かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

きのうから寝てばかり

2018-08-24 19:19:21 | ブログ記事
きのうの朝、夫が大阪のマンションに帰り、

独りになってから寝てばかりです。

夫がいなければ、ごはんも特に作る必要がないから、

きのうはとろろ汁を作って玄米ご飯にかけて食べただけ。

今日は、もやしにシーチキンを載せて、電子レンジでチンしたものを食べたのみです。

お腹も減らないし。

実は、昨日の朝は和牛の筋肉でカレーを作ったのですが、
辛口で作ったので辛かったのと、筋肉が固かったので、
お鍋ごと、夫に持って帰ってもらいました。

最近、あまりお肉を食べたくありません。

私は、子供のころは、お肉はいっさい食べられませんでした。

が、子供を産んだ頃から、身体が要求したのか、食べられるようになっていたのですが、

最近、またあまり食べられなくなってきました。

その上、きのうブロ友さんのブログで牛がされる話を読ませてもらったことで、
余計、食べたくなくなりました。

と書いていても、涼しくなれば、またいただくかもしれませんが・・・。

とにかく昨日は市役所に行っただけでへとへとになりましたし、

今日は、近くの猪名川の濁流を撮影しに行っただけで特に何もしていません。

が、昼間は一日中寝ていましたし、夜も、また寝ると思います。

怠けているとかという問題ではなく、身体が眠りを要求するのです。

私も何度も死にそこなった人だから、まあこれでもいいかなあ。

*

★頑張れと言はれて頑張ることできる身体でなくば怠けゐるのみ

★夜は寝て昼も寝てまた夜が来るまた寝るならむ寝るための夜は

★だんだんと死に近づきてゐるならむ目覚めなければすなはち死なり

★長々と生きたくはなし朝見れば死にてゐたとふ死に憧れる

★新聞に昭和天皇ながいきをしたくないとぞ言はれてゐしと

★長生きをしたくなくても長生きをさせられるのもお気の毒なり

★自然死で死ぬる幸せ奪はれて現代人は長々生きる

風力発電にも問題あり?

2018-08-24 10:20:50 | ブログ記事
このたびの台風で淡路島の風力発電の風車が倒れたらしいですね。

それとネットで知りえたことですが、

先の岡山の豪雨等でも、風力発電で風の向きが変わったことが天候に影響したという記事があり、

風力発電も夢の発電ではないということなのですね。

だけじゃなく、太陽発電も、そのパネルを設置するために、山の中の木を切り倒したりしたのが、
豪雨の災害に影響したとも聞きます。

私は、風とか太陽光を利用して発電できたら素晴らしいと思っていたのですが、

そう簡単なことでもなさそうです。

かと言って原子力発電は、もうこれ以上増やしてほしくないし・・・。

私達が使う電力をセーブすればいいのかもしれませんが、これは暑がりの私などには不可能です。

そうでなくても暑さに弱い私は、たぶん暑さが原因のストレスで、手足に発疹が出たりします。

今年も出て、帯状疱疹かなと心配もしましたが、
この暑さの中、病院に行くことも二の足を踏んでしまいます。

私達がエアコンに電力を使うから気温が上がるのか、気温が上がるからエアコンをつけざるを得ないのか

まさに「鶏が先か卵が先か」の様相を呈してきます。

子供の頃は、一番暑い時間帯は川やプールで泳いで涼を取り、

夕方からは縁台を出して夕涼みした時代には、もはや後戻りできないでしょうか?

