亀の啓示

18禁漫画イラスト小説多数、大人のラブコメです。

パラレルストーリー 柔道部危機⑧

2018-10-27 19:03:55 | 美月と亮 パラレルストーリー
柔道部はちょっとした騒ぎになっていた。



「そりゃ、結果が出せなかったのだから。
これは仕方のないことだ。」

田母神先生はいつものように
ふんぞり返り、恰幅のいい腹をつき出す。
つぶれた形の鼻の穴までがよく見える。

「富士野くん。君にはこの結果の
責任を取って、柔道部を去ってもらう。」

富士野先生は特に感想はない、という顔だ。

「待ってください!じゃあ男子柔道部の
コーチはどうなるんですか?永峰先生に
全員のコーチングは無理ですよ!」

かつては田母神先生の秘蔵っ子とも言われた
松木が食い下がる。

「松木。誰に向かって口を利いている?」

突然、威圧的な態度に出る田母神に
怯む松木。だが今一度と反撃に出る。

「俺は柔道部の主将です。部員たちの総意を
お伝えしています!考え直してはいただけ
ないでしょうか?」

体育館横の管理棟、運動部のコーチなどが
詰めている部屋だ。田母神は四年前、学校
幹部のつてで請われた柔道部の最高顧問だ。
他の教師たちより、大きな机があてがわれて
そこにはトロフィーやら盾やらが並ぶ。
田母神はすぐ横の窓から、外の風景を
眺めている。

富士野先生と松木は稽古の最中呼び出され
富士野先生のコーチ降板を宣告されたのだ。
そのわりには、慌てているのは松木だけで
富士野先生本人は、のほほんとしたいつもの
雰囲気を崩さない。

富士野先生は体育科の教師ではないので
この部屋には自分の机はなかった。

自分の社会科準備室の机も史料が山積み
になっているが、田母神の机も
大概だと思う。

こんな机、掃除がし辛そうでいやだな。

林立するトロフィーは、最近日に日に
増えているという。
自宅から持ち込んでいる、自分が若い頃に
貰ったものばかりだ。

キモッ。
富士野先生は胸の中で悪態をついた。


こんな調子で、田母神はとりつく島なし
富士野は相変わらず暖簾に腕押し
松木もがっくりと肩を落とした。

「早く、練習に戻りたまえ。
何をボサッと突っ立っているんだ。」

松木はギリギリ分かる会釈をすると
怒りを堪えて部屋を出る。

「富士野くん。君を庇い続けるのは
大変だったよぅ。もう、限界なんだ。
悪く思うな。」

「俺もあなたの面倒を見るのは
ほとほと疲れていましたからね。
ここらが潮時だったと思ってます。
永峰にはまだ見所があるが、あなたの
指導は最悪だ。松木たちも、もっと伸びる
べき生徒たちです。可哀想に。」

富士野先生が毒を吐いたのは初めてだった。
田母神先生は目を西川きよしのように
見開いて、唇をプルプルと震わせる。

「もしあなたが政治的に成り上がって
オリンピック代表チームのコーチに
なれたとしても。」

そこで富士野先生は言葉を切った。
田母神は歯ぎしりしながら待つ。

「あはははは。失礼失礼。
そんなこと、あるわけがない。
それは、日の丸に泥を塗る行為だ。」

富士野先生はその後も咳き込むくらいに
笑い続けた。

「不愉快だ!出ていきたまえ!」

「二度と来ません。ご安心を。」

こうして、富士野先生は柔道部を去った。





柔道場には心配そうに待つ部員たちがいた。
こんな落ち着かない気持ちで稽古をしても
身に入らず、怪我をするかもしれない。
山崎は休憩を入れ、とにかく松木が
戻ってくるのを待っていたのだった。
松木は、静かに首を横に振る。

