KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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マラソン日本代表の五輪成績ランキング

2012年06月15日 | 記録データ・ランキング
男女とも入賞者ゼロに終わった北京五輪から4年。さらに過去を振り返ると、日本人がマラソンで入賞出来なかった大会は、第二次世界大戦後では1952年のヘルシンキ、1960年のローマ、1976年のモントリオールの3大会である。女子マラソンが正式競技になったのは1984年のロサンゼルス大会からだが、そのロスの大会と、1988年のソウルでは日本の女子ランナーたちは入賞にも手が届かなかった。

それら五つの大会には、共通点があったことに気がついた。優勝記録が当時の日本記録を上回っていたのである。それぞれの大会の優勝記録と、日本人トップの記録、そして日本最高記録(NR)を比較してみる。


1952年ヘルシンキ五輪
優勝 エーミール・ザトペック(チェコスロバキア) 2時間23分3秒2
25位 西田勝雄                 2時間35分19秒0
NR 孫基禎                  2時間26分42秒(1935年)

1960年ローマ五輪
優勝 アベベ・ビキラ(エチオピア)        2時間15分16秒2(WR)
31位 広島庫夫                 2時間29分40秒0
NR 広島庫夫                 2時間21分40秒(1957年)

1976年モントリオール五輪
優勝 ワルデマール・チェルピンスキー(東ドイツ) 2時間9分55秒0
20位 宗 茂                  2時間18分26秒0
NR 宇佐美彰朗                2時間10分37秒8(1970年)

1984年ロサンゼルス五輪
優勝 ジョーン・べノイト(アメリカ)       2時間24分52秒
19位 佐々木七恵                2時間36分42秒
NR 増田明美                 2時間30分30秒(1983年)

1988年ソウル五輪
優勝 ロザ・モタ(ポルトガル)          2時間25分40秒
25位 浅井えり子                2時間34分41秒
NR 宮原美佐子                2時間29分37秒(1988年)


モントリオール以外は、トップに10分もの差をつけられた、文字通りの惨敗であった。1996年のアトランタ、2000年シドニーの男子も入賞ゼロであったが、ここでは取り上げない。マラソンを「日本のお家芸」と思っている人も多いかもしれないが、五輪本番で日本最高記録を出したとしても、金メダルに手が届かないほど、世界のトップと大きく実力差が離れていた時代があった、という事を確認したかったのである。特にソウル五輪の時点での女子マラソンの世界最高記録である2時間21分6秒という記録は現在の日本歴代ランキングでも4位に相当する。

男女ともに銀メダルを獲得した1992年のバルセロナ五輪。あの、モンジュイックの丘の激闘がマラソンニッポンの最後の輝きだったのだろうか?以後のオリンピックでは常に女子の成績が男子を上回り、「女高男低」と言われ続けてきたが、北京の熱風の中で、ゼロにリセットされてしまった感がある。

マラソンという競技は、最高記録保持者が必ずしも金メダリストになれるとは限らない。1964年の東京大会が、マラソンで世界最高記録が誕生した最後の五輪であるし、男子において、マラソンの世界記録保持者で金メダルを獲得したのはロス五輪の優勝者のカルロス・ロペスが最後であり、女子はシドニー五輪の高橋尚子が最後である。彼らも、世界記録を出したのは金メダリストを獲得した後、メダリストとして破格の出場料を得て出場した都市マラソンにおいてである。この頃より、五輪のマラソンは記録を生み出す場ではなくなったと見なされるようになった。

北京五輪のサムエル・ワンジルは、高速都市マラソンの走りを、高温多湿の東アジアの夏のロードに持ち込んだ。2時間6分32秒とロペスの五輪最高記録を2分49秒も一気に短縮してみせた。このタイムは高岡寿成の日本最高記録よりは16秒下回るとは言え、2002年シカゴの高岡以来、2時間7分を切った日本人ランナーは皆無なのだから今の日本と世界との差は歴然である。むしろ、男子マラソンが北京以後の2度の世界選手権で連続して入賞している事がもっと高く評価されていいのではないかと思えてきた。

