「心身の神癒」より。

2014-05-31 06:10:19 | 日記

     ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


            第四話

13、この故に、あなたたちがわたしに留まり、
      わたしの言葉があなたたちに留まるならば、
      あなたたちの求めるものは何でも叶えられるであろう。

14、わたしが話してきたことの重大な意味をあなたたちはまだ把握していない。
      神我は決して哀願はしないし、要求もせず、命令もしない。
      神我はただ顕現するだけである。
      なぜなら御業を為し給うのは神であることを知っているからである。

15、父なる神が御自身の中に生命を有(も)ち給うが故にその子も又
      自分自身の中に生命を有(も)つ。
      父なる神は今や御自身の中に久遠に在る生命を等しく子にもまた久遠に与え給う。
      父なる神の中のそのままの生命が子の中のそのままの生命である。


             ~ 感謝・合掌 ~




「心身の神癒」より。

2014-05-30 04:50:34 | 日記

      ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


   
           第四話

10、神我のみが実在において語ることができる。
     ではキリストの名において語るがよい。
     そうすればあなたたちの言葉は空しく還ることはないであろう。

11、神我は人間的感覚や外部のものに反応して語ることは決してなく、
     常に神より語る。
     外なるものを静めるには、
     このことを学びとらなければならない。

12、葡萄の木の枝に良き実をみのらせるために父なる神は葡萄園で働き給う。
     わたしにとどまり、わたしも又当人達に留まる人々は豊かな実を結ぶであろう。


             ~ 感謝・合掌 ~



「心身の神癒」より。

2014-05-29 04:36:12 | 日記

         ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~

   
                第四話

7、認識や悟りは忽然としてやってくるものではない。
   それは次第に自分の中で生長して行く〔ものであり、その生長の〕様子に
   あなたたちは気付く筈である。
   認識に努め、不断に理解に努めることによって魂の中に或る目覚めが起こり、
   吾が裡に宿り給うのが神のみ霊であり、
   それのみが天上天下における唯ひとつの創造力であることを、
   魂は認識し始める。

8、あなたたちは、わたしの与えた言葉の故にすでに刈り込まれたのである。
   故にあなたたちはわたしの名においてこれまでより多くの実を結ぶであろう。

9、わたしはあなたたちに留まり、
   あなたたちはわたしに留まる。
   葡萄の木の幹に留まらない限りその枝はみずからの力では実を結べないように、
   あなたたちもわたしに留まらぬ限り実を結ぶことはできない。


               ~ 感謝・合掌 ~



「心身の神癒」より。

2014-05-28 02:51:32 | 日記

        ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~

  
               第四話

4、枝はあなたたちである。
   わたしがあなたたちに与えた言葉の故にあなたたちは刈り込まれる。
   その言葉とは太初にあった言葉であり、
   実にその言葉は神であった。

5、今こそあなたたちは、父なる神、
    すべてのものの父なる神の他に生きている実存はないこと、
    父なる神のみ霊がすべての生ける魂の中に宿ってい給うこと、
    を悟るであろう。
    わたしはそのみ霊なのである。

6、神はみ霊である。
   一個半個の霊ではなく、普遍、絶対のみ霊である。
   み霊はそれ自身完全無欠であり、現象化する力、
   自己表現のための形態を創造する力を有ち給う。
   実在を意識するにつれて、あなたたちは実在と一体となり、
   実在を表現するようになる。


           ~ 感謝・合掌 ~





「心身の神癒」より。

2014-05-27 04:07:54 | 日記

    ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~

  
          第四話

吾は真実の葡萄の樹にして、汝等はその枝なり。

わたしはわたしの平安をあなたたちにもたらす。
わたしの平安はあなたたちの許にとどまる。

1、 わたしは真の葡萄の樹、
       わたしの父なる神は働き手である。
       常にわたしの中に留まり、わたしを通して働き給うのは父なる神である。
       なぜなら父なる神とわたしとは一体であり、決して離れてはいないからである。
       われわれは絶えず偕に働き、父なる神の為し給うことはわたしも又等しくこれを
       為すのである。

2、 実をもっと成らせるために父神は実の成る枝を刈り込み給う。

3、 実の成る枝を刈り込めば更に多くの実を結ぶことは周知の通りである。


              ~ 感謝・合掌 ~