振り返ってみて・・
24年12月初旬
いつもお世話になっている掛かり付け医の先生から渡された
検便の袋2っつ
その結果が2本とも陽性の結果に
再度2本の検査を受けたがやはり陽性の結果に
見た目ではウ〇チに異常が無く不思議だったけど
大腸内視鏡をうけました
その結果4ミリのポリープが1個有りましたが出血の原因とは思われず
「切れ痔」の仕業と片づけました
この日(25年1月29日)はCTとエコー検査の為
朝食を抜いて来院しているので
申し出ました
ゲップがやたら出るし一度受けたいと思っていた「胃カメラ検査」
その足で「胃カメラ」検査を受けました
その数時間後に出た結果は・・・
人相が悪い腫瘍がありこれは「ガン」だな~って!
その後細胞検査の結果が後日出て
2月5日に正式に「胃がん」の告知を受けました。
この病院で2月27日に手術の予定まで入れましたが・・・
転院を申し出て2月19日愛知県がんセンターを受診しました
ここで再度検査、検査の連続で、先出の病院と同じ検査を受けました
結果は同じ事でした
3月22日「がんセンター」へ入院して
3月25に(月)に胃の三分の二の摘出手術を受けました。
3月25日、手術前の体
3月26日(火) 手術翌日の姿
手術室から戻った時に付いていた
生命維持装置
①酸素マスク
②心電図
③血圧計
④パルスオキシメーター(指先で・・)
⑤フロートロン(エコノミー症候群防止装置)
⑥胃管
⑦尿管
⑧硬膜外麻酔
⑨点滴
⑩ドレーン
上記の内翌日には5番まで外されました
そしてこの日から点滴の棒につかまりながら院内の通路を歩きました
3月27日(水) 手術3日目
盲腸の所のガーゼの中は体液や血液を出す為の
⑩ドレーンパイプが刺さっています
3月28日(木) 手術4日目
1日6回の食事が始まりました
我が、気の置けない悪友「今夜も飲んで委員会」のメンバーが
お見舞いに押しかけました
でもナゼか残念がっていました
こんなに元気なはずじゃ~なかったと
持つべきは友達です・・ありがと~
4月1日(月) 手術8日目
この日は採血が有りその結果今までも全てにおいて気になる数値は一度も出ていないので
も~いつでも家に帰ってもいいですよって・・
え~~~っ
だってマダ全粥の食事なのにいいんですか~?
医療的には全て順調に終わっているのでいいんですって
そんな病室の窓からは散歩コースの東山スカイタワーが見えていました。
4月2日(火) 手術9日目
昨日最後まで残っていたドレーンパイプも抜けて自由に歩けるようになりました
この日の夜は大変でした
個室に入院中の患者を例えると
蜂の巣の幼虫みたいなものでして隣に誰かが居る事は分かっていても
どんな性格でどんな病状でどなレベルの病状なのか全くわかりません
そんな夕食後の事でした
右隣の病室がやたら騒がしく看護師が器材の出し入れや
声高に話す声や壁に物が当たる音、転がす音、引っ張る音、
一体何やってんだ~?
こんな夜中に内装工事もやってのか~?
疑心暗鬼でイライラは募るばかりです
とう~とう~泣き声まで聞こえました
そして21時ごろ・・・全員が移動し行った気がしました。
その深夜
今度は左隣の部屋から同じようにガタゴトガタゴト
隣室との壁は有れど名前ばかりでして
ほぼ会話は筒抜け状態の病院の個室です
こんな状態なら昨日退院をしておけばよかったと 後悔ばかりでした
夜が明けて朝になり
聞いた事は右の部屋の患者さんは亡くなったそうです
そんな危篤状態の患者さんとは分からず
立腹した自分が情けなかった
でも看護師さんが一言助言をくれたら理解できたのに残念
退院の日
予定を前倒しして「軟飯」を出してもらった退院日の朝食
これが病院で最後の食事です。
4月3日(水)10時
愛知県がんセンターを手術10日目で退院しました。
帰宅して翌日・・・
4月5日(金) 手術12日目
自宅で(鏡に映して写した)
4月8日(月) 手術15日目
現在食事は5回/日
その内朝昼晩の三回はご飯を100gと、副食を100~150g
間食はパンやフルーツを150g前後
これが現在口に入る全食品量です
これは以前の1食分の量じゃった~