皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

恐怖は知らぬ間に

2021年11月15日 06時50分26秒 | 思想・哲学

恐怖も具体的に目の前に現れれば、人はもう立ち向かうか逃げるかしかないので恐れている暇がない。すなわち恐ろしい云々言っている場合ではなくなり、覚悟して何かする以外にない。一種吹っ切れる。
目に見えぬ間は如何ともしがたく、あれこれ想像し憶測して不安に惑う。だが目に見えれば恐怖は具体的になって対峙する存在でしかなくなり、人をして戦うべき存在にしてしまうだけなのである。
もっとも戦うか戦わぬかは本人の意思だ。

だから、具体的にせず、曖昧にして、人の心に不気味さを植えつけ、恐怖を生み出し、禁忌を作り出すのだ。禁忌こそが無言で人を従わせる最良の手段なのである。
テレビ局にとっては、天皇制、同和問題、大手芸能プロ、右翼運動、市民運動、在日朝鮮人、暴力組織、宗教団体、スポンサー、古株の現役人気芸能人、これらは禁忌の大手なのであろう。
天皇制は左翼にとって禁忌であったが、マスコミの中にまるで運動家を昔の忍者の草のように埋め込むことによって崩しつつある。
同和問題は、かっては解放運動と言っていたが、今はという言葉を表に出すことさえ許されない、自主的に使わないように仕向ける。そして同和対策は事業として利権となり、同和問題を批判的に話題にすると、踏絵の様な行動を強制されるようになっている。
大手芸能プロは人気タレントを抱え、それを脅しの種に自分たちに不都合なニュースは表面に出ぬよう圧殺しようとする。
市民運動もまた、市民運動やNPOという看板を掲げて左翼や右翼が活動し、正義と人権という看板を立てに有無を言わさぬ行動をとる。
暴力組織、宗教団体もまた、背後にいる多くの組織構成員の数を力に、威圧を加えるのである。
右翼の街宣もまた、本当の右翼を貶め、一般人に右翼とは恐ろしいものだという恐怖を与える為の、ある種の人たちの手段の一つになっている。

考えてみれば、利が絡んだ欲なのであり、テレビを見ることは、出来レースで洗脳を受けることなのだろう。



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