6月13日にプロレスリング・ノアの
代表取締役兼選手である三沢光晴さんが
試合中に頭を強打して46歳の若さで亡くなりました。
ここから先はやや個人的な文章で失礼いたします。
そもそも自分がプロレスと出会い、ハマっていったのは
小学生の頃に出会ったSFCソフト
「スーパーファイヤープロレスリング」というゲームがきっかけでした
その中の緑のロングタイツで、
使い勝手の良いエルボーを持ち、
トップロープからも場外へも飛び技がある、
氷川光秀という選手を好んで使っていました。
後に土曜午後のワールドプロレスリングと
日曜夜のプロレス中継を毎週見るようになり
その中で氷川光秀が三沢選手を
モチーフにしたものであることが分かりました。
自分が見始めた当時のプロレスは、
全日本は三沢、川田らの超世代軍、
鶴田、田上らの聖鬼軍、
そしてハンセン、ゴディ、ウィリアムスらの屈強な外国人勢。
小橋は若手で秋山はまだデビュー前でした
新日本は武藤、橋本、蝶野の三銃士と
ハセケン、長州や反選手会同盟(後の平成維新軍)などなど。
ヤングライオンだった山本(天山)広吉が宴会かなんかで頭に楊枝さしてました
三沢選手のデビューは
何の因果か自分の生まれた1981年。
2代目タイガーマスク時代はリアルでは見ていませんが、
水曜だか木曜だかの深夜にやっていたプロレスアンコールで
何試合か見たことがありました。
当時若手の絶対的な壁であったジャンボ鶴田から
彼の生涯で唯一となるギブアップによる勝利を決めたフェイスロックや、
柔道銀メダリストの小川のタックルを
ため息の出るほど見事にきってみせた卓越したレスリング技術、
美しさに定評のあるドロップキック、フライングボディープレスなどの空中技、
バリエーション豊富なエルボー、スープレックスの数々・・・。
今でも鮮明に思い起こされます
馬場の全日本と猪木の新日本ということで
両団体は決して交わることなく比較される立場にありましたが
武藤の華とセンス、
蝶野のカリスマ性とプロデュース力、
橋本の破壊力と技の説得力、
これらを併せ持った一人のレスラーとして
自分は非常に尊敬していました。
そんな中での突然の訃報です。
「受けの三沢」と呼ばれるほど
三沢選手は受身には本当に定評がありまして、
今までの試合の中でも自分が「うあっ!」と思った急な角度での落下は
1度や2度ではありませんでしたが
そのたびに起き上がって闘う姿に、自分は驚いていました。
おそらく自分の世代のプロレスファンで
好きなプロレスラーを聞かれて三沢光晴の名前を挙げる人は
かなりの割合を占めていると思います。
自分にとっても確実に人生に大きな影響を与えた一人です。
心よりご冥福をお祈りいたします。