「え。じゃあ富士野先生は?」

「柔道部のコーチングは外された。」

みんなガックリと肩を落とす。
一年生は絶望に空を仰ぐ。
松木は気持ちを奮い起たせるように
背筋を伸ばした。自分が前を見ないで
どうするんだ。

「それより、永峰先生は?」

今日は練習開始の時間になっても
柔道場には来ていなかった永峰。
開始時間からもう一時間が経過している。

「そういや、今日は火曜日だよな。
あの人火曜日は授業入ってないって
言ってたじゃないか。稽古のためだけに
学校来るって。」

部員たちがざわつき始める。
もう、自分達のコーチングをしてくれる
人は誰も来ないんじゃないだろうか。

松木は意気消沈した部員に、もう一度
柔軟体操を命じた。

「まあ、誰が来てコーチングしてくれる
ことになっても俺たちが動けないんじゃ
しょうがないぞ。」

基本的な稽古を中心に、今までの
打ち込みなどを続けていくことにした。
松木は一年生にもなるべく指示を与えて
安心させるよう務めた。





その日以来、富士野先生も永峰先生も
柔道部にはやってこなくなる。

「なあ。権藤さんにでも来てもらおうか。」

山崎は松木と膝をつき合わせて相談する。

昼休み。また、午後の授業が終われば
部活の時間になる。二人は柔道場に行くのが
だんだん憂鬱になりつつある。
一年生はすがるように見上げてくるし
二年生はダレ始めるし。

「権藤さんはうちのOBだし。こっそり
遊びに来てもらえば、言い訳はいくらでも
出来るからな。だがコーチングして
もらったなんて田母神先生にバレたら
大変なことになる。」

二人は躊躇った。
権藤は国士舘だから日体大の息の掛かった
筋に嫌がらせを受けることもないだろう。
だが、揉め事に巻き込まれる可能性は
極めて高い。いや、その前にあんな形で
追い返した権藤に再びコーチの話など
どうやって持ちかけたらいいのか。

「この前も来てくれなかったし。」

永峰が来たばかりの頃、どんなコーチか
話を聞こうと思った時だ。
自分の口から永峰の悪評を語れば
当時の女子部員にまで害が及ぶ。
日体大に行った女子のことまで心配して
貝のように口を閉ざしたのだった。

あれから山田のミラクルで、永峰は真剣に
コーチとして働いてくれたため
あのまま、いい方に状況が動くと信じる
ことができたのだったが。

「永峰先生は学校にもずっと来てない
らしいよ。一年の体育を何クラスか
持ってるらしいけど、相田が言ってた。」

初めは永峰まで田母神が切ったのかと思い
直談判に行ったのだが、田母神は知らない
の一点張りで話が見えなかった。
部活はおろか、授業もしていないとは。

「もう、コーチなしで一週間経ってるよ?
うち、どうなっちゃうんだよ。」

解決策も妥協案も探れないままで
二人は四面楚歌の苦しみを味わっていた。





その頃、図書館の書庫の奥に
デカイ兄ちゃんが身を縮めるように
入り込んでいた。

「げ。山田?」

「長内くん。チャオ。」

スライドのケースや古いフィルムを
納めた棚に挟まれながら、弱々しく
手を振る山田がいた。

尚も奥に来ようとする山田を押し留め
亮は回れ右するようにゼスチャーで
指示した。

「どうしたの?今日は。」

書庫を出た二人は、休憩所で
向かい合わせに座っていた。
二者面談のようで、二人クスッと笑う。

亮は去年、山田のクラス担任だった。
二年になってからは教科担任も外れて
いたが、柔道部の揉め事に巻き込まれ
顔を合わせることも多くなっていた。

「あの、ね。永峰先生から聞いたんだよ。
美月さんとの話。」

「えっ。」

亮ははじめ、何のことか分からなかった。

「永峰先生がまだうちにいた、二年前。
美月さんをフェンスのてっぺんから
シャトルで背中を打って突き落としたって」

亮はあの一件をほぼ誰にも話していない。
校長に話しただけだ。
美月も薄々気づいていただろうが
卒業間際までは本当のことは伏せていた。
しかもこんな詳細に知っているのだ。
本人から聞いたとしか思えない。

「俺が何でも話しなよっていったんだ。
それなのに受け止めきれなかった。」

「お前だったのか?!」

永峰は山田に叱咤され、受け止めてもらって
自分を変えようと思った。
美月にした仕打ちに対しても謝罪をしに
来たのだが、亮に取ってはそれが納得の
行くものではなかったのだ。

「確かに。俺はあの一件を話して
てめぇのしでかしたことがどんなに酷い
ことだったのか、気づかせて貰えって
言ったんだ。あいつはまだ美月にも
非があると思ってる。怪我をさせなかった
ことで自分を正当化させたいのが
どうしても透けて見えてくる。」

山田はうなだれて、黙って話を聞いている。

「永峰はつい先月まで明盛に行ってたが
あれはささやかなペナルティの人事だ。
身の丈に合わない場所で突っ張って
生きてきたあいつには、
もう償ったかのような
へんな開き直りがあった。
自分のやったことを上っ面でしか
反省できてなかったのが腹が立ったよ」

