カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

マリア様が本当に処女だったかなんて人々は疑問に思ってるのだろうか?

2012-07-30 | 人間観察
2週間ぶりに、三重県亀山市にある《能褒野神社》に行ってきた。

《のぼの》と読む。

日本武尊の古墳がある。

日本政府が認めている《宮内庁公認》の前方後円墳である。

この古墳が日本武尊であるということは、日本最古の歴史書である《古事記》にも《日本書紀》にも書かれている。

そして、日本武尊を祀っているのが《能褒野神社》である。

杜の中に一歩足を踏み入れると、そこは別世界だ。

土の香りと木の香り。

冷蔵庫から漂ってくるような涼しい風が杜の中を舞う。

羽黒トンボが飛び交い、せせらぎの音さえ聞こえる。

自然の力のすごさを感じる。

36度を超える陽射しが、一歩杜に踏み入れるだけで、これだけ違うのだ。


僕は古代史が大好きで、日本神話が大好きだ。

それは日本人としてのプライドでもある。

しかし、この神社に訪れる人はほとんどいない。

広大な別世界を知らない人がほとんどだということになる。

ここがこれほど心安らぐところだと感じるのは、僕だけではないはずだ。

参拝に来た人の記帳を見てみる。

日曜日だというのに、10人ほどしか記帳されていない。


この地に日本武尊の古墳があるということを知ったのは、当地スナックの女の子が教えてくれた。

それまで僕は、日本武尊の古墳は鈴鹿峠にあると思い込んでいたし、妻である弟橘媛の生地が亀山にあるなんて知らなかった。

それ以来、僕は月に1~2度は、この神社と、媛の生地である《忍山神社》に参拝するようになった。

しかし、地元の人も、僕の店の客も、「そんなの架空の人物でしょ」と言い切る。

日本人が日本の歴史を知らないのだ。

日本人は非常に自虐的思考が好きなようだ。

日本の歴史を否定してみることが、自らを目立たせるための自己顕示欲に他ならない。

神話や正史の記述は、《真実》なのだ。

史実ではないかもしれないが、真実なのだ。

旧約聖書の『天地創造神話』や『ノアの箱舟伝説』。

さらには新約聖書の『福音書』にはマリア様が処女にしてイエスを身ごもる話がある。

現実味のない内容ではあるが、欧米では、聖書の記述が正しいかどうかなど、議論にもならないのである。

ゾウリムシじゃあるまいし、人が単独で受胎するはずなどないし、そんなことが、文字のない時代に、ギリシャ語やヘブライ語で書かれているなど、誰も信じるはずなどない。

それでも聖書は批判されないし、批判するからには、相当の覚悟がいる。

現実に、ユダヤの世界では、人間の先祖がサルだというだけで、牢獄に入れられてしまっている。

そう、アメリカでの現実の話だ。

ユダヤ批判をした記者が、取材活動を禁止された事件は記憶に新しい。

日本神話も、まったく同じことだと思っている。

だから世界最古の国日本が、僕は好きだ。

日本武尊の伝説が好きだ。

2拝2拍1拝の、神との約束事にしたがって、僕は参拝をする。

古事記は今年が編纂1300年に当たる。

この機会に、古事記の現代訳に目を通すのも、日本人として、日本の本当の歴史を知る上で必要なのかもしれない。

どこの国でも、自国の歴史は『国史』として学ぶ。

アメリカでも中国でも『国史』として、自国の歴史を学ぶ。

日本だけが、『日本史』として、客観的な歴史を学んでいる。

本来、日本の教科書では、『国史』として、日本神話を教えなくてはならないのだ。

ここに来ると、いつも日本人のあり方に疑問を持ってしまう。

日本人が日本人であり続けるためにも、一度は、日本武尊のお墓の前で、語りかけてみてはどうかと思う。

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