カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

人間らしく生きるということの、本当の意味を考えてみる。第22回。

2014-06-02 | 人間観察
『宝塚市に「テロ対策1千万円」使わせた
中学生の「遊び心」大きな代償』

産経新聞の記事だ。

記事を紹介する。

兵庫県宝塚市平井山荘の水道施設
「月見ガ丘配水池」で昨年5月末、
貯水槽にゴムボートが浮かんでいるのが見つかった事件で、
兵庫県警は今年5月、
水道汚染と建造物侵入の疑いで
同県伊丹市や宝塚市などの
16~17歳の少年4人を逮捕したと発表した。

4人とも容疑を認め、
貯水槽を「秘密の遊び場」として、
野外でキャンプするかのごとく
“アウトドアライフ”を満喫していたようだ。

だが、地域の住民らからは
「水道水を汚す迷惑行為を顧みず、
箱のような真っ暗な貯水槽で泳いで、
一体何が楽しいのだろうか」と、
事件発覚から1年が経った今も怒りの声が上がっている。

この騒動をめぐっては、
一つ間違えばテロ行為にもつながるとして、
市が1千万超の税金を投入し、
防犯体制を強化する事態にも発展した。

少年らの「遊び心」の代償は極めて大きい。


本当に少年たちだけが悪いのか?

昭和40年ごろまでに
少年時代を過ごした人たちには理解できるだろう。

子供たちには、
それぞれの遊び場があった。

隠れ家があった。

川で泳ぎ、
魚をとり、
その場でみんなで焼いて食べた。

『野原』と呼ばれる空き地では
穴を掘って戦争ごっこをした。

小学校の運動場は市民に開放され、
24時間、自由に通れた。

そこでは女の子がゴムとびやままごとに興じ、
男の子は、3角ベースやドッジボールなどで遊んだ。

公園でも、キャッチボールや
かくれんぼなどが盛んだった。

いま、公園はボール遊びが禁止され、
校庭はシャットアウトされ、
子供さえも遊べない。

生まれたときから
ゲームとパソコンと個室を与えられ、
一人で遊ぶことを強いられてきた。

子供が小川で魚とりをしていて
おぼれて死んだ。

ニュースでは、
「こんな危険なことができるなんて考えられません。
小川に柵が立てられてないなんて、
市の大きな過失です」などという。

片や一方で
「子供は自然に接することが大事」という。

これが日本の官僚と自民党の教育だ。

遊び場を取り上げ、
遊びを隠蔽し、
子供が外で遊べないようにしてしまった。

今回の問題でも、
近所の人は
「ずっと気になってた」と今頃言う。

もっと早く注意ができないのか?

できないのだ。

逆切れが怖いし、
親に言ったら、
それこそ大問題になる。

わがままで暴力的な
無知で非常識な親を擁護する教育を
官僚も自民党も進めている。

子供の遊び場を取り上げた社会の仕組みこそ問題のはずだ。


午後8時ごろ、名古屋に戻った。

車に採れたての野菜をたくさん載せて。

もっとゆっくりしたかったのだが、
Y子さんからのメールがいつもとちがっていたので
気になって少し急いで帰ってきた。

Y子さんのマンションに直行した。

何故かやつれていた。

「もう、一人は怖い」

いつも強い女が涙をポロポロ流してしがみついてきた。

急に寂しくなったのだという。

50歳になった。

この年まで
僕が引っ張ってきた。

僕が悪い。

僕は老後を彼女と暮らすと決めている。

せめてもの罪滅ぼしと、
彼女に対する気持ちだ。

彼女もわかってる。

月曜日の仕入れの時間まで、
彼女をしっかり抱こうと思った。

彼女がいなければ、
僕は今まで生きてこられなかった。

熊木杏里のように
子供を生ませたかった。

僕の身体が弱るたびに、
Y子さんの存在を意識する。

熊木杏里の『窓絵』の歌詞が頭の中で舞う。

老後じゃない。

僕は今、彼女を大事にするべきなのだ。