「ごめんね。長内くん。」

「え?何でお前が謝んだよ?」

山田は悲しそうに亮を見つめた。

「俺はあの人を変えてあげたかった。
みんな素直な気持ちを持ってるのに
そうなれない。本当はそれが苦しいのに。」

亮はそんな目で、そんなことを語られて
身動きが取れなくなる。
それでもこれは教えてやらなきゃ
ならないことだ。

「あの日の柔道場で起きたことは
悪かったと思えていたようだったよ。
でも彼女は昔もっと失礼でもっと卑怯で
もっともっと頑なだったんだ。
彼女は今、少し変われたことで
自分の過去をすべて精算出来たと
思ってるよ。」

山田は首をかしげた。

「どういうこと?」

「変えるのは。変わるのは。
一筋縄では行かないってことだ。
俺はとことんつき合う自信がなかった。
だから、あいつにはずっと手を
つけなかったんだ。」

「一筋縄では、行かないか。」

山田は寂しそうに俯いた。

「掬ってやらなきゃいけない
一番底のどろどろした辺りをさ。
一度や二度じゃ取りきれない
毒や膿から目を背けてちゃ
本当の解決にはならない。」

亮はため息をついた。

「俺は元々あいつに嫌われてたからな。
そう考えれば山田、お前は適任かもしれん。
根気のいることだけど、あいつはお前になら
従うんだろうしさ。」

山田は黙っている。
亮は山田の視線に割り込み、話しかける
ように見つめた。

「重荷か?」

「思ったより、ずっと重いね。」

山田はすっくと立ち上がる。

「学校終わったら、呼びにいく。
永峰先生の住所教えて!」

亮はもちろん永峰の住所など知らない。
それに独り暮らしの女性のところに
男が訪ねていくのもどうかと思った。
住所は事務のおばちゃんを懐柔する
として、そもそも山田だけで行かせて
男と女の間違いが起きたら困る。
まあ、そんなことはないかもしれないが
あったら困る。察するに今の永峰はそうとう
弱くなっていて、山田が訪ねれば何らかの
感情が爆発する恐れもある。二人きりは
まずいような気がした。

「お、俺も行こう。」

いや。男が二人に増えたらまた面倒だ。

ここで亮は気が進まないものの
頼るとなればあの女しかいないことに
またまた頭を抱えた。

「………………援軍を、呼ぶ。」

「援軍?」

「女の部屋に男だけで乗り込むのは問題だ。
女を呼ぶ。また放課後、ここに来てくれ。」

亮は甚だ苦々しいといった顔をした。

昼休みが終わる。
山田は小走りに教室へと戻っていき
亮はメールを打ち始めた。






「あたしで、良いの?」

美月はすぐ近所で連絡がついた。
あの二人とフードコートで
ランチ中だったのだ。

美月が権藤と中島をつれて来ては
厄介だと思ったが、いくら何でもそこまで
非常識ではないのだと感心する。

放課後、久しぶりに書庫の奥に来た美月は
亮の頬に手を伸ばし、優しく撫でながら
唇を寄せてきた。つい唇を合わせるが
同時に入ってきた山田とも目が合ってしまう。

「あ!ごめん。邪魔しちゃった?」

山田は申し訳なさそうにするものの
目をそらすでもなくバッチリキスシーンを
鑑賞していた。

「あ。君は。」

美月は気まずそうに手をばたつかせながら
亮から離れる。体を山田の方に向けて
微笑みかけた。

「今から、女の人と話をしに行くんだ。
女の人の部屋に男だけで乗り込むのは
確かに乱暴な話だもんね。
美月さんについてきてもらって
いいのかなと思うんだけど、他に
思い当たらないんだよね。」

