久喜市高齢者大学OB

職縁社会から好縁社会に生きる
(久喜市高齢者大学27期2組6番生徒)

61年前

2006年08月15日 | 独り言
        終戦(敗戦)の日
  長野市山王小学校6年生でしたが、空襲を避けるために
 飯山線の飯山に疎開していた。

  夏休みの昼に陛下の玉音放送があると大広間に集められて
 雑音の多い放送を聴いたが何も分からない。
  あとで日本は降伏してポツダム宣言を受諾したと分かった。

  その後は食糧難がやってきて食べるものがなく、進駐軍からの
 とうもろこしの放出物資で飢えをしのいだのを覚えている。
  とにかくおなか一杯食べたかった、りんごを昼食代わりに食べた。
  飢えから開放されたのは、3年後の高校1年生の頃からだ。