MAKURA-NO-SOUSHI

「小納言よ、香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、
御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑はせ給ふ。

半年

2005-10-25 09:14:05 | Weblog
今日で、福知山線の脱線事故からちょうど半年がたちます。
私の実家は福知山線沿い。大阪に直通、40分。便利なのでいつも愛用していた電車でした。(現に今も新大阪から帰るときに愛用しています)事故を起こした銀に青ラインがひいてある車両は、東西線乗り入れによるダイヤ改正時に新しく導入された電車で乗り心地もよく、きれいで気に入ってました。
事故の第1報は友達からのメールでした。『今日朝あった電車の脱線事故ってかよの実家のちかくだよね。大丈夫?』焦りました。どの携帯サイトを見ても、“早朝”としか載っていなく、福知山線で大阪まで通学している弟の安否を心配しました。弟の携帯は夕方になって繋がり、事故発生時はすでに学校が始まっている時間帯なので大丈夫だったが、帰りの電車は酷く混んでいた、とのこと。一先ず安心したのですがちょうど、ゴールデンウィークで、事故当日に帰省しようと考えていた私は、1日延期せざるをえませんでした。福知山線沿いに住んでいる友達にメールを送り、安否を確認。皆、阪急電鉄を使っていたので、難を逃れた、という人ばかりでした。
これが、事故当日の状況。

半年がたちました。事故の日2両目に乗っていたらしい小学校の同級生は、ICUに入ってその後どうなったかわかりません。退院して元気になっている事を祈るばかりです。朝のワイドショーには事故にあった方がインタビューをされていました。そこで気がついたこと。
私の同世代が、非常に多いこと。
それもそのはず。あの時間帯は、中高生や通勤サラリーマンにしては遅すぎ、大阪に買い物に出かける主婦には早すぎる時間帯だったのです。必然的に、大学生の数が多くて…。もしも、私が今の学校ではなく他の学校に入っていたら…(実際、何度も志望校を同志社(家から福知山線で1本)にしようかと迷いました)浪人していたら…(高校時代通っていた河合塾大阪校に100%通ってたと思います)あの電車に乗っていた可能性は非常に高かったのです。
だから、今の学校に入ったことが、神様からの生かされる、というプレゼントだったのかもしれません。

ただ、事故を聞いたとき、“まさか”というよりは“やっぱり”という気持ちの方が大きかったのです。事故前の福知山線伊丹~尼崎~大阪間は、高校生の私でも「ちょっとおかしいな」とおもうくらいスピードを上げることが多々ありました。実際、横揺れや傾きは日常茶飯事。酷いときは窓(開閉不可)がビリビリいうことさえありました。オーバーランもよくあることでした。もう少し、JRの危機管理が出来ていれば、私たち乗客が訴えていれば、と悔やんでなりません。

いまだ、入院している方、1日も早い回復をお祈りしています。
そして、100人を超える犠牲者の方のご冥福をお祈り申し上げます。