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「ない」っていう価値

2005-09-02 | 真実の世界
昔、読んだ本に『芸術には「無」という空間がとっても大事』って書いてあった。
僕には芸術のげの字も分からないが(笑)「無」という空間があることによって作品が完成するらしい。。。ふ~む
 ところで、僕たちは毎日の生活でどれほど「ない」ということに価値を置いているのだろうか???
「ある」っていうことにはよく気がつくくせに、「ない」ってことにあまり気付いていないのではないだろうか?むしろ、「ない」っていうことには気付いてはいるが、「ある」っていうことに気をとられ過ぎていて、「ない」っていうことに不満タラタラなのかもしれない。実際、世間では「ある」と言うことに価値が置かれすぎている気がする。
そういう人は神様に何かを求めて祈って、与えられたら「やっぱ、神様ってすげー!!」って言うけど、与えられなかったら「あーあ、神様は僕が困っていても何にもしてくれないや!!」ってすぐすねる。そんな生活をしていては「いつも喜んで、絶えず祈り、すべてのことに感謝する」なんてできるわけがない。
神様は何でも聞いてくれるランプの精ではないんだから。
神様は僕の不満も、苦しみも、痛みも、喜びも心の中のすべてを分かってくださっている。だから、たとえ祈っていた通りにならなくてもそれが最善の道なんだ。(ヘブライ11:13)
 それに、山上の説教の箇所からも分かるように、イエス様は「ない」ということにも価値を置いている。むしろ「ない」人のためにこの世に来られたんだと思う。
「ない」ってことも「ある」っていうことと同じように神様から与えられた宝もので、「ない」ってことをもっと感謝すべきなのではないだろうか?
もっと、みんなが「ない」っていうことの価値を認めたら、人を「ない」という理由で裁かなくて済むのではないだろうか?「ある」ということを誇らなくても良くなるのではないだろうか?
みんなが「ない」っていうことを心から喜ぶことが、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する」(1テサロニケ5:16,17,18)っていうことではないのだろうか?