「どうせこの人の提案でしょ。
山田くんは気にしなくっていいよ。」

美月はそれでも嬉しそうに亮に寄り添う。

「じゃあ、行くか。」

三人は連れだって駅に向かう。

電車に乗っている間は、会話はなかった。
三人三様、それぞれの思いが胸を詰まらせて
世間話なんかしている余裕はなかった。

永峰は亮の住む町とは反対の、繁華街の
近くのアパートに住んでいた。

玄関の前で、誰が切り込むかで揉めた。
男二人に押し出されて、美月がドアの
前に立った。美月は美月で、自分は
やめた方がいいんじゃないかと
切実に思った。

呼び鈴で直ぐに永峰は玄関先に出てきた。
ドアを開けると美月と目が合う。

「あ。えと。こんにちは。」

亮と山田はドアの左右に引いていた。
死角になったのだろう。

「何で、ここに?」

永峰にしてみれば青天の霹靂とも
いうべき出来事だろう。

「今、よろしいですか。」

永峰はなんとも言えないやるせない顔を
した後、美月の腕をつかんであっという間に
家の中に引き入れた。バンとドアを閉める。

「あれっ?」

山田は肩透かしを食ったように
よろけてステップを踏んだ。

「見えなかったんだろうな。俺たち。」

亮はしばらく考えると意味ありげに
微笑む。山田にウインクした。

「取っ掛かり、美月に頼んでみるか。」

「えー。」






「どうしてあなたが私の家を知ってるの。」

永峰はいい気分ではない。
大嫌いな女が、住所を教えてもいないのに
家まで押し掛けてきたのだ。
何のつもりなの?横っ面のひとつも
はっ倒して問い詰めて然るべしだと思う。

美月は鞄の中で、ケータイの
ボイスレコーダーをONにした。

「あの。今日は、柔道部のコーチを
引き続きお願いしたいとお伝えに。」

「だから何故あなたがしゃしゃり出て
くるのよ!」

永峰はローテーブルを容赦なく叩く。

「あんたのせいで、人生詰んでるのよ
どうしてくれるの?!」

「はあ?」

美月は何のことだかさっぱりわからない。
なにせ、そんなに詳しく事情を聞かされて
いるわけではないので、説明がないと
言っていることの前後がわからない。

「あたし。あなたが嫌いなだけで
恋まで失わないといけないの?」

「えっ。誰の、話です、か?」

「やっと自分を守ってくれそうな
男の子と出会えたと思ったら!
この殺しても死なないようなお転婆女に
ちょっとお灸を据えてやろうと思った
だけで鬼畜みたいに言われて!
あんた、ピンピンしてイチャイチャ
してるじゃない!あたしだけ何年も
責められなきゃなんないなんて
どう考えたっておかしいわよっ!!」

あらら。美月は柔道部のコーチの件で
言質を取りたかっただけで
軽い気持ちでレコーダーを回したのだ。
おかしなことになってしまった。

「やっぱりあたしは、どんなに頑張っても
あんたたちに悪かったなんて
絶対に!思えないっ!!」

美月は黙る。
本能的にかかわり合いになりたくないと
判断したんだろう。これは脊椎反射とも
言える、本当に意識なくとった行動だ。

これは、かなりの声量だった。
それこそ玄関の外まで聞こえそうなほど。

「なんとか言えば?
それに柔道部のコーチの件は
彼とのことが解決しないと
考えられないから!」

美月はカチンときた。
カチンときたのは
彼とのことが解決しないと、のくだりだ。

「じゃあ、その男の子と上手く行かないと
柔道部には意味がないってことですか?」

「そうに決まってるでしょ!
あんただって彼氏がいるんだから
わかるでしょう。恋が一番大事よ。」

「なるほど。」

美月はそろそろ来ないかと
玄関の方を気にする仕草をした。

「これで上手くいかなかったら
あたしもう怖くて学校行けない!」

永峰は張り手かと思われる勢いで
両手を頬っぺたに打ち付けて
体を左右に揺する。
あれ、これは力士の気合いか?
モンゴル力士だね。
と、思えば体を丸めて小さく見せている。
これは、恥じらいのポーズだったんだ?

そのへんで、呼び鈴がなる。

「永峰先生。」

「や、山田くん!」

玄関では聞いたこともないような
艶々した女の声がする。
美月は苦笑した。

「永峰先生。うちの、来てませんか?」

「長内先生。どうして?」

途端に声のトーンが落ちた。
分かりやすすぎる。
美月はブフッと吹いた。

「いらしてますけど。どうして彼女が
柔道部のコーチの件だなんていって
家に来るのか不思議だったけど
あなたの差し金だったんですね。」

亮は笑いを堪えて普段の顔を作る。

「なんか話しましたか?」

「そうですね。この間は可哀想なこと
しちゃったから。おもてなししてました。」

山田は気まずそうな顔をしていたのだが
永峰は気づいていなかった。

「ねえ。鷺沼さん。この間はつい
興奮してしまって。ごめんなさいね。」

亮は堪えきれずに笑いだした。

「俺たちに対して、悪かったなんて
絶対に!思えないんじゃないんですか?」

美月は頷いた。

「俺たち、本当は初めから美月と一緒に
玄関まで来てたんですよ。気づきません
でした?死角になってたのかな。それで、
そのままドアの前でタイミング図ってたん
ですよ。いやあ、あれは素晴らしい
声量でしたね。外まで聞こえてました。」