*

★従姉妹らと川で泳ぎし日もありて夏は楽しき思ひ出おほし

★日の暮れてのちの縁台すずしかり祖父と祖母とのひそひそ話

★半ドンで早く帰宅をせし父の自転車の後ろにわれは乗せられ

★高松に住んでゐしころ半ドンの父と塩屋海水浴場へ

★毎日のやうに海で泳ぎて日に焼けし小学生のわれでありにき

★海好きのわれの喜ぶ顔を見るために毎日一緒に海に

★溺愛と思へるほどに愛されし記憶はありてわが夏の日々

★一月に母を亡くして溺愛をしくるる人は今やをらざり

まだ強風は残っているけれども猪名川を見てきました

2018-08-24 08:42:09 | ブログ記事
台風のあと、見に来るのが恒例になっている猪名川へ。

(阪急電車が走っています)

呉服(くれは)橋の真ん中あたりで強風に煽られそうになりながら撮影して、
(右手は阪神高速空港線の小花インターです)

帰ろうとすると、橋のたもとのお地蔵さんのところに人が集まって、地蔵盆の準備をしていました。
(後ろに写っているのは阪神高速道路です)

見ると、世話をしているのはご老人ばかりです。

こういう行事も、いつまで続けられるでしょうか?

*

★台風の翌日猪名川写すのが恒例となり今日も行きけり

★台風は過ぎ去れたれど濁流は残りて朝の猪名川ながる

★台風のあとも地蔵の盆の日がくれば地元の人ら祀れる

★祀りゐる人ら後期高齢者あと何年をかうして祀れる

日差しが痛い、風が痛い

2018-08-23 13:10:54 | ブログ記事
兄嫁から至急印鑑証明が必要と言ってきたので、市役所に行ってきた。

車に乗れない私は自転車で行ったが、

その日差しの強いこと強いこと、その上、風が異常に強い。

帽子を被っていても吹き飛ばされるので、帽子なしで自転車を漕ぐのだが、

向かい風が強いので進まない。

進まないのに、日差しは容赦なく照り付けてくる。

まさに難行苦行であった。

兄嫁が相続関係のことを一手に引き受けてやってくれているので、文句は言えないが、

いつも至急と言って、こちらの都合を斟酌しないで要求してくるから、今日のようなことが多い。

枕詞に「税理士さんが急いで送ってもらってくださいと言っていますから」と言ってくるから
黙って言うことを聞くしかない。

6月にはイギリスから帰国した日に、至急戸籍謄本が必要と言ってきたから、
その晩の夜行バスに乗って戸籍のある高知県南国市の市役所まで行った。

やっとの思いで戸籍謄本を持って実家に帰り、郵便局に行くと、
実印が必要というではないか。

で、結局手続きは、7月のお盆に帰省したときにしたが、
そんなことなら帰国そうそう帰省することもなかった。

兄が生きていてくれたら、もっと私に負担のないように取り計らってくれたと思うが仕方ない。

兄嫁も後家さんになって頑張ってくれているのだから。

それにしても、今日の台風の近づいている天候の中での外出は老体には堪えた。

この台風20号が通り過ぎたら、少しは秋らしくなるのだろうか?

日曜日(20日)の浜松行きは涼しくて快適だったけれども、この暑さのぶり返しは余計堪える。

金足農業高校の活躍にかつての土佐高校の活躍を思い出した

2018-08-22 10:20:18 | ブログ記事
金足農業高校の活躍はすばらしかったですね。

一人一人が輝いていました。

お婆さんは久しぶりに感動させてもらいました。

それで見ていて思い出したのが、

金足農業高校と同じく少人数で活躍した私の郷里の土佐高校野球部のことです。

私は、亡父も亡兄も土佐高校(亡父のときは土佐中学)の出身だったので、
甲子園出場の折には甲子園まで応援に行ったものです。

私の母校は女子高で野球部なかったし・・・。

兄のころは、兄の友人が四番を打っていたから力を入れて応援しました。

その後、私が大阪の短大に進学したころ、土佐高校が準優勝したことがありました。

私は当時中学生になったばかりの従弟を伴って甲子園まで応援に行きました。

実は、この従弟の長男は、昨日優勝した大阪桐蔭高校の野球部の部員でした。

が、中学生のころの従弟は、その両親の故郷の高知を応援してくれていました。

というより、当時、私が従弟の家庭教師をしていたこともあって、

一人っ子の従弟は何でも私の言うことを聞いていたのです。(笑)

