9月18日は地元権五郎神社(御霊神社)の面掛行列を見てきました。このお祭りは日にちが決まっているので今まで、平日が多く見られなかったのですが、今回は日曜日。江ノ電と紫陽花、以外では、比較的静かな神社なのですが、今回ばかりは人があふれていました。
最近ではドラマ「最後から二番目の恋」(中井貴一・小泉今日子)でも有名になりましたね。
いい機会なので歴史も調べてみました。
もともとは、平安時代後期に鎌倉一帯を治めていた大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉という平氏一族五家の祖先を祀る「五霊神社」が建てられ、それが “五霊” → “御霊” に変化。そしていつしか、武勇の誉れ高い鎌倉権五郎景正ひとりを祀る神社になったようです。
この鎌倉権五郎景正という人物は、16歳で源義家(頼朝の高祖父)に従い後三年の役(1083年~1087年)に出陣。後三年の役の様子を描いた「後三年合戦絵詞」の中に、猛々しい若武者ぶりが描かれています。
戦いの中で右目を射られた景正は、刺った矢を折り取って射返し、敵を倒します。さらに、自陣に戻って、目に折れ残った矢を抜こうと、仲間が顔に足をかけると…、
「矢にあたって死ぬのは武者として望む所だが、生きながら顔を踏まれるのは許さん! お前を仇として刺し違えて死んでやるっ!」
と、言い放つ16歳! 江戸時代には、除災招福、眼病平癒の神様として信仰を集めるだけでなく、ヒーローとしても人気が高まりました。武者絵として浮世絵に描かれたり、歌舞伎の演目「暫(しばらく)」で、鎌倉権五郎景正の名前が使われたりしました。
面掛行列は、直接、この鎌倉権五郎景正に関係あるわけではなく、もともとの起こりは、源頼朝公に由来しています。もともとは鶴岡八幡宮で行われていたので、その歴史は800年ぐらいあるようです(絵巻物が国立博物館にあります)。200年ほど前から、権五郎神社に移りました。
『源頼朝が村の娘を特にかわいがったので、その一族が力を持 ち、頼朝の外出にはそばに仕え、そのとき顔を見られないように面をつけた』(守護した?)のがこの行列のおこりだとライト(だけどよくわからない)な記述もありますし、
wikipediaには、『頼朝がその頭(のリーダー)の娘を懐妊させてしまったため、その詫びに、年一回、鎌倉のたちに無礼講を許した。その時、妊娠した娘の姿に仮装して村中を歩いたのを面掛行列の始まりとする俗伝もあり、そのためかつては「面行列」と呼ばれていたなど』、一歩踏み込んだ解説があります。
江ノ電が通ると、一斉にカメラ!
安産祈願でおなかをさする人が何人かいました。
坂ノ下の人口密度がピークになりました