両手でも開かない貝を、ニコニコしながら片手で開ける。
「根本的に何かが違う」と思った。
カティウ島での仕事は、貝に病気が出始めたため、予定より早く終わることになった。
「こんなきれいな海なのに、なぜ病気なのか?」と思うが、
夏休みに市役所から聞こえてくる「光化学スモッグ注意報」を知っている世代としては、
なんとなくピンとくる。
島にある貝では足りないので、他の島から運んできて養殖数を確保しているのだが、
その貝に病気があったために、もともと島にいた貝に病気がうつってしまったそうだ。
「しばらくすれば、病気に慣れて回復するよ!!」とのIさんの一言で、
貝の自然治癒に任せるため手術を止めて、他の島を目指すことになる。
テポト島は、1家族しか住んでいなくて、ボートで着くと家族全員で迎えてくれた。
島は小さく、向こう岸がぐるっと一周見渡せる。
ラグーンは浅く、薄い瑠璃色で覆われていた。
すでに何ヶ所か島を回ってどこの島も綺麗だったけれど、
この島のあまりの光景に、人工物ではないかと考えてしまう。
この島には、数時間の滞在で、でもここでも貝があるのでIさんだけ手術をして
かわりにヤシガニをもらう。
実物は初めて見たけれど、青いのや赤いのや紫のものなど、なかなかカラフルだった。
味の方は、身よりも内臓の周りのソースがココナッツの味で濃厚で、
それはそれは美味しかった。
モツトンガ島は、村自体はさらに小さく、というか数家族しか住んでいなかった。
「日本人が来るのは初めてだ!!」
とおじいさんに言われてなんだかうれしくなる。
日本人が初めてなんて、川口浩探検隊みたいでカッコいいではないかと、
われわれ3人は、椰子の木に思わず名前を彫ってしまった。
そこで、初めて天然の黒蝶貝を見る。
カティウ島で見た物の1.5倍はあるし、貝柱が硬くて開けられないので、
腕周りが私の腿ぐらいある息子が呼ばれ開けてくれる。
それもニコニコしながら片手で開ける。根本的に何かが違う。
昼休みに魚の煮付けを出してくれた。
プリプリして美味しいこの魚は何だろうと台所を覗くと、
かの有名な「ナポレオン・フィッシュ」が切り身で残っていた。
数ヶ月前までは、この魚に海の中で会えるとうれしがっていたのだが・・・・
ダイバーとしては複雑な心境であった。
が、今後はきっと水の中で会うと、美味しそうに見えてしまうのだろう。
この島には、Mさんファミリーの土地があるので、夜はそこに帰り、寝る。
屋根に使う波板でできた、家と言うより物置といったほうがぴったりくる家だ。
足元は珊瑚の砂利なので、薄いマットをひいてもゴツゴツするし、寝返りは痛くてうてない。
幸い「蚊」が少ないのでよく寝られそうだと思っていたら、
眠りかけた意識の中に戦車が現れた。
ガタガタ、ゴゴゴーッ!!
「何!!」と思って起きると、
そこらじゅうでヤドカリがうごめいていた。
小さいのから大きいのまで、珊瑚の砂利の上を一所懸命あるいている。
音の理由がわかれば不気味ではないが、ウトウトしてくると、結構あの音が気になる。
と言いつつもそのうち眠りに落ち、何回か痛い寝返りを打って、朝を迎えた。
翌朝、Iさんに「ヤドカリがすごい音でびっくりしました」と言うと
「音もだけど、赤ちゃんなんか危ないよね!」と、
確かにあの大きさのハサミは、赤ちゃんの指なんか簡単に切ってしまいそう。
ヤドカリは雑食だから、人も襲うのだろうか?
その夜は、妙に耳が気になって、指は大人だから太いけれど、
耳たぶなんかちょうどお誂え向きな気がする。
島出発の前夜、Mさんの弟が数日前から作っていた干しウツボと河豚を食べる。
どちらも初体験。
河豚は日本では高くて食べたことがなかったし、ウツボは売っていなかったので
食べたことがない。
河豚の毒が気になったが、「よく血を洗ったから」と言う言葉を信じて食べる。
感想としては、ただの白身の魚の味だった。
ウツボは、作った本人はニコニコして食べているが、
タヒチアンの兄貴二人はまだ食べていない。
頼みの綱のIさんも「別に、大丈夫じゃない?・・・」といつもより返事が弱い。
だめならだめと言って欲しい。
少しだけ食べると、南洋の魚にしては油がのっていてコッテリしている。
二口三口付き合いで食べて、終わりにした。
その夜、別に舌がしびれたりせず、初河豚は無事にすんだ。
翌朝早くに船を出し、再度カウアヒ島を目指す。
数時間して、ゴロゴロ、キュルキュルと腹が言い出した。
はじめは我慢していたが、だんだんひどくなる。
島まではまだまだかかると言う。外洋で海に入って用をたすのもなんだか怖いし。
「すみません!!トイレに行きたいです」と告げると、
「わかった」の一言で進路を変えて、近い島に向かってくれることになった。
なんだか、とても申し訳ない。
必死でこらえて島影が見え、パスを抜け、村の桟橋にボートが着いたときには、
すでに片手にはトイレットペーパーを持っていた。
村の人は、「あっち」と指をさし、自分の家のトイレを貸してくれ、間一髪間に合う。
すっかり腹の具合も良くなってボートに戻ると、Mさん、弟さんもいない。
「みんな、腹を下している。ウツボのせいだよ」とIさん。
私が「すみません!!」と言ったことで、実は、ほとんど全員がほっとしていたのだった。
この後、快調(快腸)にボートは次の目的地をめざした。
3回に渡って、夫が書いた経験談を掲載しました。
私が今読んでも、面白いなあと思ってしまいます。
ゴツゴツの床で寝たり、雨に濡れて寒い思いをしたり
蚊に刺されまくって高熱を出したりと、すさまじい経験です。
私には、とても出来そうにありませんが
それを私に代わって乗り越えてくれました。
そして、現在の私たちがいます。
つらい思いもたくさんしたのでしょうけれど
旅行会社などが「楽園」とうたう以上に美しい
景色にも出会い、そのときの海の色や風の感触は
夫の網膜に焼きつき、そして心の宝箱のなかに、そっとしまって
あるのでしょう。
このとき島巡りをしながら研修を終えた夫は
ランギロアに戻ってきました。
そのあとのことは、私が書いた移住記につながっていきます。
最近 夫は、「自分の夢ってなんだろう」と
しきりに自問しているようです。
目標と夢は違います。理想も違う。
「この島に移住したことで、夢はかなえてしまったのかも
しれない」と言いつつも、この12月で40代に別れを告げる彼は
また新たな「夢」について思いがありそうです。
「夢のまた夢」ではない、実現可能な夢。
私も夫とともに、これからの夢について、思いをはせることにします。
今まで読んでくださり、ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
マウルル ロア
photo&text by Masaharu&Naoko NISHIMURA (C)all rights reserved