当時の従弟は「びこちゃん一番」だったから。(爆笑)

この従弟はもともと頭がよかったから、別に私が教えなくても勉強はよくできて、
高校は地元の公立トップ高校に進学しました。

そしていまだに「びこちゃんの教え方がよかったから」と言ってくれるのは面はゆいです。

従弟は運動が得意というわけではなかったのでしたが、その息子が野球を始めたから、
ステージママならぬ野球パパになり、熱心にわが子の所属する少年野球の世話をしました。

そして大阪では名門野球部である大阪桐蔭高校に進学させて野球部に入部させたのまでは
よかったのでしたが、残念ながら万年補欠だったようです。

ま、人生思うようにはいかないものです。

が、この従弟の子は社交家で、お酒も飲めますから、従弟の会社をついだら立派な社長になると思います。

人間、なにが幸いするかわからないものです。

土佐高校野球部の話に戻ります。

土佐高校は戦後まもなくの頃にも準優勝したことがありました。

そのときのピッチャーは、実は、実家の隣の三男坊だったらしいです。

私は、まだ生まれているかいないかの頃だったから詳しいことは知らないのですが、

お隣の三男坊の方は、ハンサムでもあったので、当時は、現代のスター並みだったようです。

大学は確か慶応大学に進学されたと。

が、東京六大学での活躍はあまり聞かなかったような気がするので、
大学ではそれほど活躍されなかったのかな?

三男坊の方と言っても、私から見れば「小父さん」という存在でした。

これには後日談があるのですが、あまり書くと具合が悪いので、ここらあたりで。

*

★金足の活躍を見て思ひ出す土佐高校の黄金時代

★甲子園何度も応援しにいきし学生時代従弟を連れて

★従弟の子大阪桐蔭高校の野球部員でありしよかつて

★熱心に息子の応援してゐしが甲子園には出場できず

★人生はこんなものさと神様は従弟親子に教へたまひぬ

★金足の野球に元気をいただきし今年の高校野球は終はる

2018「塔」全国大会、永田和宏氏講演&栗木京子氏、大森静佳氏、永田淳氏の鼎談

2018-08-21 21:07:45 | ブログ記事
短歌に関心のない人たちには面白くない記事になりますが、

自分の備忘のために記しておくことにします。

ただし自分のための備忘録ですので、正確な記録にはなっていないかもしれませんので、
ご了承ください。

また聴覚に障害のある私は、

直接耳から聞くことができないので、
当日の講演および鼎談の内容は要約筆記者の方の筆記録から得られた間接的な聴取であることも
付記しておきます。

要約筆記者の方は正確に要約してくださったと思うのですが、
それを写させてもらった私に間違いはあったかもしれません。

*

まず、永田和宏前主宰の講演。

演題は「前衛短歌を振り返る」でした。

レジュメには塚本邦夫の歌群と岡井隆氏の歌群が印刷されてありました。

その中の歌を抜粋して、解説しながら、当時の前衛短歌についての永田氏の感想を述べられました。

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
塚本邦雄「水葬物語」


句割れ、句またぎの手法。が、全体的な長さは守っている。

革命は可能だと思っていたが、革命は幻想でしかない。

やることもないので、ピアノに凭りかかっていた。

本当に新しい歌は出たときは注目されない。

穂村弘の「象のうんこ」の歌が出たとき、新しい歌だと思った。

象のうんこの歌・・・サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
穂村弘


いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛の曼殊沙華
塚本邦雄「感幻樂」


世界の中で居心地の悪さを書いたトリビアリズム(by本郷?さん)

