徒然草も一通り読み終えました。文全体の量はそれほどでもないのですが、現代語訳、語釈、と解説の方が何倍もあります。これらを読まずに意味が解るようにならないとダメでしょうね。高校生の頃なら古文の勉強の最中ですから、もっと楽に読めたかもしれません。
また、読めるまで生きているだろうか?と、しんみり想います。
第百八十八段「ある者、子を法師になして」の一節
一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず。万事にかへずしては、一の大事成るべからず。
「一心不乱、一事に専念せよ」ってことでしょうか?
第百九十三段「くらき人の、人をはかりて」
くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はん、さらに当るべからず。
つたなき人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己が智に及ばずと定めて、よろづの道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己すぐれたりと思はん事、大いなる誤りなるべし。文字の法師、暗証の禅師、たがひにはかりて、己にしかずと思へる、ともに当らず。
己が境界にあらざるものをば、争うべからず、是非すべからず。
「人を侮るべからず」、「自ら奢るべからず」ってことでしょうか?自戒あるのみ
それにしても、「徒然草」は吉田兼好の知的嗜好、情的嗜好による独断と偏見(悪い意味ではないですよ)に満ちた人生訓ですな

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