隠れ家-かけらの世界-

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シンプルだからこそエキサイティング?~『イブの三つの顔』

2007年03月25日 13時54分07秒 | 映画レビュー
★ポール・ニューマンの妻★
 ポール・ニューマンのあの青い目、ステキですよね。いたずらっ子のようにみえるときもあるし、油断できない鋭さを感じさせるときもある。
 で、妻があのジョアン・ウッドワードだということで、なぜか私の中ではポール・ニューマンの株がさらに上がってしまう。そんなに派手な女優ではないけど、知的で、いろいろな表情をみせてくれる。『レイチェルレイチェル』は夫が監督の映画だが、映画としてはあんまり感慨はないんだけど、ジョアン・ウッドワードはうまかった。 外国人の役者の場合、正直、うまいか下手かは、よくわかんないんですけどね。でもこの人は、なんか、うまいような気がするんですよね(笑)。たぶん一般的にも、そういう評価を受けている人だと思うんだけど。

★「イブ」の背景★
 1957年制作の『イブの三つの顔』。実話の多重人格の症例を取り上げた映画だという。
 多重人格は少々エキサイティングなテーマとして安易にドラマなどに取り上げられることもあるらしいけど、でも実際に興味深い症例はいくつも発表されているらしい。
この『イブの三つの顔』は主治医が執筆した『私の中の他人』という有名な原作を映画化したもの。原作はベストセラーになっているが、精神医学の専門書としての評価がどのくらいのものかは私は知らない。ただ、「イブ」本人や周辺の人の証言をもとに書かれた『私はイブ~ある多重人格者の自伝』では、原作を「デタラメ」と切り捨てているということもきいているので、そのあたりについてはよくわからない。
 いろいろな本に書かれているのは、幼い頃の非常に過酷な体験から逃れるために、無意識のうちに自分を閉じ込め、その行為が強いトラウマとなって、自分自身以外の人格を生み出すというものだ。これも、正しい定義というわけではないので、悪しからず。

★シンプルでも十分にエキサイティング★
 この映画の主人公は実際は貞淑で(あんまり使わないね、最近は)弱気な妻であり母である平凡な女性イブ・ホワイト。この女性の中にまったく正反対の奔放な女性イブ・ブラックとが現れて、いろいろ不都合なことを起こす。イブ本人が記憶のない間に、イブ・ブラックが派手な服を買ったり、街のクラブに踊りに行って男を誘ったりする。その治療をするうちに、もうひとりの知的で落ち着きのある愛情深い女性ジェーンが出現してくるのだ。
 結局は、幼い頃の封印していたはずのつらい記憶がよみがえり、二人のイブは「死に」、ジェーンが「生き残って」その後の人生を生きていく、娘をひきとり、新しい男性との生活を明るく予感させるところで映画は THE END。
映画として、いいな、と思ったのは、
  
  ① 凝った演出(つまり観る者を無意味に興奮させるたぐいのもの)がまったくなく、淡々と会話が交わされ、場面が異様な盛り上がりなんかない形で展開するだけなのに、それでも私の心をつかんで離さなかったこと。
  ② 字幕が日本語にならなかったので(レンタルショップに一応報告してレンタル料しっかり返してもらったけど(笑))、結局「音声英語」「字幕英語」と万全を期して?観たんだけど、私の英語力でも十分わかるシンプルなセリフでこういう難解なテーマを扱ってしまう潔さ。
 
 かな。昔のハリウッド映画には、こんな作品があふれていたのかな。派手なコピーで、

  「今年度最高!」
  「いままでにこんなに泣けた映画はない!!」

なんていうのばかり見ていると、こういうそっけなさすぎる映画がむしろ刺激的だ。
 そうだ、まるで舞台を見ているようだったな。場面場面が回り舞台のようにすばやく変わっていく。そしてなによりも役者の演技にかかっている…、そういう感じだな。
 ジョアン・ウッドワードは極端な使い分けはせずに三人の女性を演じ分けて、結局はその三人をまったくの別人に感じさせる。そこがすごいな、と思ったわけだ(アカデミー賞主演女優賞受賞だそうです)。

★二つの解釈★
 実話だからしかたなかったのかもしれないけれど、トラウマの原因をつきとめたら、幼い頃、亡くなった祖母の頬にキスするように言われ、それがとても怖かったというあたりが、むしろ説得力がある。身体的・性的虐待はその原因として当然考えられる最も可能性のあるものだろうが、この映画ではそうではなかった。
 それから、映画の結末の解釈のしかた(原作を読んでいないのでどちらが正しいのかはわからないし、ひょっとしたら両方の解釈ができると書いてあるのかもしれないけど)。

  ① 単純に生き残ったジェーンが本来の彼女で、だからほかの人格が「死んで」いった。
  ② イブ・ホワイトとブラック・ホワイトを治療していくうちに、その両方の人格があわさって(歩み寄りあって?)ジェーンという人格ができあがった。

 これはおもしろい。この症例は1950年代のものだが、今ではどんな解釈がされるんだろう、精神科医の間では。


 最後に気になったこと。
 でも主治医だってそうだと思うけど、こうやって三つの人格と長い時間付き合っていったら、その人格が「死んで」いくのは複雑な思いだ。奔放なイブはわからずやの無教養な夫をとまどわせるし、子どもは嫌いなために娘には迷惑な存在だけど、第三者には案外魅力的に映ったりする。計算せずに率直だし、それが人としてはチャーミングだったりする。
 サバイバルレース?に勝ち残ったジェーンはそばにいれば安心だし、人に迷惑もかけないだろうけど、それがなに?という感じもしたり。
 多重人格の治療のかげには、「人格殺人」が行われているんだ…、ってね。

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