kamacci映画日記 VB-III

広島の映画館で観た映画ブログです。傾向としてイジワル型。美術展も観ています。

24時間の情事(ヒロシマモナムール)ロケ地巡り(その12)

2006年11月01日 | ロケ地巡り

という訳で、ストーリー順に追った「二十四時間の情事(ヒロシマモナムール)」ロケ地巡りも一応これでおしまい。

最後に、ロケ地地図を作りました。

【 】で囲んでいるのは、現在、無くなっているロケ地です。(あっ、広島東宝を紹介していないや。)

これまでのロケ地巡り
その11 カサブランカ
その10 積善館書店 
その9 リッツ劇場 
その8 本通商店街 
その7 喫茶どーむ(2) 
その6 喫茶どーむ 
その5 広島赤十字・原爆病院
その4 レストハウス 
その3 平和記念資料館
その2 広島国際会議場(新広島ホテル) 
その1 広島国際会議場(新広島ホテル) 

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8 コメント

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観たよ (アンチマカロニ)
2006-11-08 19:26:48
この映画が製作された1959年といえば、私が小学5年生の時で、夜の繁華街とは縁がなく、遠くで輝いているネオン塔なんて憶えていな~い。
だけど、私が通っていた中学校が、本川と元安川に挟まれた地域を校区としていたので、“喫茶どーむ”辺りの風景は懐かしかったですね。
“どーむ”は憶えていないけど、“川本商会”は中学1年の時の同級生の家じゃないかなァ。
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昔の街並み (kamacci)
2006-11-09 21:51:22
当時の住宅地図とか見ると、原爆ドームの周辺は大きく様変わりしていますね。今の風景しか知らないので、なかなか想像がつかないです。

個人的には鼓型でガラス張りの「こども図書館」が現存していないのが、とても残念。(カッコいいデザインだと思う。)

「川本商店」さんはちょっと調べてみましょう。


イーストウッドは神である。
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ヒロシマにまつわる映画 (チドレン)
2009-08-02 18:13:12
はじめまして。私は、チドレンというものです。私も昔から、マルグリット・デュラスの映画が好きなものです。デュラスが原作となった映画に触発されて、22歳のころに映画の専門学校に入り、勉強を始め、現在も、シナリオを書いたりなどして、映画の勉強を続けています。

もうすぐ、64回目の8月6日が訪れます。
ヒロシマを舞台にした映画は、広島出身の新藤兼人監督が、「原爆の子」、「母」、「さくら隊散る」などをお撮りになられていて、それらも私は、観ました。

新藤監督は現在も「広島は僕のお母さんが生まれた街だ。僕は、原爆が投下されて10日後に広島の街に行った。僕は、ヒロシマの街に原爆が落ちた瞬間の映画を作りたい。その為には、20億円の金が掛る。行政の無駄遣いをなくせば、この20億円の金は作ることができることを僕は知っている。けれども、行政はその為の資金を出してはくれない。僕が生きているうちには、ピカの映画は作ることはできないだろう。けれども、僕は、誰も観たくない、ピカが広島に落ちた瞬間の映画を作りたい」とおっしゃっておられます。

私は、広島から2000km以上も離れた土地に生まれながら、何故か昔から「ヒロシマ」に縁が深く、気がつくと、ヒロシマにゆかりのある人物や映画に興味をもってしまうこともよくあります。

そこで、今年の8月6日に、ヒロシマと縁の深い人物や映画にちなんだ記事を自分のブログに上げたいと思い、ただいま、記事の下準備をしているのですが、もしも、御迷惑でなければ、こちらの記事に載せてある、「二十四時間の情事」のロケ地地図画像を私のブログで使わせていただいてもよろしいでしょうか?

突然の訪問に、ぶしつけなお願いをして申し訳ありません。
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OKですよ。 (kamacci)
2009-08-13 07:41:21
チドレンさん
コメントありがとうございました。

「24時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」のロケ地めぐりは地元ゆかりというだけでアップしたので、チドレンさんの前向きな思いに頭が下がります。

当時の雰囲気を伝える1959年ごろの写真などは著作権の関係などで掲載していませんが、ワタシの撮影した写真や地図でよければいくらもでお使いください。
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ああ、すばらしい! (Sanuki Brothers)
2010-08-07 20:13:01
お邪魔致します。
香川県に住んでおりますSanuki Brotherと申します。
私のブログにも書いてあるのですが、“二十四時間の情事”のファンであります。
母が廿日市の出身で、広島にもよく行くので、そのたびに流川のリッツやどーむ跡などのロケ地めぐりをしておりました。
この度、貴兄のロケ地巡りを発見し、とてもありがたい情報を多々頂き、感謝・感謝であります。
秋の広島訪問時に利用させていただきます。
情報ありがとうございました。


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コメントありがとうございます! (kamacci)
2010-08-07 22:12:30
Sanuki Brothersさん、コメントありがとうございます。拙い記事に過分なお褒めの言葉をいただき、私の方こそ、感謝・感謝です。

当然といえば、当然なのですが、映画撮影当時をしのばせるものは平和記念公園周辺を除き、ほとんど残っていません。(広島東映も残念ながら、先日閉館しました。)

広島にお越しの際は、ぜひ新しい発見をしてください。リヴァさんの写真集「HIROSHIMA 1958」の撮影場所巡りも楽しいですよ。
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ありがとうございます (Sanuki Brother)
2010-08-17 21:23:03
Kamacci様
お言葉ありがとうございます。

以前、広島から四国に帰ったあとで、2週間ほど前に写真展が終わっていたことを知り、大ショックでした。

何点か写真を見ましたが、当時の広島を記録した貴重な資料だと思います。

木造の家がいっぱい写っており、人々の表情に笑顔があったことが印象に残っております。

原爆スラムと呼ばれた今の基町アパートあたりでしょうか?

あのころの広島は、まだ戦後の姿でしたが、いまはすっかり変わって驚きです。

友愛市場などはまだ戦後の雰囲気がのこっていますが、広島は、いい感じに変わっていったのではないでしょうか?

広島の美しい町並みが大好きです。
友人が中筋にいるのですが、すっかり町になって驚きです。

昔は、祇園の橋を越えると田んぼもいっぱいあったのですが、頭の上にアストラムラインが走り、緑井あたりは賑わって、大きな変化を感じます。

井口や府中も大きく変わりましたね。

私はディープなところも好きですので、お勧めの場所がありましたら、UPして頂けましたら幸甚です。

よろしければ、また訪問させていただきます。
よい思い出になりました。
本当にありがとうございました。
広島大好きです。
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他にも変わりました (kamacci)
2010-08-24 06:12:13
中筋から北側はアストラムラインのおかげで一気にベッドタウン化したような気がします。以前(12~3年前)、上安のあたりに住んでいましたが、周囲にあった田んぼもあれよあれよと言う間にマンションに変わりました。

段原のあたりも一気に再開発が進みましたし、広島駅北口周辺もここ数年で別の顔になっていますね。

もし、未読でしたら港千尋先生の「愛の小さな歴史」をお勧めします。「24時間の情事」とリヴァさんの写真展の経緯が綴られていて、面白いですよ。(実は半分くらいは難解で分からなかったけど(笑))
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