モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

母への想い 斎藤吾朗先生のお言葉より

2016-07-20 10:16:42 | 日記

※以前書いたブログ記事を転写



1973年に、ルーブル美術館より、モナリザの模写を許された斎藤吾朗先生の言葉をネットで見つけて、全身に鳥肌が立った。

やっぱり、解る人は、解るんだって感動した。


※斎藤吾朗先生のお言葉を転写


  『壁や障子など、家中の落書きをほめてくれた母のおかげで絵を描くことが大好きになった。念願のパリに留学した時、母への土産のつもりで『モナ・リザ』の模写に挑戦してみた。模写しながら『モナ・リザ』はレオナルドの生母の像、背景の山脈は故里ヴィンチ村の風景と感じ、自分も母と母に連なる三河の風土を描くべきだと悟った。以来、身の周りの風物を子供の頃の落書きさながらに描き続けている。500年前のレオナルドが『モナ・リザ』を通してメッセージを贈ってくれたように、地域の人々、世界の人々、未来の人々に向けて、メッセージを贈る活動を重ねている。』

アイルワースのモナリザと、そっくりな背景

2016-07-16 16:42:47 | 日記
アイルワースのモナリザの背景に、よく似ている背景の絵があります。 - YouTube


https://m.youtube.com/watch?v=-MEuXfxvsTA


ある日のブログ転写

アイルワースのモナリザについて、K大学教授
M先生への質問と、回答いただいた内容。



質問内容の概略を書かせて頂きます。
アイルワースのモナリザと1700年代のフィリップ・ド・シャンベーニュのモナリザ模写の背景が似ているのは、どうしてなのでしょうか?アイルワースのモナリザは、1700年代以降の作品で、フィリップ・ド・シャンベーニュの背景の真似ではないでしょうか?

上記に対する、M先生からの、ありがたい、ご回答を転写させて頂きます。(転写許可、頂きました)


たしかにふたつの絵はどちらかがどちらかを写した可能性が高いでしょう。
ただ、アイルワースが先で、シャンパーニュがそれを写したのかもしれません。
あるいは両者が共通の絵を写した可能性もあります。
いずれにせよ、「アイルワースのモナリザ」がレオナルド作だと考えている
専門家はほとんどいませんから、どちらもモナリザの模写としてひとくくりに
考えたら十分なもので、専門家にとっての興味は薄いと思います。

ブログランキング登録しました。よろしくお願いします。

2016-07-15 19:40:51 | 日記
よろしくお願い申し上げます。





真理の扉を開く時

2016-05-27 11:19:04 | 日記
お恥ずかしいけど、PRです。


アルファポリスってサイトで小説を書いています。


小説といっても、絵画の論文のような?

たしかに私小説のようにもみえるけど、、、f^_^;)

オカルト系の物語にも感じるし、、、

どのジャンルに属するか、自分でもよく分からないので
とりあえず、ファンタジー部門に登録してます。

小説タイトル 「真理の扉を開く時」


http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/425047561/



お時間のある方は、遊びに来て下さい。
よろしくお願い申し上げます。

ご推測、私の考えに近いですよ。 池上英洋先生の嬉しいお言葉

2016-04-07 02:12:21 | 日記

一時期、図々しくも、池上英洋先生のブログにコメントしていました。

何だかオカルトチックな事を書いた私、よく、変な人に思われなかったなぁ~とか、私のような美術関係者でない凡人に対しても、丁寧な応対をして下さってありがたかったなぁ~と振り返って読んでいました。

