かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

わけもなく鬱気分に

2018-09-12 15:48:52 | ブログ記事

今日は、昨日の心臓定期検診の帰途、

かかりつけ薬局に処方箋を預けてきたお薬の受け取りに行かなければならないが、

どうも出かける気になれない。

特に理由はないが、こういう日もある。

夏の暑さもなくなり、気持ちのよき季節になったから、

しなければならないこともいっぱいあるのだが、

気持ちは落ち込むばかり。

こんな日は何もしないほうがいい?

食欲もあまりない。

一昨日、夫が大阪のマンションに行ってから、ろくなものを食べていない。

やはり料理は食べてくれる人がいて頑張れるものだと思う。

食べないから余計力が出ないのだと思うけれども・・・。

特に悲しいこともないのに、涙まで出てくる。

小さな原因は、

もうすぐお彼岸だから、帰省を予定しているが、

実家の相続のことも、なんとなく憂鬱だし、

それより、

昨年亡くなった村形明子さんのお墓参りにも行きたいと思って、

教え子さんにメールをするのだが、なしのつぶてだから。

先日、彼女の命日に彼女の住んでいたマンションに行って、

管理人さんから教え子さんが相続されるらしいと聞いてきたので、

その教え子さんにメールするのだが、返事がない。

ひょっとして、お墓も建ててくれていなくて、彼女の遺産を猫糞しているとか?

そんな疑惑まで湧いてくる。

昨年のお葬式のあとでは、一年後に連絡してくれる約束になっていたのに・・・。

そんな悪そうな人には見えなかったけれど、あるいは?

*

★秋風の気持ちよき季になりぬれど気持ちはなぜか落ち込むばかり

★墓参りしたくてメールするわれに返事寄こさぬ友の教へ子

★昨年は管財人に相談をすると言ひゐし教へ子なれど

★いつのまに彼が相続することになりしか少し疑問はありて

★身寄りなき友の遺産の猫糞をせしかと少し疑ひはじむ

★人死なば相続問題発生したちまち疑心暗鬼のこころ

死ぬときは一瞬で

2018-09-12 07:43:50 | ブログ記事
このたびの北海道地震で亡くなられた方々

並びに残されたご家族の皆様には

心よりお悔やみ申し上げます。

私も、甥一家が被災地の近くに住んでおりますので、心配しておりますが、

兄嫁によりますと、今のところは家族全員大丈夫のようです。

が、身内がいるということで、今回の地震の被害は他人事とは思えません。

と同時に、これは私の希望ですが、

私は、自分がもし地震に遭遇して亡くなるとすれば、一瞬で死なせてもらいたいです。

今回の地震で亡くなられた方々の大半が窒息死であったことを聞き及ぶにつけ、

亡くなるときは一瞬でと望むものでございます。

私は死ぬことは全然怖くありませんが、死ぬときに苦しむことだけは御免被りたいです。

やすらかに眠るようにというのが理想ではございますが、

それが無理としても、

せめてあまり苦しますに彼の世の旅立たせていただきたく。

*

★死ぬことは怖くなけれど死ぬときの苦しみ怖しと心に思ふ

★家族みな彼の世に逝きし此の世には思ひ残すことは少なし

★子や孫は可愛くあれど家族仲よければそれでわれは満足

★君とわれまう数年で金婚式なれど女にモテる男で

★古妻のわれなどゐなくて平気かもしれぬと思ふ夫の君を

★願はくば気づかぬほどにあつけなく死にたし母や姑のごと

★わが母も義母も村形明子氏もあつといふ間に死ににきある日

★姑は肺炎畏友村形氏すい臓がんで母心不全

★死ぬことを知らず死ににし人たちにあやかりたしと思ふわたくし

ブログ休むと辞めるの違い

2018-09-12 01:54:22 | ブログ記事
愛読させていただいているブログが

最近、続けざまにお休みされるとご挨拶があった。

お休みだから、また再開されると思うが、そのまま消えるブログもある?

ご挨拶をして、やめられた方もいらっしゃる。

どういう事情で休まれたり、やめたりなさるのだろう。

という私も、過去3回ブログを作り直した。

理由は、家族に読まれてクレームが出たことからだった。

アップした写真にクレームがついたこともあった。これは主に子供たちから。

一応匿名で書くブログだから、何を書こうと自由なはずだが、

私の場合、

最初にブログを作ったときは、家族や親類に見てもらうのが目的だったから、

ブログ村の登録してランキングに参加するあたりで、

私のブログに対する書き方に変化が生じて、

だんだん家族に読まれると具合が悪くなってきた。

それで新しく作り直したりしたのだったが、すぐに発見されて、また作り直すという
イタチごっこを演じることになった。

私にすれば、せっかくできた読者の方を失いたくなかったので、

似たブログ名にしたのがよくなかったかもしれない。

が、まったく新しくするのも名残惜しくて・・・。

ここらあたりのやり方が中途半端だったことは否めない。

が、本来書くということは、自分が思っていることを書くということだから、

私にすれば、心にもないことは書きたくない。

だけじゃなく、日ごろ口に出して言えないことを書いて自分を建て直すのが
ブログの役目かもしれないとも思うようになった。

それで、家族とも揉める原因になる。

昨年は、離婚騒ぎにまで発展した。

ふつうなら友人に漏らすような悩みを私がブログに書いたからだった。

聴覚の障碍の進んだ私は、ほとんど友人づきあいをしなくなった。

昔はしていたが、聞こえにくいとお互いに気を遣うので、

自分から離れていった。

その代わりできたのが、ネットを通じて語り合うことのできる友人だ。

顔を見たことのない人たちと言っても、

ネットで知り合った人たちには本音を聞いてもらっているから長年の友に勝るとも劣ることはない。

そのためにも、ブログには真実を書く。

これは私のケースだが、

他の人たちは、どういう目的でブログを続けておられるのだろう。

その目的があいまいになれば、続ける意味がなくなって辞めたりされるのだろうか。

私の場合は、特殊な事情があるから、簡単にはやめられない。

が、やめさせられそうになったことは数えきれない。

家族からすれば、なんでも書く私が悪いということになるのだろうが、

ここが、

正直に書かないと書く意義がないと思っている私とのせめぎあいになるのだ。

それにしても、馴染んだブログが消えてしまうのは寂しい。

私は、一人でもこう思ってくれる人がいる間は書き続けようと思う。



いや、思ってくれる人がいなくても、書き続けるか、私の場合。

*

★寂しさは馴染みしブログの消えることある日とつぜん会へなくなりて

★ご近所の人が引つ越しするよりも寂しきことであるかもしれぬ

★声を出し人と交流することの少なくなりしわれにネットは

★ネットなき時代に戻れと言はれても戻れぬわれとなりにけらしも

★朝おきてパソコン開き昼前にパソコンひらき寝る前もまた

★口ひらく代わりに開くパソコンの画面にわれは文字を打つなり

★文字を打つ指が声出す代わりなり無言で指を動かす会話

★言葉にて人は生きると思ふとき言葉吐き出すブログは命