ロンドン五輪で代表になった、“リアル・プロフェッショナル・ランナー”藤原新はインタビューでロンドンでの目標を聞かれて、

「2時間7分台。」

と答えた。「記録より勝負」と呼ばれてくた五輪のマラソンで、記録を出せばメダルがついてくるという意識を持って臨むようである。

そこで、これまでの日本のマラソン・ランナーの、五輪での記録のランキングを作成してみた。


男子

1位 宗 猛   2時間10分55秒 1984ロサンゼルス4位
2位 中山竹通  2時間11分5秒 1988ソウル4位
3位 油谷 繁  2時間13分11秒 2004アテネ5位
4位 諏訪利成  2時間13分24秒 2004アテネ6位
5位 尾方 剛  2時間13分26秒 2008北京13位
6位 瀬古利彦  2時間13分41秒 1988ソウル9位
7位 森下広一  2時間13分45秒 1992バルセロナ2位
  (中山竹通)  2時間14分2秒 1992バルセロナ4位
  (瀬古利彦)  2時間14分13秒 1984ロサンゼルス14位
8位 宗 茂   2時間14分38秒 1984ロサンゼルス17位
9位 谷口浩美  2時間14分42秒 1992バルセロナ8位
10位 新宅永灯至 2時間15分42秒 1998ソウル17位

※  円谷幸吉  2時間16分22秒8 1964東京3位
※  君原健二  2時間16分27秒0 1972ミュンヘン5位
※ 君原健二  2時間23分31秒0 1968メキシコ2位
※  川島義明  2時間29分19秒  1956メルボルン5位

上位10傑と、戦後の日本人メダリストと入賞者の記録を掲載してみた。メダルの色や順位までは記憶していても、タイムまでは記憶していない、という人も少なくないと思う。日本人男子で五輪のマラソンでサブテン(2時間10分以内)で走った人は1人もいないのである。この中で、油谷はアテネ前年のパリの世界選手権で5位に入賞し、アテネ代表の座を得たが、その時の記録、2時間9分26秒は世界選手権のマラソンにおける日本人最高記録である。彼が日本唯一の世界選手権サブテンランナーである。

この中で唯一、五輪での記録が自己ベストだったランナーがいる。東京の銅メダリスト、円谷幸吉である。

女子においても、同様のランキングを作成してみた。


1位 高橋尚子  2時間23分1秒 2000シドニー1位
2位 野口みずき 2時間26分20秒 2004アテネ1位
3位 山口衛理  2時間27分39秒 2000シドニー7位
4位 有森裕子  2時間28分39秒 1996アトランタ3位
5位 土佐礼子  2時間28分44秒 2004アテネ5位
6位 中村友梨香 2時間30分19秒 2008北京13位
7位 市橋有里  2時間30分34秒 2000シドニー15位
8位 坂本直子  2時間31分43秒 2004アテネ8位
   (有森裕子)  2時間32分49秒 1992バルセロナ2位
9位 浅井えり子 2時間34分41秒 1998ソウル25位
10位 荒木久美  2時間35分15秒 1998ソウル26位

※  山下佐知子 2時間36分26秒 1992バルセロナ4位


女子の場合は、1位の高橋の記録は今も破られていない女子マラソンの五輪最高記録である。しかしながら、今回、ケニア代表に内定しているランナーは全員サブ20ランナーであり、今回の女子の日本代表ランナーが誰もこの記録を破っていないのは不安材料だ。

こうして見ると、北京での尾方や中村のタイムは、「従来の夏マラソン」であれば、入賞ラインに手が届いていたのだなと思う。しかし、世界最高記録保持者のポール・テルガトが11位に沈んだアテネからわずか4年で世界のマラソンは大きく様変わりした。日本の「お家芸」だった「粘り」だけでは勝てなくなってしまった。藤原のように「五輪で自己ベスト更新」を目指すくらいでないと、上位には届かない

         


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