短く纏められた丁寧なお返事頂き、コメントの内容が、もの凄く嬉しかったのを思い出しました。
池上英洋先生も、モナリザは、カテリーナ説を論じていらっしゃいます。

やはり、モナリザは、母が原型だと感じます。


※ コメントのやり取りを転写

※マリア・カテリーナは、当時の私のハンネです。


1.マリア・カテリーナ

先生、昨日はありがとうございました。とても素晴らしい展示会で、まだ感動と興奮覚めやらぬ状態です。レオナルドの様々な発明品が立体的に再現、展示されていて、その合理性に驚き、改めて彼の科学者としての偉大さを感じました。最も感動したのは500年前の色を復元させた《真実のモナ・リザ》でした。勿論、今のモナ・リザも大好きなのですが、500年前の再現は、ラピスラズリの空が神秘的で目が釘付けになりました。
レオナルドの絵画作品を展示しているコーナーでは《モナ・リザ》の右隣が《受胎告知》左隣が《リッタの聖母》だったので、構成が、何だかとても嬉しかったです。近年、真筆に間違いないとされた《美しき姫君》の前では、その美しさに鳥肌が立ちました。
ところで私、ルーブルのモナ・リザのレプリカの前にて、まさか先生にお目にかかれるとは思っていなかったので、嬉しさに舞い上がってしまい、写真を…なんて、場所をわきまえず、申し訳ございませんでした。後になって、凄く恥ずかしくなりました
『モナ・リザの25の秘密』を教えて頂きありがとうございます。《最後の晩餐》も、感動的でした。
本当は、小2の息子と親子ツアーに参加したかったのですが、一人でも行くことが出来て本当に良かったです。わざわざ愛媛から来た甲斐がありました。
February 13, 2011 05:44
2.マリア・カテリーナ

連続で申し訳ございません。

以前のコメントにて、私が小学生の頃、モナ・リザを見て「この人はモナ・リザじゃない」って思ったという不思議話を、否定的に捉えることなく興味深いと、おっしゃって下さった先生の寛大さを信じて、またまた不思議話をさせて頂く決意をしました。数年前に私は、新聞のアート特集か何かの記事で、ラファエッロの『一角獣の貴婦人』を見ました。その時、私は「あっ、この人が本物のジョコンダ夫人だ。」って思ったんです。不思議に思われるかもしれませんが、確信に近いような感情で、そう思いました。私は、その体験をGREEの日記に書きました。すると、それを読んだ友人が〔きっと間違いないよ。実は、その絵、京都駅のクリスマスツリーの前に飾ってあって、私の娘(小学生)が、あっモナ・リザじゃん!って言ったんだよ。これは、きっと、ちーちゃんへの天からのクリスマスプレゼントだよ。〕って信じられないような嬉しいコメントをくれたんです。
実は、その方が、〔たまたまラジオを聴いていたら池上さんって方が「モナ・リザはカテリーナですよ。」と、おっしゃっていたよ。〕と、メールをくれた友人なんです。

ややこしい話でごめんなさい。

私は、こう考えます。まだ若き20代前半のラファエッロが、絵の勉強の為にダ・ヴィンチのアトリエを訪れていて、その時、モデルとして来ていたジョコンダ夫人を共に描いた。ラ・ファエッロは、ありのままにジョコンダ夫人を描いて完成させ、ダ・ヴィンチは、最初はジョコンダ夫人を描くつもりだったが、途中で断念し、だんだんと母を描いていた。………このような推測は成り立ちえませんか?




February 14, 2011 17:00
3.マリア・カテリーナ

すみません。
字数制限になりました。

『一角獣の貴婦人』は、もともとはラファエッロが別の動物(犬か羊?)を描いていたのに後世で、一角獣に変えられ更にアレキサンドリアの聖カタリナに変えられたのだと、GREEで知り合った友人(さっきの方とは別の方です)に教えて頂きました。

池上先生、ラファエッロがダ・ヴィンチが亡くなった翌年に亡くなったというのも、不可解な話ではありませんか?

何か歴史に隠されたミステリーがあるように思えてなりません。

今日も、長文失礼致しました。
February 14, 2011 17:02
4.ike

> マリア・カテリーナさん

偶然でしたね。会場でお会いできて嬉しく思います。
観ていただいてありがとうございました。

ご推測、私の考えに近いですよ。

ラファエッロによる、ラ・ジョコンダを描いたと思われるスケッチがありますが、描き始めの頃のラ・ジョコンダに近い確率が高いものと考えています。(拙著『ラファエッロ』でもちょっと触れているので図書館かどこかで見てみてください)
レオナルドのラ・ジョコンダは、その後どんどん姿を変えていったはずですから。