永峰はあわてて言い訳を始めた。

「えーっ!あれは鷺沼さんが
私を怒らせるようなことを言うから!
売り言葉に買い言葉よ!私は鍛えてるから
声も通ってしまって何か私ばっかり悪い
ように聞こえてしまうでしょ!ねえ
鷺沼さんも何とか言ってよ!」

美月は仕方がない、という顔で
ため息をつきながら鞄に手を突っ込んだ。

「あたしね。柔道部の代表で来てるって
認識だったから。コーチについての
やり取りを録音して持ち帰ろうかと
思ったの。ケータイのボイスレコーダー。」

それをかざせばウルトラマンにでも
なるのかと思うような仕草で、美月は
ケータイを取り出してみせた。

永峰の顔から、色が消えた。

美月が再生している間、永峰は
ローテーブルからソファに這い出して
コロリと倒れ、膝掛けを頭に被った。

一回り再生が終わる。
あーもう。何もかも終わり。
恋だなんて堂々と言ったのは
あんなお転婆でさえ男とイチャイチャ
してるんだもの。ちょっとした見栄も
あったんだけど。
でも。あたし。もう山田くんのいない毎日が
既にして辛いんだもん。
嫌われたなあ。絶対に。

視界が赤い。膝掛けが赤いからだ。
永峰は逃げ出したかったが
自分の部屋から逃げるってのもどうなの?
いきなりきてズカズカ上がり込んだ女にこそ
出ていってほしいわよ!

ーー永峰先生。

うるさいなあ!