イメージの展開はたかが知れている。大事なことは自分で体験すること。

そのあした女とありたり沸点を過ぎたる相に<佐世保>が泛ぶ
岡井隆「天河庭園集」


佐世保に停泊している原子力潜水艦の反対運動をベースに「女と別れよう」という気持ちを詠っている。

具体を言うと歌に歌にリアリティが出る。

歳月はさぶしき乳を頒かてども復た春は来ぬ花を掲げて
同「歳月の贈り物」

蒼空は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶
同「人生の視える場所」


「乳」と「蜜」はキーワード。

岡井隆は反措定作家。

岡井隆は慶応の医師だった。

昼と夜の岡井隆は、通用門を出るときに代わる。

サイエンスと文学に手を染めていた。うしろめたさとの闘い。

サイエンスには時間の区切りがない。家に帰るきっかけがつかめない。

岡井隆は複雑な人。

人には二面性がある。

あるものを主張しているとき、反対側のものを見ている。

自分の中の違う自分を意識しつづけることは大事。


*

このあと、栗木京子さん、大森静佳さん、永田淳さんの三人による鼎談がありました。

鼎談と言っても三人がそれぞれ勝手にしゃべったという印象でした。

栗木京子さん;

最近は口語で深刻なことを詠むようになった。

文語で表現したら、わざとらしくなってしまう。

若い人が風俗、未来を詠むようになった。

画面に映っていないものをどう詠うか。

事件を大きく詠うのではなく、小さなことから。

普段着とか、特攻隊を詠うなら、そのマフラーを詠うとか。

最近は大きな悲しみには市とレートでいいじゃないかと思う。

三枝昂之さんもレトリックがない力強さに傾きつつある。

大森静佳さん;

勝ち負けを楽しむようなことを感じない。負けたさを感じたことがはない。

嘘つかなくていい。マイナスでなければいい。

その人たちが短歌に集まるようになってきた。

短歌は勝者の文学ではない。

負けていじける文学から立て直しを図った。

名歌が生まれにくい。

永田淳氏;

名歌が生まれにくくなったのは口語のせいだろうか?

