モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

ブログ投稿出来ません。

2018-06-03 10:51:24 | 日記
2009年に自動書記(チャネリング)した時は、紙に鉛筆を使って書いていました。一度手元にボールペンしかなかったので、それを使って書こうとしたら、ピタッと言葉が降りてこなくなりました。2018年には、ひたすらメールで送りブログ更新する戦法に出ました。
しかし、今それが出来なくなり、別のブログで、続きを書こうとし、ここに来たのですが、あの時、鉛筆からボールペンに変えたら途端書けなくなった…みたいに書けません。

今後のことは、暫くお待ち下さい。

また、書けるようになる日まで、沈黙しています。

ライブドアブログが投稿出来なくなったから…

2018-06-01 09:13:42 | 日記


ライブドアブログが投稿出来なくなったから、これからは、こちらで投稿します。よろしくお願い申し上げます。

私は、つくづく無力です。

2016-08-03 17:45:17 | 日記

四面楚歌でも構わない。

賛同者がいなくても構わない。

味方がいなくても構わない。

相手が年配者であろうが、力があろうが、
やはり、おかしなことに対しては、おかしいですと声をあげるべきだと思う。

そして、
誰に何と言われようと、私は、自分の感覚を信じたい。


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ブログタイトル

「二十歳そこそこの、当時私、
世にも恐ろしい絵を観て
美しいと感じたのでしょうか?」


以前にも書きましたが、壊れた懐中時計の話です。


短大時代、ちょっとお洒落な洋服屋さんで買いました。


ダ・ヴィンチの絵は、モナリザや最後の晩餐くらいしか知らなかったので、
私が購入した懐中時計の絵柄が、ダ・ヴィンチの絵(聖アンナと聖母子)をモチーフとしているだなんて全く知りませんでした。


公言してますが、私は、意外に霊感が強いです。


前にも書きましたが
私は、懐中時計から、清らかなオーラしか感じられませんでした。


私は、ただただ、その美しさに魅せられ、懐中時計を買ったのです。





20年以上の月日が経ち、
この絵「聖アンナと聖母子」に、ダ・ヴィンチは、血を描きこんだ。


マリアは、実は、悪魔(魔女)だったと主張している人の動画を観ました。



二十歳そこそこの、当時私、

世にも恐ろしい絵を観て

美しいと感じたのでしょうか?



Hさんによると、

聖アンナと聖母子の絵は身の毛もよだつほど、恐ろしい絵だそうです。


イエスは、ナイフを握っているそうです。

マリアの描写には、ダ・ヴィンチが血を描き混んでいるとか、、、


悲しくて、悲しくて、悔しくて、たまりません。



何度観ても、悔し涙が出ます。


そんな気持ちになるのは、私だけなのでしょうか?


人の悪口を言うのは、いけないことだとは思いますが、この1年半は、
色々と反論してきました。


専門家の方は、誰も助けてはくれません。


私は、つくづく無力です。



https://m.youtube.com/watch?v=RHI3iRmHb7A








アルファポリスで、児童書、童話部門にエントリーしました。よろしくお願いします。

2016-08-03 15:19:16 | 日記

稚拙な文章だと思いつつ、エントリーしました。


現在
252 人中25位の、

『天使の記憶』と

94位の 『麗しき姫君』連載中です。


応援や、投票して頂ければ、嬉しいです。


よろしくお願い致します。






第9回絵本・児童書大賞 参加作品 | アルファポリス - 電網浮遊都市 -
https://www.alphapolis.co.jp/contPrize/











初心に戻って

2016-07-22 08:42:32 | 日記

古いブログ記事を転写します。


ブログタイトル

「私は世の中に訴え続けます。」

2011.11.17

幼少期や小学校の低学年の頃、不思議で意味深な夢を沢山見ていました。そして、モナ・リザはモナ・リザではないと、声を荒立てて言った経験もあります。『頬杖をつく女』というタイトルの絵はモナ・リザと同じくらい有名な絵だと、自信満々に、そう思っていました。モナ・リザは間違ったタイトルの絵だとどんなに訴えようと、襞襟の洋服が流行していた、名前を知らない画家さんの絵のタイトルが、モナ・リザと同じように間違ったタイトルがつけられたと、小さな私がいくら訴えたところで、大人は信じなかっただろうし、誰も聞く耳を持たなかっただろうと思います。
しかし今、私は40代半ば近くの年齢になりました。
今の私の話なら、スピリチュアルが理解されている時代において、もしかしたら真実かも?と思って頂ける人が、少なからずいることを、私は信じたいと思います。
以前書いたGREE日記を転写いたします。
タイトル
「ひだ襟をつけたオランダ人」
私は小学生の低学年くらいの頃に、襟巻きトカゲのような
ひだ襟をつけた外国人に取り囲まれる夢を見ました。
外国人は私に
必死で訴えていました。

「眠る女は眠っていない。タイトルを、元通りに戻して欲しい」と…


懸命に私に訴えていました。
余りにも緊迫した夢だったので
目覚めてからも
その夢を覚えていました。
何年か経って、社会科の教科書で、フランシスコ・ザビエルが長崎に宣教師として来日した頃描かれたという挿し絵を見た時
私は思いました。

「わっ!あの時に、私の夢に現れた外国人と同じ服装だ~」

最近、色々と調べました。
ひだ襟のシャツは、その昔、南蛮人に流行していた服装でした。
そして
フェルメールは17世紀を代表する
オランダの画家。
私が目指したメトロポリタンミュージアムには
『眠る女』というタイトルの絵があります。
子供の頃
ひだ襟をつけたオランダ人から教えてもらった情報が正しいとしたら…
眠る女は眠っていません。
〈転写ここまで〉



私は自分の命がつきるまで、このことは訴え続けなければならないと思っています。眠る女は曖昧さをテーマに構想された作品です。眠っているか?眠っていないのか?絵画を見ながらそれを愉しむことが鑑賞の醍醐味だったであろう作品なのです。
はじめっから、眠る女なんてタイトルをつけられたら…フェルメールの絵画に託した想いが死んでしまいます。