ーー永峰先生ってば。

急に目の前が明るくなった。
膝掛けを剥がしたのは、山田だった。

「恋って?」

また真っ直ぐに見つめてくる。
叱られるんだなあ。
そんなふざけたこと言ってないで
さっさとコーチに戻れって。

「誰と上手く行けば、コーチに戻って
くれるの?ねえ。」

「ごめんなさい!悪かったから許して!」

「もしかして。俺?」

山田はソファで横になる永峰を
優しい目で見つめる。あの涼やかな笑いに
悪戯っぽい色が混じる。

「俺なの?ね。」

永峰は顔から火が出るほどに
羞恥に火照っている。首まで真っ赤だった。

「そ、う、だけど。」

山田は笑う。ふふふ、と柔らかく。

「放っとけない。」

「え?」

「どうしようもない人だけど。
正直ガッカリしたよ。でも。
放っといたらもっと嫌な女になっちゃう。」

「へ?」

「嫌いな人を嫌いだってあんなに
はっきり言っちゃう人初めて見たよ。」

山田は楽しそうに笑う。

「しょうがないな。一緒にいてあげる。」

「えっ!」

永峰は一瞬にして起き上がる。
必然性はないが、一応左右を
キョロキョロしてから、ソファに
おしとやかに座り直した。

「だから、ちゃんとコーチしてよね。」

「えっ、あ、は、はいっ!」

亮と美月は、足音を立てぬように
永峰の部屋を出た。

「美月。このまま校長に会いに行くぞ。」

二人はアポなしで校長室に飛び込もうと
学校へ向かった。








「あ。長内先生。美月ちゃんも。」

校長室の手前の一室。
そこは教頭の部屋だった。
教頭が部屋をあてがわれること自体
珍しいことなのだが、彼にはそこに
詰めるだけの大事な仕事があるのだ。

「春ちゃんに会いに来たんだけど。」

美月が可愛く微笑むと、教頭も
笑顔になる。

「今日は二年のかわいこちゃんが
来る予定なんだけど、部活があって
入るのは5時前だ。その間だけだよ。」

もう4時45分だ。ふたりは急いで
突き当たりの校長室に入った。

「お、美月ちゃん。どうした?」

美月に続いて亮も顔を出すと、校長の顔が
少しばかりしょっぱくなる。分かりやすい
人である。相変わらずだ。

「何の用かね?」

「田母神先生を追い出せないんですか?」

俺の口から柔道部の生けるタブーに
切り込むと、校長は一瞬動きを止めた。

「なんでお前がそんな、一文の得にも
ならんことを言いに来るんだよ。」

「いや。なんか最近縁が出来ましてね。」

「美月ちゃんは釣り餌か?」

美月はすっと立ち上がり、ちょこちょこと
向かいのソファに回り込む。
迷いなく校長の隣に座った。

「春ちゃんは、どうしてあの無能な
たこ入道を厚待遇で置いておくの?」

しなだれかかり、膝をちょんちょんと
指先でつつく。校長は美月の肩を抱いた。

「あいつはさ。理事長経由で呼んだ奴
なんだよ。つまり、理事長直下の
部下なんだ。」

美月は校長の首に腕を絡めて、膝に座る。

「じゃあ、春ちゃんにもどうにも出来ない
ってことなの?あいつ好き放題してるよ?」

「いやあ。美月ちゃん。俺が理事長に
直談判すれば何とかなると思うよ。」

「ほんとう?!」

美月は校長に抱きつく。
何やってんだよ!サービスしすぎだ!

「でも。それはとてもリスキーな仕事
なんだよ。それが今まであいつを放置
してきた理由でもあるんだけどさ。」

俺は立ち上がり、反対側のソファで
べったりとくっつく二人を背もたれ越しに
引き剥がす。

「リスキーって。どういうことなんです?」

「理事長はね。俺を気に入ってくれてる。
だから俺が言えば田母神のこともすぐに
切ってくれると思うんだけど。」

理事長は校長のお父さん(前校長)の
父方の従兄弟の奥さんの妹なのだという。

「資産家のお嬢でさ。我儘を絵に書いた
ような色ボケババアなんだ。」

俺は色ボケと出たところで悟る。

「春ちゃん。お、ね、が、い。」

美月はよくわかっていないようで
もうひと押しとばかりに校長に抱きつく。

「や、やめな。美月。」

俺は撤退を決めた。

「どうしたの?亮。」

美月は俺の様子に気づいて首をかしげる。

「女の子にお願い事をされるのは
男として嬉しいことだよ。
田母神のことは俺の方でも調べてみる。
追い出さなきゃならないと思ったら
然るべき処置を取るから。心配しないで。」

美月は頬を擦り合わせんばかりに
近づいて校長に抱きついた。

「もし、田母神を追い出せたら。
二人きりで飲みに行かないか。」

あ。校長は美月の酒豪ぶりを知らない。
俺はなるべく、二人きりで飲むなんて!
美月を酔わせて手を出すつもりですか?!
という顔をして見せた。目をひん剥いて
校長を見つめた。

「亮う。いいでしょ?」

美月も分かったのか、多くを語らない。

こうして、実は校長には旨味の少ない
取引が成立したのである。








「これが理事長。」

亮は校長室に呼ばれ、ケータイのフォルダを
見せられた。毒々しくも美しい熟女が
校長と一緒に写っている。

「こいつ相手に勃ったことないんだけど。
何て言うか。いつも吸われる。」

「いつも?!」

亮は眉をひそめて鋭く叫ぶ。

「やつに触られないと勃たない。
本当にダメージでかいんだよ。
もう、勘弁してくれ。」

かなりしんどかったのだろう。
犯された女の子のように両手で顔を覆い
息をつくようにすすり泣く。
まあ、校長は泣き真似だけど。

「これで田母神は来月で居なくなる。
美月ちゃんと飲みに行かせろ。」

「で。富士野先生は。」

田母神が出ていくなら、柔道部に
彼を戻してもらわないと。

「なんか、乗り気じゃないみたいでね。
たまに手伝うくらいはするけど
新しいコーチは入れてくれってさ。」

亮は意外に思う。
彼は柔道が好きで、子供たちを
育てていくことにも前向きに取り組むと
思っていたからだ。

今は永峰が一人でコーチをやっているのだが
部員の信頼も勝ち取り、案外上手いこと
やっているようだった。
新しいコーチとも上手くやってくれれば
いいのだが。

山田がいるから平気かな。

校長は美月とのデートに
心踊らせているらしい。

「あまり、飲ませ過ぎないで下さい。」

亮は酒代がいくらあっても足らないと
いう意味で言ったのだが。

「大丈夫だ。介抱してやる。」

オヤジは鼻の下を伸ばしている。

知らぬが仏。

亮は笑いが込み上げてくるのを必死で隠した。






















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