破戒僧 黒蓮 人情釣り道楽

日々の出来事や 仏教説話 釣りの記事を書きなぐっております
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ひぇぇぇ・・昨日今日とバタバタしてましたぁ

2019年11月20日 21時39分52秒 | 近況
昨日は夕方に連絡が入って従兄弟が急に倒れて救急病院に運ばれちゃってぇ
まぁ、アルコールを飲んでなかったから良かったんだけど車を飛ばして「俺が着く迄、死ぬなよ」
そう心の中で願いながらガンガン急いで病院へ行きました。
心臓疾患(急性の心不全)みたいな病名だったけど・・
まぁ私よりちょっとばかり年上の従兄弟だったけど従兄弟が20余人居る中で私とが一番仲が良かったからねぇ
いつも夏休みや冬休みになったら一緒にいたんですよ 丁度今年で70歳になる大きな男だけどー
いやぁ見かけはとても頑丈で病気なんてするのかと言わんばかりの血色もよかったのになぁ
やはり人間の健康なんて外見の見かけだけではわからないっすよねえ

今日も先ほどまで病院へ行ってたんだけど未だに意識が無いのよねえ
心肺停止の時間が長すぎたらしくてね 医者の話では生命をとりとめても所謂、植物人間同様だろうと
それを聞いたときに涙が出てきちゃってねえ・・・
いつまでもその場にいる事が出来なくて帰って来ちゃったけど~

まぁここのところの気温の差が(朝晩の)血圧に随分と影響与えたのじゃないかなと思っております
これから いっそう寒さが身に滲みる季節なってきますね 私も血圧の方を用心しておかなきゃ・・
皆さんも気をつけててねぇ

ところで皆さんは「お寺」をどういう風にお考えでしょうか?
今や殆どの方が まぁ法事とか人が亡くなった時とかしか思い浮かばないと思いますけどねぇ
実際には、まったく違う存在だったのですよねえ

元来はお寺は道場と呼ばれていて「修行の場」だったんですよねえ では何の修行なのかと言えば「正しく生きる為」と言った方が
わかりやすいのかなー 僧侶が村や町の人々の相談や争い事の仲に入ったり悩みを聞いたりとか
そんなことをしていたんですよねえ。民がその道場に来て僧侶の話を聞きに来るところだったんだけど・・
其の中でも民の一番の関心は「死」への事だったんですよねえ 人間は死んだらどうなるのか?
そんなことばかりを尋ねる人が多かったみたいです そこで生きてる間に悪事をしないように色んな
方便を用いたりして面白可笑しく説話したりしてたみたいですけど その内に段々と民の方も僧侶の話に飽きてきて
誰も来なくなったりしてねえ・・ そこで とある僧侶が村人の中で誰か面白い話を知ってる人間がいないかと
探して面白い話を村人達に聞かせ始めたら また村人達が寺に来るようになった。
そこで僧侶は次の面白い話ができる人間を捜し求めて見つけ出しては村人に聞かせていたようです

これが本来の落語のルーツだという一説がありますが・・まあ拙僧もその頃産まれてなかったので
ハッキリしたことは知る由も無いのですが 皆さんの頭の片隅にでも置いといて下されば嬉しく思います

と言うところで今夜はこのへんで失礼しますねぇ 短文で申し訳ないです ごめんなさい
明日は皆さんが良い日になりますようぃ^-^
おやすみなさ~いzzz