メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

小学校を訪れ、資料をひっくり返す

2009年09月07日 16時48分42秒 | mai-mai-making
●新子の同級生の制服は、ひとりひとり違う色に塗られている。

 1回目、2回目のロケハンでは高樹のぶ子さんも通っておられた防府市立松崎小学校も取材させてもらえました。
「資料はこの辺にあります」
 と、先生が部屋を開けて下さると、そこに飛び込むなり黙々と写真を撮り続ける我々。どう思われたことでしょう。

 新子の時代と同じ木造校舎のカラー写真があります。貴重です。昭和53年、建て替える前に子どもたちがお別れしているところのようです。
             
 残念なことに、この直後に解体作業着手です。
             
 上の写真で気づくかと思うのですが、このあたりの小学校は公立でも制服(標準服)です。
いつ頃からなのでしょうか。映画の舞台となる昭和30年にはどうだったのでしょうか。
 学校の資料の中から卒業写真のアルバムを見つけました。
             
 開校以来、歴代の卒業写真が並んでいます。これを見れば一目瞭然。標準服は昭和6年に導入されて以来、基本的なデザインはほとんど変っていません。安心して同じものを新子たちに着せることができます。
 キャラクター・デザインの参考にするため、学校公認で児童の写真を撮らせてもらいました。
             
 もちろん、顔はフレーム外です。個人情報保護の観点から配慮が必要なのです。そういう意味で子どもたちの写真を至近距離の真正面から撮らせてもらえるだなんて最近ではまずありえないことで、カメラを構える制作・丸山真太郎はドキドキして手が震えてしまったらしいです。

 けれど、ピカピカしたおそろいの制服の子どもたちを描いても昭和30年のイメージじゃないなあ。
 ということで考えました。
 たいへんめんどくさいのですが、制服の色をひとりひとり変えてみました。洗濯して色褪せてたり、繊維が埃を吸ってる感じです。そうやって微妙におそろいではない感じにしてあります。
             
 当然、転校生の貴伊子の制服はまっさらな色になるはず。さらに、松崎小の昭和30年代の写真を見ると、児童は教室内では裸足だったようですし、東京から来た転校生の貴伊子だけ上履きを履いていて、貴伊子はさぞ居心地悪かったことでしょう。

 ちなみに、写真をたくさん見たおかげで最近では高樹のぶ子さんの子どもの頃のお顔が判別できるようになってしまっているのですが(子ども時代の高樹さんは、光子の声を演じた松元環季ちゃんにちょっと似ています)、学校の集合写真で見るとどうも高樹さんだけセーラー服ではない服を着ておられるような。お母様の洋裁でしょうか。そんなことも小学校の所蔵資料からわかってしまうわけです。

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サントラ盤・原版完成

2009年09月07日 12時39分00秒 | 日記
ふと『マイマイ新子と千年の魔法』のBGMを聴きなおしたくなって、朝の通勤の車でかけながらやってきました。
一応、立場上、映画本編に使った音楽のデータは持っているわけです。特権行使ですね。
BGMとしての響きの良さはもちろんなのですが、Mookiさんの声だけを多重録音したアカペラの楽曲はディテールまで聴き甲斐があります。台詞とか効果音でマスキングされないクリアな細部は圧巻です。

と思いつつ仕事場に着いたら、先週末に届いたのか、サントラ盤CDのサンプル盤が机に置いてありました。


http://shusei.asablo.jp/blog/2009/09/04/
http://www.mooki.jp/blog/2009/09/post_83.html#more
先週行っていたマスタリング作業、完成というわけですね。
秀清さん、MooKiさん、岡田さん、袴田さん、お疲れ様でした。
サントラ盤CDが出るのが待ち遠しいです。

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"千年前"を見えるものにしてゆく

2009年09月07日 09時36分51秒 | mai-mai-making
●原作『マイマイ新子』より、祖父・小太郎の言葉。
  「ここはな、そのころ周防の国の都じゃった」
  「この国衙という地名はな、国の都という意味でな」
  「ここに大きな都があって、たくさんの人間がいそいそと歩いてるのを想像してみるんじゃ」

                   我々も想像してみた。


 いまだ未発見の国庁のありかは、我々なりに「実はあそこなのではないだろうか」と推理を働かせてはみましたが、映画の中では今の周防国衙跡史跡公園の場所に置いてあります。ここは昭和30年頃当時に唱えられていた説に合わるべきだろう、と。
 ただ、国庁なんていっても元々は奈良時代の施設ですから、それから何百年か経った"千年前"にはすでに廃却され、朽ち果てているように描こうとは考えました。
 そういうのも、"想像"の結果。

 国庁跡地から国司館へ向かう登場人物たちの足どりを、現地のその場に立って思い浮かべてみます。これがそのときのノート。
             

 ここから先は、ロケハンから帰って3月中に行った作業。
 発掘現場で撮影した柱穴の写真を加工して平面図を割り出し、少し細工を加えながら寝殿造りの国司館の設計図を作ります。ここまでは画面設計・浦谷千恵さんの仕事。
             

 それを元に、美術監督・上原さんが清原元輔邸をデザインしていきます。
 地面に開いた穴ボコだったものが、こんなふうに。
             
 この絵はまだラフです。
 さらに、蹴鞠場がないから作らなくちゃ、などと考えながら、「千年前」をだんだんと目に見えるものにしてゆきます。

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