かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

短歌の友人から葡萄が

2018-08-16 18:35:57 | ブログ記事


私は、昨年末に18年間所属していた短歌結社を辞めた。

辞めた理由はいろいろあるが、居心地が悪くなったというのが大きい。

辞めてしまったから、当然短歌結社の歌友たちとも疎遠になった。

が、中には奇特な方々もいて、

辞めてからも歌集を贈呈くださる方もあるし、

メールくださる方もいる。

ありがたいことだ。

そのうえ、今日は、葡萄を送ってきてくださった方があった。

有難くて涙が出そうになった。

それで、今日は、その贈っていただいた葡萄を撮影してブログ記事にすることにした。

Nさん、ありがとうございました。

今夜から、ありがたく食後のデザートにさせていただきますね。

*うたともの送りくれにし三つ房の葡萄写真に写して見せる

*忘れられ一人寂しく歌を詠むわれを忘れずゐてくるる友

*辞めし吾(あ)を忘れず歌集くだされる歌友のゐれば嬉しきろかも

*たちまちに冷たくなれる人もゐて結社は浮世の縮図と思ふ

*歌つくるその目的の一つには立身出世わすらるること

*名を上げるために歌詠む者もゐて生臭きかな歌の世界も

*歌うまくなりても心置き去りにするなら値打ちあらぬその歌

*褒められる歌を詠まむと置き去りにしたる心に黴の生える日

*褒められることがなんぼのものなるや誠うたはず嘘を詠ひて



同行二人・・・母を亡くした今年は出かけたくてたまらない

2018-08-16 03:07:53 | ブログ記事
もともと出かけるのは好きでない私ですが、

どういうわけか、母を亡くした今年は出かけたくてたまらない。

昨年亡くなった友人の村形明子さんが、

「両親の亡くなった季節になると、じっとしていられなくなるの」と言っていましたが、

その気持ちがわかります。

なにか家でじっとしていられないのです。

母が亡くなるまでは、

いつ高知に行かなければならないかとわからない緊張感がありましたが、

それから解放されて、自由になったということもあるかもしれませんが、

それよりも、家にじっとしている気分になれないというほうが当たっていると思います。

亡くなった母は外出好きで旅行好きの人でしたから、それが乗り移っているということも?

旅をしながら、母も一緒に旅をしているような錯覚に陥ることもあります。

四国八十八か所巡りをするお遍路さんは

「同行二人」という言葉で、「常に弘法大師と一緒にいる」ということを言いますが、

私は、亡母と一緒の「同行二人」なのかもしれません。

現在、まだ先日の軽井沢行きの疲れが取れ切れていませんが、

今週末は、今度は静岡県の浜松市に行こうかと思っています。

昨日雨が降ったから、少しは暑さも和らぐでしょうから。

*母死にて母と一緒にゐることが多くなりたり二人で旅を

*生きてゐるときより一緒にゐる時間増えていつでも一緒に母と

*旅好きの母が私を旅に出すやうに感じてゐる八月は

*イギリスに行き国内もあちこちに行く今夏なりこれは異なこと

*行けるとき行きなさいとぞ亡き母に言はれてゐるかのやうに今夏は

*腰痛を宥め宥めて行く旅であるなりわれは七十になり

*

昨日は、この旅の計画を練るのに時間を取られてブログを休んでしまいました。