江戸時代の儒学者として有名な新井白石の話である。
白石も人の子である。
幼い頃には勉強をさぼることがあったそうだ。
そんな時には、父親が「一粒の米」を例にあげて、
白石を諭したという。
父親は白石に米びつを持ってくるように指示した。
そして、一粒の米を米びつからとったそうだ。
白石に尋ねて曰く、
「この一粒の米はどこからとったと思う」。
白石はもちろん「わからない」と答えた。
また一粒の米をとって、
「今度はどこからとった」と尋ねた。
この作業を数回続けた後に、
白石の父はいった。
「一粒の米はどこからとったかわからない、
しかし、これを何百回、何千回と続けていくと、
やはり米は減ったとわかるであろう。」
「勉強も同じである。
一日さぼっても、急にあほうになるわけではない。
しかし、ずっと勉強しないと、
いつの日か自分がダメな人間になっていることに
気づくであろう」。
なるほど、すばらしい教訓である。
いつ書き留めたのかもわからない若き日のメモによると、
この寓話は大村はまの「心のパン屋さん」で紹介されているそうだが、
易しい例を使って、とても意義のある教訓を学ばせようとする、
白石の父の知性と愛情が感じられる話である。
ビジネススクールの勉強は、
怠ける暇もないくらいではあるが、
やはり「今日一日ぐらい手を抜いても…」と思うことはある。
しかし、油断が続くようであれば、
やがては取り返しのつかないことになってしまう。
「一粒の米」の教えに感謝すると共に、
ゆっくりでもマイペースで努力し続けることを心に誓った。
次のメッセージ: スティーブン・ジョブズ
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