東日本大震災以降、言語状況が変わった。

言い方は悪いが津波の映像でわくわくしてしまった。

だからこそ、申し訳なくて詠えない。

*

以上、ごくおおまかな私的備忘録でした。

*

「お知らせ」

来週8月26日(日)深夜1時35分から

この永田和宏氏のドキュメンタリー番組があります。

題して「記憶する歌~科学者が詠う三十一文字の世界

永田和宏氏も、上記した岡井隆氏と同様、科学者であられます。

、<ご参考>永田和宏←クリックしてください。

短歌に関心ある方、そうでない方も、どうぞご覧ください。


浜松~浜名湖観光

2018-08-20 09:33:37 | ブログ記事


まず浜松駅前バスターミナルから市内循環バスに乗って市内観光。



これが北回りコースです。

浜松は、楽器のヤマハ、カワイ、自動車のスズキ、また古くは家康の町だったのですね。

車窓から家康の散歩道とか秀忠の産湯の場所と書いた案内板が見えました。

次回来たときは歩いてみたいです。

バスは一巡して、浜松駅に戻ってきました。

*

★浜松は楽器の町であるらしくヤマハ、カワイと看板見ゆる

★浜松は車の町であるらしくスズキ、ホンダの看板見ゆる

★浜松は徳川家康ゐた町で家康の道、秀忠産湯

★浜松は浜名湖の町浜名湖はウナギの旨い湖である

★湖と呼ばるる浜名湖汽水湖で塩もつ海の水も出入りす

★海の水出入りするゆゑ海の魚ウナギも出入りする浜名湖に

*

今度はj r浜松駅から奥浜名湖駅に行きます。


豊橋行きの電車に乗って新所原という駅まで行き、

天竜浜名湖鉄道に乗り換えて、



奥浜名湖駅まで。


駅から10分ほど歩いて、有名な?「うなぎの千草」に到着。


ちょうどお昼になった(実は時間を合わせてきた)ので、ここでお昼ごはんにすることにします。
 
浜名湖を望む絶好のロケーションです。



店内は既にいっぱいです。

ここまで来たのだから、

奮発して?うな重の上を注文。



さすがに美味です。

これが一番の目的だったので、いただいたら後は帰るのみです。

*

★JR新所原駅降りて乗る天竜浜名湖鉄道電車

★単線に一輌車輌の走りゐる天童浜名湖鉄道の駅

★掛川に向かう電車に乗り降りる奥浜名湖駅無人駅なり

★人ゐずば無言で降りて下る道みかん畑に囲まれてゐる

★三ケ日はミカンの産地であるならむ右も左も青蜜柑並む

★三ケ日のミカンを食べし浜名湖の高速浜名湖サービスエリア

★十二月初旬に上京せし折の帰路の浜名湖サービスエリア

★今までに食べたことなきほど甘きミカンの記憶三ケ日ミカン

★お土産に買ひし記憶も残りゐて三ケ日ミカン忘れがたかり

★和歌山のミカンも愛媛のミカンも敵わざる甘きミカンの三ケ日ミカン

★青蜜柑見つつ歩けば湖は見え来てそこにウナギの店が

★ウナギの絵描かれて「うなぎ千草」とぞ書かれし店の暖簾をくぐる

★まだ腹は空きてはゐぬが昼時であれば注文したりうな重

★数回の食事のできる金額のうな重たのむ主婦のわたくし

★ぜいたくに慣れてゐぬゆゑ手を合はせ神に感謝をして食べはじむ

★わが食(は)めばこの一月に亡くなりし母も食(は)むかと思(も)ひつつ食めり

★母はわれわれは母にてわが食めば母も食むなりこのうな重を

★うまいなあこのうな重は 現(うつ)し世のわれが思へば母も思ひて

★われが見るこの浜名湖を亡き母も見てゐるわれが亡き母なれば

★うな重を食へば来た道もどるのみミカン畑の道を駅へと

★酷暑ではあらざる今日も八月であれば暑かり汗は噴き出す

★単線の駅に戻りて電車待つたつた一人の昼下がりなり

★青蜜柑きいろく変わる頃にまた来てみたきかな三ケ日の町

★みづうみの駅より見ゆる湖を記憶に留め帰らむとす


2018「塔」全国大会イン浜松

2018-08-19 12:48:03 | ブログ記事
まず前主宰、永田和宏氏による講演。

演題は、「前衛短歌を振り返る」

講演の詳しい内容は帰宅してから書きます。


その後、現在ΝΗΚのΕテレの「短歌」の講師をされている栗木京子さんと永田和宏氏の長男の淳さんと若手のホープ、大森静佳さんの三人による鼎談があつた。

江の写真と、この画面の右下に写っているパソコン画面は、

われわれ聴覚障碍者用に要約筆記して見せてくださっている画面です。

この内容も後から書くようにします。

