代のものがわずかに出ているだけです。
 そうした中にあって、ここで発掘されているのが平安時代の国司館跡だとするならば、まさに我々が欲しかったものが目の前に出土していたことになります。ロケハンの時期が少しずれていたら、こんなふうに目の当たりにすることなどかなわなかったかもしれません。
 ここは西暦974年に周防の守だった清原元輔の邸宅だったかもしれない、とまで一気にイメージが膨らみます。清原元輔は、『マイマイ新子と千年の魔法』に登場する千年前の少女・諾子の父親にあたる人物です。
 千年前の女の子がほんとうに住んでいた家の跡!
 といっても、まだ地面にあいた穴の写真があるだけなのですが。

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670年前の道を捜したこと

2009年09月05日 11時12分21秒 | mai-mai-making

●その土地の過去をイメージするおもしろさ。ふたつの時代が二重写しに重なって見えてくる。



 この2回目のロケハンには、考証協力の永沼幸仁さんにも同行してもらっています。
 永沼さんはアニメーション業界とは縁もゆかりもない職業の方です。監督の飲み友達といいましょうか、日本の中世史に造詣深く、話をよく聞かされていました。

 その永沼さんが拙宅を訪ねてきたのが2002年10月。
「あのさ、お宅の近所にさ、久米川古戦場跡ってあるでしょ」
 我が家から目と鼻の先みたいなところです。
「ちょっとその辺、車で案内してもらえないかなあ」
 永沼さんが調べている新田義貞が鎌倉攻めの途中、北条方と戦った戦跡です。自分がふだん何気なく通る近所の交差点が、西暦1333年5月には交通の要衝であり、3000の兵士たちがそこで敵を待ちうけ、命がけで守るべき軍事上の重要拠点だったのだ、と彼はいいます。
「当時の道はどこを走ってたんだろね」
 地形を眺めてそれらしい道を選んでくねくねと車を走らせると、「勢揃橋」「誓詞橋」「白旗塚」と関係ありそうな地名が次々とその道の上に現れてきました。意外に見る目があったといいましょうか、その日、我々はたしかに地形を読むことだけで670年前の道を見つけていたのでした。
「おもしろい」
 入間川から多摩川までのあいだを車で走り回りました。ふたつの川に挟まれた南北20キロほどの土地の「中世」。
 神社ごとにいわれを読んで1333年に焼打ちにあった神社をいくつも見つける。道路地図と地形図を見比べる。江戸時代以降の新しい集落を頭の中で打ち消し、当時すでに存在していたはずの里だけにしてみる。地形の凹凸を読む。武蔵野と呼ばれていた植生を思い浮かべてみる。水がきわめて少ない土地で水場はどことどこにあったのか。道はどこに集まるのか。押さえるべき戦略的要地はどこか。などと。
 7時間さまよった末、日暮れとともに帰宅した頃には、すべての風景が姿を変えていました。
 ふたつの時代が二重写しに重なって見えるような気がします。
 なんとも不思議におもしろい気分。
『マイマイ新子と千年の魔法』という映画にはいくつかの「はじまり」があるのですが、この日のワクワク感はまちがいなくそのひとつです。

 今度は山口県防府の千年前の道を捜します。
 写真は、防府市国衙5丁目の南部。千年前の海岸線が段差となって残っています。
 おもしろい。
             

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