MBA -30歳からの挑戦-

30歳を機にMBA取得を志した挑戦者の、勇気あるも困難に満ちた成長物語。アメリカから帰国後、再就職しました。

末延 岑生 (すえのぶ みねお)

2006年09月14日 | ひと

とても魅力的な教育者…。

家族が送ってくれた郵便物の中に、
おもしろい新聞の切り抜きを見つけた。
末述岑生さんのコラムである。

英語教育学者の末述さんは、
兵庫県立大学の教授で、
日本人の英語教育に関する姿勢が痛快である。

末述さん曰く、

「英語は通じたらええんや。
発音なんかゴミみたいなもんや。
文法から入るとか、
標準語を学ばせるとか、
バカなことをして、
英語を学問たらしくしていて
子供をいじめているのが英語教師。
言葉を勉強しているやつが、
一番言葉をわかっていない。」

なんでも、日本人が発音しやすい「ニホン英語」の提唱者で、
完璧な文法と、英米人のような発音を求める学校英語に、
戦いを挑み続けてこられたようだ。
同僚の教員からも嫌われた存在であったという。

日本人は「R」と「L」の発音が苦手だが、
NYのレストランで「ライス」といったら、
米「Rice」がでてくるのが当然で、
シラミ「Lice」が皿に盛られてでてくる方がしんどいわ
と辛口である。
三菱神戸造船所に勤めていた父親が、
いわゆるカタカナ英語で巨額の資金を動かしていたことを例にあげ、
大切なのは発音や文法ではないと説く。

日々、英語で自分を表現することに
四苦八苦している我々留学組にとっては、
まさに「劣等感の呪縛を説く呪文」のように聞こえる。

なるほど、ミスを恐れて、発言を控えたり、
言いたいことが言葉にならないことを恐れて、
相手の意見に合わせてしまうことも少なくない身にとっては、
これこそ日本の英語教育に
欠けている要素ではないかと思えてくる。

MBAの授業を考えてみる。
ラテン系の学生も、インド人の学生も、
中国の学生も、韓国、台湾の学生も、
発音や文法に自信がないとて、
猛烈に、たとえ教授たちが困った表情を見せても、
個性ある意見を武器に戦おうとする姿勢が毎日見られる。

高い授業料を払っているのだから、
自分の意見をぶつけることが当たり前、
むしろ「黙っていることを恥」と考える彼ら、彼女らの姿は、
きっと今を生きる我々日本人にとっては、
真似のできない姿なのかもしれない。

MBAは学生の発言によって成り立つ学習環境であるといっていい。
教授が問題の答えを求めることはほとんどない。
求められるのはもっぱら意見である。
学生の意見を誘導し、
文化的な側面を問題に加味することで、
議論に幅を持たせ、「Why」と「How」を繰り返すのが、
彼ら彼女らの仕事なのだ。

先生に答えを教えてもらう授業に慣れた我々にとって、
答えのないハーバードのケースを使って、
ビジネスを学ぼうとするには、
慣れが必要であることは言うまでもない。
しかし、我々、日本人の価値感が、
もっともっとMBAの教室で輝く日がくることを、
祈らずにはいられない。

発言するという行為は確かに恐怖心を伴う、
それでも、発言することに意義があることは事実だし、
発言することで、授業の内容理解が深まっていくことも事実なのだ。
毎日、発言しようと努力する日々は、
これまでもずっと続いてきたわけだが、
これからも、末延さんの精神を忘れずに、
どんどん前に進んで生きたいと思う。


     次回のトピック: 「大停電の夜に (2006)」


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