上の写真では栗木さんが大森さんの影に隠れてしまっているから、少しバックしてもう一枚撮影。


聴衆というか、結社の参加者も撮影させていただく。

この左端に写っているパソコンにタイピングしている男性は
要約筆記をしてくださっているボランティアの方です。

ついでに真ん中あたりに写っている白いシャツを着た若い男性が「塔」誌編集長、松村正直さん。

*

★講演もこの鼎談も目で聞きぬ要約筆記の文字を見ながら

★聞こえねばつんぼ桟敷でありにしが要約筆記されて目で聞く

★ボランティア要約筆記者わが耳の代わりとなりて書いてくださる

★聞こえない者の不便を助けむとキー叩く指パソコンの上

★数人の文字打ちくるる人のゐて難聴われら要約で知る


今日は浜松に行きます

2018-08-19 04:42:54 | ブログ記事
浜松に行くのは、辞めた短歌結社の全国大会が浜松で開催されるからです。

が、それは付け足しで、浜松の街も見たいし、浜名湖も見てみたいから行くのです。

わざわざ早く行くことはないから、在来線でゆっくり行きます。

朝7時ごろの電車に乗って乗り継いていけば、お昼ごろ浜松に到着します。

最近の私は新幹線を利用することはほとんどありません。

だって、私の旅の目的は、ゆっくり景色を眺めることですから。

そのためには、新幹線より在来線のほうが都合がいいのです。

在来線だとその地方地方の人々の営みも垣間見ることができるから、これも楽しいです。

もちろん交通費が安くなるということもあります。

その分、ホテル代に使う方が賢いと思うのです。

日帰りで慌ただしく行くよりも、一泊して観光してくるほうが旅の醍醐味が味わえますしね。

*旅に出る楽しみそれは時間より解放されることもあるなり

*わが知らぬ街を歩いて知らぬ人ばかりの中を歩く幸せ

*聞こえない耳もつわれも黙しつつ見知らぬ街を歩くだけなら

*ウオッチングしかできないがウオッチングできれば嬉し見知らぬ街を

*懐かしい歌友たちに会へるならそれも嬉しい旅に旅立つ

短歌の友人から葡萄が

2018-08-16 18:35:57 | ブログ記事


私は、昨年末に18年間所属していた短歌結社を辞めた。

辞めた理由はいろいろあるが、居心地が悪くなったというのが大きい。

辞めてしまったから、当然短歌結社の歌友たちとも疎遠になった。

が、中には奇特な方々もいて、

辞めてからも歌集を贈呈くださる方もあるし、

メールくださる方もいる。

ありがたいことだ。

そのうえ、今日は、葡萄を送ってきてくださった方があった。

有難くて涙が出そうになった。

それで、今日は、その贈っていただいた葡萄を撮影してブログ記事にすることにした。

Nさん、ありがとうございました。

今夜から、ありがたく食後のデザートにさせていただきますね。

*うたともの送りくれにし三つ房の葡萄写真に写して見せる

*忘れられ一人寂しく歌を詠むわれを忘れずゐてくるる友

*辞めし吾(あ)を忘れず歌集くだされる歌友のゐれば嬉しきろかも

*たちまちに冷たくなれる人もゐて結社は浮世の縮図と思ふ

*歌つくるその目的の一つには立身出世わすらるること

*名を上げるために歌詠む者もゐて生臭きかな歌の世界も

*歌うまくなりても心置き去りにするなら値打ちあらぬその歌

*褒められる歌を詠まむと置き去りにしたる心に黴の生える日

*褒められることがなんぼのものなるや誠うたはず嘘を詠ひて



同行二人・・・母を亡くした今年は出かけたくてたまらない

2018-08-16 03:07:53 | ブログ記事
もともと出かけるのは好きでない私ですが、

どういうわけか、母を亡くした今年は出かけたくてたまらない。

昨年亡くなった友人の村形明子さんが、

「両親の亡くなった季節になると、じっとしていられなくなるの」と言っていましたが、

その気持ちがわかります。

なにか家でじっとしていられないのです。

母が亡くなるまでは、

いつ高知に行かなければならないかとわからない緊張感がありましたが、

それから解放されて、自由になったということもあるかもしれませんが、

それよりも、家にじっとしている気分になれないというほうが当たっていると思います。

亡くなった母は外出好きで旅行好きの人でしたから、それが乗り移っているということも?

