かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

金足農業高校の活躍にかつての土佐高校の活躍を思い出した

2018-08-22 10:20:18 | ブログ記事
金足農業高校の活躍はすばらしかったですね。

一人一人が輝いていました。

お婆さんは久しぶりに感動させてもらいました。

それで見ていて思い出したのが、

金足農業高校と同じく少人数で活躍した私の郷里の土佐高校野球部のことです。

私は、亡父も亡兄も土佐高校(亡父のときは土佐中学)の出身だったので、
甲子園出場の折には甲子園まで応援に行ったものです。

私の母校は女子高で野球部なかったし・・・。

兄のころは、兄の友人が四番を打っていたから力を入れて応援しました。

その後、私が大阪の短大に進学したころ、土佐高校が準優勝したことがありました。

私は当時中学生になったばかりの従弟を伴って甲子園まで応援に行きました。

実は、この従弟の長男は、昨日優勝した大阪桐蔭高校の野球部の部員でした。

が、中学生のころの従弟は、その両親の故郷の高知を応援してくれていました。

というより、当時、私が従弟の家庭教師をしていたこともあって、

一人っ子の従弟は何でも私の言うことを聞いていたのです。(笑)

当時の従弟は「びこちゃん一番」だったから。(爆笑)

この従弟はもともと頭がよかったから、別に私が教えなくても勉強はよくできて、
高校は地元の公立トップ高校に進学しました。

そしていまだに「びこちゃんの教え方がよかったから」と言ってくれるのは面はゆいです。

従弟は運動が得意というわけではなかったのでしたが、その息子が野球を始めたから、
ステージママならぬ野球パパになり、熱心にわが子の所属する少年野球の世話をしました。

そして大阪では名門野球部である大阪桐蔭高校に進学させて野球部に入部させたのまでは
よかったのでしたが、残念ながら万年補欠だったようです。

ま、人生思うようにはいかないものです。

が、この従弟の子は社交家で、お酒も飲めますから、従弟の会社をついだら立派な社長になると思います。

人間、なにが幸いするかわからないものです。

土佐高校野球部の話に戻ります。

土佐高校は戦後まもなくの頃にも準優勝したことがありました。

そのときのピッチャーは、実は、実家の隣の三男坊だったらしいです。

私は、まだ生まれているかいないかの頃だったから詳しいことは知らないのですが、

お隣の三男坊の方は、ハンサムでもあったので、当時は、現代のスター並みだったようです。

大学は確か慶応大学に進学されたと。

が、東京六大学での活躍はあまり聞かなかったような気がするので、
大学ではそれほど活躍されなかったのかな?

三男坊の方と言っても、私から見れば「小父さん」という存在でした。

これには後日談があるのですが、あまり書くと具合が悪いので、ここらあたりで。

*

★金足の活躍を見て思ひ出す土佐高校の黄金時代

★甲子園何度も応援しにいきし学生時代従弟を連れて

★従弟の子大阪桐蔭高校の野球部員でありしよかつて

★熱心に息子の応援してゐしが甲子園には出場できず

★人生はこんなものさと神様は従弟親子に教へたまひぬ

★金足の野球に元気をいただきし今年の高校野球は終はる