かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

ロキソニンに腸閉そくの副作用?

2018-08-09 16:03:10 | ブログ記事
たまたまネットのニュースを見ていたら、

ロキソニンには腸閉そくの副作用があると。

驚いた。

実は、私も以前は歯痛などでよくロキソニンを使用していたから。

そして腸閉そくで入院したことがある。

が、私の場合は、大腸がんのせいだった。

癌が大腸を塞いで腸閉そくを起こしたのだった。

腸閉そくの痛さは、なった者でないとわからないと思うが、

私は主治医になった先生に何度も「殺してください」と頼んだほどだった。

激痛であるのに、私の場合、

心臓手術をしてからあとずっとワーファリンという血の止まりにくくなるお薬を飲んでいるせいで、

すぐに手術がしてもらえなかった。

だから何度も「もう殺してください」とお願いしたのだった。

ブロ友さんは、ごく最近、腸閉そくで入院されたと書かれてあり、

その記事の少し前に、腰痛のためロキソニンを使用していると書かれてあったから。

偶然の一致かもしれないが、関係あるかもしれないと思った次第。

薬は副作用が怖いですね。

「触らぬ神に祟りなし」とは、お薬に対してある格言のような気もします。

*

★ロキソニン腸閉そくを誘発と書かれしサイト見て驚きぬ

★薬とはまこと毒とも思はせる事例多くて恐れてをりぬ

★たはやすく精神薬を服用し危うく精神病になりかけしわれ

★コマーシャル困ることなど教へずば己の身体は己で守る

★医師の出す薬も一度疑ひて飲むべし薬もともと毒の

盆御経

2018-08-09 09:55:13 | ブログ記事
今朝はお寺さんが来て、お盆のお経をあげてくださった。

今年は仏膳も簡単に。


わが家は、わが家の立地がそのお坊さんの回る順番から朝いちばんになるようで
義母が生きていたころから、早朝に来てくださっていた。

現在きてくださるお坊さんは、以前来てくださっていたお坊さんのお孫さんで、
お爺さんのお坊さんのころは、毎年、午前8時に来てくださるというお知らせがあって、
実際は朝7時半ごろ来てくださっていた。

が、お孫さんになってからは、午前8時半ということになったが、
実際に来てくださるのは9時くらいになることが多かった。

やはりお坊さんでも若かったら朝は眠いのだろうと思っていたが、

今朝は、どういうわけか、早々と午前8時前に来てくださった。

私は、朝6時くらいから準備してあったからよかったが、

お坊さんが来られた時、シャワーを浴びておこうと服を脱ぎかけたところだった。

そこへ来られたから、大急ぎで普段着のまま座敷に行った。

このお孫さんのお坊さんも、この家に来てくださるようになって
既に10年以上になる。

最初の頃は、まだ青年僧という感じであられたが、
今日拝見すると、立派な中年のお坊さんになられている。

私達も歳をとるはずだと思った。

*

★読経中ケイタイ鳴らしし坊さんも中年となり落ち着きゐたり

★説教はしてくださらぬ坊さんで読経おゆれば風のごと去る

★盆経を終ゆれば坊さん消え去りて残されるのは座りゐし椅子

★お盆どき書入れどきであるならむお寺も収入なくば終末

★仏教を真に信じる人へりて樹木葬とか散骨葬とか

★真言宗信じてきたるこの家の祖先のためにわれらは祀る

★わが子らにこの信仰の強制はできぬと思ひながら祀れる

*

私たちは、今日は、また夜行バスで軽井沢に行きます。

夜行バスにするのは、猛暑の昼間の移動を避けるためです。

私は、先月末の上高地での歩きすぎからくる腰痛がまだ癒えていないから、

あまり歩けないのですが、軽井沢に着いても、バスで観光をするとかして、
なるべく歩かないようにしたいと思います。

そして、明日の夜は軽井沢のペンションに泊まります。

ペンションにしたのは、ホテルに泊まるのと比べると大分割安ですから。

なるべく安く、なるべくたくさん出かけたい私たち(特に私?)です。

日頃出不精だからこそ!(笑)

「認められようとしない」ことが大事

2018-08-09 03:06:01 | ブログ記事
最近コメントくださった方のブログ記事に、

 今、小説を書いている。実は天啓があって書けるようになったのだ。

「認められようとしない」

 これが天啓だ


と書かれてあった。

これには私も賛同する。

私が短歌を作るのも、これと同じだから。

自分が楽しんで満足すれば十分である。

その方は、

別にいいのである。面白いと思われなくって。賞が取れなくたって。
 そりゃあ、面白いと思われたり、賞が取れたりすればいいけれども、最初から狙わないんだな。


と書かれているが

一応、私の場合は、短歌賞とか評論賞とかにも応募しているが、

ひょっとして、私の作るものに共感してくださる方がいるかもしれないと
思ってのことだ。

が、共感してくれる人がいなくても、別にかまわない。

自分のために作っている歌だから。

歌を作ることで、すでに私は満たされている。

人に阿ろうと思って作った歌は、高い評価が得られたとしても、すでに濁っている。

と私は思う。

*

★自らのために詠へる歌なれば詠ふすなはち満たされてゐる

★人からの評価期待をしてをれば評価期待をする歌になる

★なにごとも人に期待はしてならぬ人は人なり己は己

★おもしろく思ふか否か憶測はしてはならぬと思ふ実作

★小説も歌作も元は同じなり人に阿ることは間違ひ