かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

勝ってはいけない

2018-08-14 10:20:24 | ブログ記事

私は、信仰はしていないが、

亡き叔母が信仰していたせいで、

天理教の新聞を購読している。

きのう読んだ記事にいいことが書かれてあったから、少し転記させていただく。



「相手に勝たせて”勝つ”」島田久仁彦


「交渉=勝ち負け」というイメージがつきまといがちですが、

私はあえて「負けをつくらない交渉」を行うようにしています。

喧嘩でも駆け引きでもそうですが、

勝った(と思っている)ほうはその場で喜ぶだけですぐに忘れる一方、

負けた(と感じている)ほうは、”負けたこと”を決して忘れません。

次に同じ相手に勝たない限りは負けを忘れられないのです。

(中略)

私がセルジオに教えられたのは、

「相手に勝ったと思わせる」交渉だと言えます。

こちらの目的をはっきりさせつつ、相手の主張を聞き、要望を探り出すことに徹します。

時折、相手の話の内容を整理しながら、最終的には、こちらの目標と照らし合わせつつ、

相手が使った言葉を合意案にふんだんにちりばめて、妥結へと導くのです。

すると相手は「自分の主張が多く取り入れられた」「交渉に勝った」と感じてくれます。

実際は、どうでしょうか?

私としては、

自分の交渉上の目的をはっきりさせたうえで、相手の言葉を使い、それを表現していますので、
実際には負けてはいません。

これは戦いを避けるための方法であり、講演などでは”戦わない交渉術”と表現しています。


(転記終わり)

なるほど!と思った。

これは交渉術だけにとどまらず、その他のことにも言えることだと思う。

昨日、拙ブログに書いた「憎しみについて・・・ネットを通して」の記事も、

私は、相手の人から酷い侮辱を受けて、それが忘れられなかったのだが、

相手の人は、たぶん私を侮辱することで、勝ち誇った気持ちになったと思う。

”負けた”?私は、その悔しさから鬱病になったのだった。

そして、その恨みを忘れるのに数年を要した。

あのとき、私は、私に勝ち誇った相手が許せなかった。

と、今になれば、それがわかる。

交渉事だけでなく、

人生では、むやみに勝って、人を傷つけることは避けなければならない。

昔から「負けて勝つ」ということわざがあるが、

まさにこのことを言っているのだろう。