旅をしながら、母も一緒に旅をしているような錯覚に陥ることもあります。

四国八十八か所巡りをするお遍路さんは

「同行二人」という言葉で、「常に弘法大師と一緒にいる」ということを言いますが、

私は、亡母と一緒の「同行二人」なのかもしれません。

現在、まだ先日の軽井沢行きの疲れが取れ切れていませんが、

今週末は、今度は静岡県の浜松市に行こうかと思っています。

昨日雨が降ったから、少しは暑さも和らぐでしょうから。

*母死にて母と一緒にゐることが多くなりたり二人で旅を

*生きてゐるときより一緒にゐる時間増えていつでも一緒に母と

*旅好きの母が私を旅に出すやうに感じてゐる八月は

*イギリスに行き国内もあちこちに行く今夏なりこれは異なこと

*行けるとき行きなさいとぞ亡き母に言はれてゐるかのやうに今夏は

*腰痛を宥め宥めて行く旅であるなりわれは七十になり

*

昨日は、この旅の計画を練るのに時間を取られてブログを休んでしまいました。


勝ってはいけない

2018-08-14 10:20:24 | ブログ記事

私は、信仰はしていないが、

亡き叔母が信仰していたせいで、

天理教の新聞を購読している。

きのう読んだ記事にいいことが書かれてあったから、少し転記させていただく。



「相手に勝たせて”勝つ”」島田久仁彦


「交渉=勝ち負け」というイメージがつきまといがちですが、

私はあえて「負けをつくらない交渉」を行うようにしています。

喧嘩でも駆け引きでもそうですが、

勝った(と思っている)ほうはその場で喜ぶだけですぐに忘れる一方、

負けた(と感じている)ほうは、”負けたこと”を決して忘れません。

次に同じ相手に勝たない限りは負けを忘れられないのです。

(中略)

私がセルジオに教えられたのは、

「相手に勝ったと思わせる」交渉だと言えます。

こちらの目的をはっきりさせつつ、相手の主張を聞き、要望を探り出すことに徹します。

時折、相手の話の内容を整理しながら、最終的には、こちらの目標と照らし合わせつつ、

相手が使った言葉を合意案にふんだんにちりばめて、妥結へと導くのです。

すると相手は「自分の主張が多く取り入れられた」「交渉に勝った」と感じてくれます。

実際は、どうでしょうか?

私としては、

自分の交渉上の目的をはっきりさせたうえで、相手の言葉を使い、それを表現していますので、
実際には負けてはいません。

これは戦いを避けるための方法であり、講演などでは”戦わない交渉術”と表現しています。


(転記終わり)

なるほど!と思った。

これは交渉術だけにとどまらず、その他のことにも言えることだと思う。

昨日、拙ブログに書いた「憎しみについて・・・ネットを通して」の記事も、

私は、相手の人から酷い侮辱を受けて、それが忘れられなかったのだが、

相手の人は、たぶん私を侮辱することで、勝ち誇った気持ちになったと思う。

”負けた”?私は、その悔しさから鬱病になったのだった。

そして、その恨みを忘れるのに数年を要した。

あのとき、私は、私に勝ち誇った相手が許せなかった。

と、今になれば、それがわかる。

交渉事だけでなく、

人生では、むやみに勝って、人を傷つけることは避けなければならない。

昔から「負けて勝つ」ということわざがあるが、

まさにこのことを言っているのだろう。


ひなた湯

2018-08-13 17:08:47 | ブログ記事
むかしあまり娯楽のない時代に

子供を夏の昼間あそばせるのに、「ひなた湯」というのがあった。

たらいなどに水を張り、それを数時間「ひなた」に出しておく。

庭のある家は庭に、庭のない家は家の前の道端に出したりもした?

そうすると、強い真夏の日差しで微温湯ができる。

その微温湯の盥湯で子供を遊ばせるのである。

盥の「ひなた湯」の中で子供は水遊びができて楽しいし、
遊んでいるうちに汗も流せるから汗疹予防にもなった?

近所の子も寄ってきて、社交場にもなった。

親は楽だし、子供は楽しいから一石二鳥の夏の遊びであった。

遊んだあとは、夕方植木の水遣りに使ったりした。

が、最近は、こういう遊びを見かけない。

みなクーラーの部屋でゲームでもして遊ぶのだろうか?

