”銀次郎”(犬)

ボーダーコリーの銀次郎の
日々の話題を写真と動画で綴っています。

親父の遺品が・・

2014年06月23日 12時33分15秒 | Weblog

         バラの油絵

 

4才違いの妹が生まれる前・・・

私が4才の時に

40歳の若さでこの世を去ったオヤジ

この時、4人の育ち盛りの子供を残して死ぬなんて

その胸を掻き毟られるくらい残念な気持ちで、

この世に未練をタップリ残して逝ったんだろうと、

子を持つ身になって初めてわかるその気持ち

痛い程わかるその心情

察して余りある物があるとはこの事でしょうか・・・

 

話を続ければ、その6年後の私が10歳の時、母親も父と同じく病死です

時代背景を考えれば分かる通り、戦後で大変な時代でした

両親ともに教壇に立っていました

両親はこの時代に宮崎高等師範(今の大学)を出たと

叔母たちに聞き及んでいrます

その親が生きていればこそチヤホヤされれたが

親のいない子雀なんて・・・

そりゃ~ひもじい思いをしました

(ひもじい:空腹)

いつか腹いっぱいご飯を食べたい

これしか毎日考えませんでした

学校で授業中の窓辺から見える虫達は

いつでも葉っぱのご飯がイッパイ食べられていいな~って羨ましかったです

 

当然勉強なんて・・・

したことがありません

勉強の仕方が分かりません

そんな私でした。

 

話は逸れましたが

その親父は多才な人物だったと親戚の伯父や叔母にに聞いていました

その一つの「油絵」がご近所の医院に長年飾って有ったが

廃業に伴いその親族にお返ししたいと、色々手立てをして探し当ててくれたのが

長崎に住む姉の同級生だったんです

大分から長崎へ、長崎から博多の姉の所へと送られて来た絵画

その姉から、兄貴は娘ふたりで

相続できるの男子の居る私に引き取ってくれと相談がありました

喜んで引き受けました。

 

しかし絵の表に「銘」が無いんです

額から油絵を外して見ましたが・・やはりハッキリとした文字はありません

ガッカリして元の額に戻していると

誇りの積もった裏側の右上に

鉛筆のようなものでなぐり書きみたいな「文字」を見つけました

間違いなく「名字」が縦書きで読めます

嬉しかったです

なによりの証拠があり「繋がり」を感じました。

 

私の育った実家には沢山の絵があったことを覚えています

自画像もありました

そんな中で

今回私の手元に来た親父の遺品の一つである

一枚を・・・観てください。

 

 

光の 反射を防ぐために下方から撮影

 

 

 額を外して

 

 

 額の裏側

絵裏の右上部に鉛筆で殴り書きの

「名字」が薄く確認できました。

 

 

オヤジ~・・・

あなたとの思い出は一つ

それは

夕食時、お箸と茶碗を持ったまま

コックリ・コックリと船を漕いでいたら

オヤジは自分のお箸の元で

私のオデコを突いた事です

あの時、痛かったことを今も覚えていうます。

 

今となれば、痛くてもいいから

も~一度お願いしたい

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする