彼女は来日してわずか。「ひらがなもわからない」と言っていました。先生が書いた見本を見ながら、一生懸命書いています。
年賀状作りの続きです。地元のケーブルテレビ「J-COM」が取材に来ていました。赤い服の女性はロシア人で、フィリピンで英語を教えてから来日し、福岡の英語学校で教えています。
今日、12月1日、福岡で生活している外国人・・国籍はいろいろ、中国、韓国、ロシア、バングラディシュ、モーリシャスなどから来日している外国人に、日本の年末の歳時記、「年賀状つくり」を体験してもらいたいと呼びかけ、公民館で年賀状作りをしました。欧米にも「Greeting card」が有るようですが、日本の年賀状作りはとてもおもしろいようでした。
那覇公設第1市場
昭和63年10月、念願かなって、あこがれの沖縄に勤務となりました。住まいは浦添市前田です。着任後、すぐに那覇市のスキューバダイビングのスクールに通いライセンスを取りました。その後ボートダイビングで、ひんやりした経験をしたこともあり、ライセンスを取得後はスキューバダイビングはしませんでした。沖縄には渡嘉敷島や座間味島など、日本のみならず世界で知られているダイビングスポットがあり、シュノ―ケリングでも美しいサンゴ礁や魚を見ることができるポイントがあるので、もっぱらシュノ―ケリングで楽しんでいました。
二回目の赴任は、平成13年4月です。宿舎は那覇市首里石嶺町です。那覇市の北部で、首里城に近いところにあり、毎日「守礼の門」の近くを通って通勤していました。