*ひなた湯といふ行水をしたりけりわれもわが子もしたり夏の間

*木製の盥でせしはわたくしでわが子らプラスティック盥で

*プールまで行かずに庭で遊べたよ庭の盥に水を満たして

*ブリキ製金魚を浮かべブリキ製如雨露で水を身体にかけて


憎しみについて・・・ネットを通して

2018-08-13 05:00:07 | ブログ記事
きのう留守中に更新されていたブロ友さんの記事を読ませていただいた。

この方は賢明な方で、いつも尊敬の念をもって読ませていただいている。

が、きのう読ませていただいた記事には、その方がずっとある人を嫌っていたことが書かれてあった。

そうか、こういう賢明な方でも、人を嫌ったりもするんだ

まして、私のように人間のできていない者が人を憎むのは仕方ないことだったのだ。

その方は、その人を嫌って許せなかった時期、身体の調子も悪かったと書かれていた。

それは私も体験したから、よくわかる。

私が大腸がんになったのも、たぶんにそれがあったと思っている。

その方は、そういう嫌いな人を嫌う作業を続けているうちに、その人の存在がますます大きくなり、
気持ちからその人を放つことができなくなっていられたらしい。

それもよくわかる。

私は、鬱病になり、精神科に駆け込んで鬱薬を処方してもらったくらいだったから。

そのブロ友さんは、
嫌っていた人に感情面で間接的に支配されていたと書かれてある。

それもよくわかる。

私もそうだったから。

その方は、最近は、

「窓越しに見える美しい景色を見ながら、
人を嫌った感情に苦しまれ、
季節が移り変わることさえ見えなかった愚かだった時を思い出す。」と。

私も全く同じだった。

「この完璧に美しい自然、
確実に巡ってくる季節に視線を向けるより、
人を嫌うことに夢中になっていた時は
それが時間の浪費だとは思わなかった。」

というところも同じだ。

その方は若い頃にそういう体験をされたようだが、

私の場合は、50代後半から60代の半ばまで支配された。

が、私は、最近、
その憎んでいた時間が決して無駄な時間でもなかったと思えるようになってきた。

それがあったから、現在の幸せが幸せとわかるし、

何よりの収穫は、神様の存在が感じられるようになったことだ。

人間は学ぶために此の世に存在していると聞くにつけ、

私も、あの逃れられなかった憎しみの感情は、私に何かを学ばせたと思っている。

その方は、

「愚かな時間の使い方をしたと、
未来に使える時間が短くなってからやっと、気がづく。」

と書かれているが、

私は、全て必要だったから、あの憎しみがあったと思う。

あの憎しみも、メーリングリストというネットから得たものだったが、

こうして私を癒してくれているものも、

また、このブログというネットからである。

ネットでの交流も、所詮は人間関係だからであろう。

その意味でも、ネットは、私に生きる術まで教えてくれるツールであると言えるかもしれない。

*憎しみの源なりしネットにて癒されもせしわれと思ふも

*ネットにも虐めの世界あることを教へてくれしメーリングリスト

*憎みたる二年と憎まざる二年おなじ二年と思へぬ二年

*人にくみゐしころ綺麗な景色見てそれが見えざる目を持ちてゐし

*虐められのちに受けたる温かさいづれも人にいただきしもの

*温かさ感じられしは壮絶な虐めがありてのちと気づけり

*嵐さりのちに静かな老いは来て後の余生は静かなるべし

*あと何年生きるかわからぬわれなれど穏やかなれや残生のわれ


軽井沢から帰宅

2018-08-12 09:57:54 | ブログ記事
昨夜8時過ぎに軽井沢の駅前で高速バスに乗って、

今朝6時半ごろ大阪梅田に帰ってきました。

早朝というのに暑いです。

また軽井沢に舞い戻りたい気持ちを押さえて川西まで阪急電車で帰ってきました。

たった2日間の留守なのに、新聞、郵便物がドサッ。

お風呂に入って洗濯を済ませると、もうこんな時間。

今朝、夫がバスの中で、大阪まで戻らないで京都で降りてもよかったと言いましたが、

こういうふうに、新聞とか郵便物が溜まっているのが気になるから帰らないとと思うわけです。

ネットのメールも・・・。

実は、3日前、家を出てからクーラーを消さなかったことに気づきましたが、

消しに戻るのが面倒だったので、そのままに。

お陰で、帰宅早々暑い思いはせずに済みました。

さあ、これからまたお昼ご飯の支度にとりかからねば。

旅に出たら、こういうことは一切しなくていいから天国なんですけどね。

そのために、また次の旅の計画を立てることにします。

なるべく安く楽しめるような計画を!