かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

ひなた湯

2018-08-13 17:08:47 | ブログ記事
むかしあまり娯楽のない時代に

子供を夏の昼間あそばせるのに、「ひなた湯」というのがあった。

たらいなどに水を張り、それを数時間「ひなた」に出しておく。

庭のある家は庭に、庭のない家は家の前の道端に出したりもした?

そうすると、強い真夏の日差しで微温湯ができる。

その微温湯の盥湯で子供を遊ばせるのである。

盥の「ひなた湯」の中で子供は水遊びができて楽しいし、
遊んでいるうちに汗も流せるから汗疹予防にもなった?

近所の子も寄ってきて、社交場にもなった。

親は楽だし、子供は楽しいから一石二鳥の夏の遊びであった。

遊んだあとは、夕方植木の水遣りに使ったりした。

が、最近は、こういう遊びを見かけない。

みなクーラーの部屋でゲームでもして遊ぶのだろうか?

*ひなた湯といふ行水をしたりけりわれもわが子もしたり夏の間

*木製の盥でせしはわたくしでわが子らプラスティック盥で

*プールまで行かずに庭で遊べたよ庭の盥に水を満たして

*ブリキ製金魚を浮かべブリキ製如雨露で水を身体にかけて


憎しみについて・・・ネットを通して

2018-08-13 05:00:07 | ブログ記事
きのう留守中に更新されていたブロ友さんの記事を読ませていただいた。

この方は賢明な方で、いつも尊敬の念をもって読ませていただいている。

が、きのう読ませていただいた記事には、その方がずっとある人を嫌っていたことが書かれてあった。

そうか、こういう賢明な方でも、人を嫌ったりもするんだ

まして、私のように人間のできていない者が人を憎むのは仕方ないことだったのだ。

その方は、その人を嫌って許せなかった時期、身体の調子も悪かったと書かれていた。

それは私も体験したから、よくわかる。

私が大腸がんになったのも、たぶんにそれがあったと思っている。

その方は、そういう嫌いな人を嫌う作業を続けているうちに、その人の存在がますます大きくなり、
気持ちからその人を放つことができなくなっていられたらしい。

それもよくわかる。

私は、鬱病になり、精神科に駆け込んで鬱薬を処方してもらったくらいだったから。

そのブロ友さんは、
嫌っていた人に感情面で間接的に支配されていたと書かれてある。

それもよくわかる。

私もそうだったから。

その方は、最近は、

「窓越しに見える美しい景色を見ながら、
人を嫌った感情に苦しまれ、
季節が移り変わることさえ見えなかった愚かだった時を思い出す。」と。

私も全く同じだった。

「この完璧に美しい自然、
確実に巡ってくる季節に視線を向けるより、
人を嫌うことに夢中になっていた時は
それが時間の浪費だとは思わなかった。」

というところも同じだ。

その方は若い頃にそういう体験をされたようだが、

私の場合は、50代後半から60代の半ばまで支配された。

が、私は、最近、
その憎んでいた時間が決して無駄な時間でもなかったと思えるようになってきた。

それがあったから、現在の幸せが幸せとわかるし、

何よりの収穫は、神様の存在が感じられるようになったことだ。

人間は学ぶために此の世に存在していると聞くにつけ、

私も、あの逃れられなかった憎しみの感情は、私に何かを学ばせたと思っている。

その方は、

「愚かな時間の使い方をしたと、
未来に使える時間が短くなってからやっと、気がづく。」

と書かれているが、

私は、全て必要だったから、あの憎しみがあったと思う。

あの憎しみも、メーリングリストというネットから得たものだったが、

こうして私を癒してくれているものも、

また、このブログというネットからである。

ネットでの交流も、所詮は人間関係だからであろう。

その意味でも、ネットは、私に生きる術まで教えてくれるツールであると言えるかもしれない。

*憎しみの源なりしネットにて癒されもせしわれと思ふも

*ネットにも虐めの世界あることを教へてくれしメーリングリスト

*憎みたる二年と憎まざる二年おなじ二年と思へぬ二年

*人にくみゐしころ綺麗な景色見てそれが見えざる目を持ちてゐし

*虐められのちに受けたる温かさいづれも人にいただきしもの

*温かさ感じられしは壮絶な虐めがありてのちと気づけり

*嵐さりのちに静かな老いは来て後の余生は静かなるべし

*あと何年生きるかわからぬわれなれど穏やかなれや残生のわれ