MAKURA-NO-SOUSHI

「小納言よ、香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、
御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑はせ給ふ。

経済学史 5月31日

2006-06-01 01:11:54 | Weblog

産業革命


→諸産業における技術革新の連鎖的波及

 

☆産業革命が歴史にもたらした影響

 

パックス=ブリタニカ
19C、ヨーロッパでは100年くらい平和が保たれていた。戦争もなかった。
しかし
ドイツが遅れて産業革命し、どんどん攻撃的になっていった。(自国を強くする為に)

このこともキッカケで第1次世界大戦が起こった(もちろん理由はそれだけではないが)
終戦
戦間期(20年)
平和を取り戻そうとするが、様々な問題が積み重なりドイツ、イタリアでファシズム政権が誕生

第2次世界大戦
終戦
植民地だった、韓国やシンガポールをはじめとする東南アジア諸国、中国などが産業革命。
これも、イギリスの産業革命を自国にも、という精神の表れ。

 

☆革命は綿工業から始まる。
 
 イギリスはもともと羊毛の生産地であった。羊毛をフランドルに輸出し加工してもらってる、みたいな。
 しかも、農民が農作業の合間にやっていて、片手間だった。
 しかし、
 1733年   J.ケイ            
 1764年   ハーグリーブス     ジェニー紡績機            ↓
 1768年   アークライト       水力紡績機                ↓ 一気に
 1769年   アークライト       大量生産システム                      ↓ 連鎖的に
 1779年   クロンプトン       ミュール紡績機                            ↓
 1791年   カートライト       蒸気機関の応用                         ↓
                                        どんどん開発が進んだ

 

☆何故、綿工業からはじまったのか?

  綿製品の需要が増大していたから。
  インドの輸入に対する代替であった。
  インドへの輸出→インド綿工業が壊       (←よく
意味が分からない。今度調べてみる)

 

☆農業革命

  議会立法を用いての、
  「第2次囲い込み運動」 (貧しい農民を追い出して、地主が土地を買い占め)
     ↓
  ∮人口の急増による食料需要の増加
  ∮ナポレオンによる封鎖   (イギリスはナポレオンに兵糧攻めに遭っていた)
  ∮小麦価格の急騰→地主階級による囲い込み
               「ノーフォーク農法」による大農場での小麦生産
これにより、地主、借地農、農業労働者、の「3分割制」により、資本主義的大農場経営が確立された。

 

 

農業革命で貧しい農民達は土地を追われた  (伝統的な家父長的家族の崩壊)
彼らが、新興産業での労働者として、
新しく生まれつつある産業都市(マンチェスター、リバプール)に流れ込んだ
(↑※インフラ設備のない、衛生状態の悪い、劣悪環境)

 

 

ここに、

  地主階級                            
         
     VS    労働者階級
  産業資本階級                         が生まれた。
                                   『2つの国民』 とディズレリが表現。


     ↑                 ↑
   英では地主がかなり          生活が安定するのは
   位が高い                 上層部  19C後半
   現在にも影響がある。 
       大多数  20C迎えてから
  
                         
  

 

1832年  第1次選挙法改正→→地主階級&産業資本階級を引き入れる。
           チャーチスト運動:
1834年  救貧法 (シーニョア、チャドウィック)
           貧しい人に働く場所や住む場所を提供 (救貧院)  
           但し、この環境が劣悪で皆入りたくなかった ディケンズ作 『オリバーツイスト』 を読め! 
イギリスの大衆の貧困調査(メイヒュー)でも、かなり貧しい結果だった。